北上している台風に沿って雲が広がり、南からの熱風と混じって、高温多湿のじとりとまとわりつく空気に包まれた日となった。水分を切らさないようにしているが、脳はどうもうまく働いてくれないような気がしてならない。
三日間ほどかけて半村良『すべて辛抱(上・下)』(2001年 毎日新聞社)を読んだ。半村良は、名前はよく知っているが実際にはその人の本を手にとって読んだことのない作家の一人だったが、上下巻あわせて710ページにも及ぶ大作となっているこの作品は、貧農の生まれである人間が、11歳で江戸に出てきて、商人として様々な工夫を凝らしながら生きていく50年近くの半生を描いたもので、なかなか面白く、味のある作品だった。
半村良は、1933年に東京で生まれ、いくつかの職業を転々としながら、1962年にSF小説で作家デビューし、「SF伝奇ロマン」と呼ばれるような作品を書き、1975年に『雨やどり』で直木賞を受賞している。現代の自衛隊が時空の裂け目で戦国時代に行くという彼の『戦国自衛隊』は映画にもなっている。
SF小説は、ずっと若い頃、I.アシモフなどの作品をよく読んだし、DVDを借りてきて見る映画は、『スターゲイト』や『ギャラクティカ』といった宇宙を旅するものも多いが、どうも日本のSF小説には科学的根拠が薄いものが多いし、伝奇物と呼ばれるものもリアリティーに欠けることを平気で語っている場合が多いので、ほとんど読む気も起こらなかった。
『すべて辛抱』は、そうした作品ではなく、全く純粋に、文化文政(1804-1829年)から天保(1830-1843)にかけて、江戸幕府の体制が崩壊の兆しを見せ始め、幕末の足音が聞こえ始めた時代に、時代の感覚をもって生き抜いていった人間の生涯を描いたものである。
半村良は2002年3月に68歳余で亡くなっており、この作品が最後の作品といわれ、この作品の主人公を語ることで自分の生涯を語っているともいわれており、それだけに彼の作家としての全力を傾けた作品ではないかと思う。
物語は、農作業の手間賃で細々と暮らしながら、子どもの亥吉と孤児の千造を育てていた女性が、二人の行く末がせいぜい農家の下男ぐらいでしかないことを案じ、荒れ寺に住み着いた僧に手習いをさせ、江戸に出すところから始まる。時は、天明の大飢饉の時であり、知恵を働かせて何とか飢饉による飢えを乗り切った後で、二人ともまだ11歳ではあるが、彼女は二人の子どもを江戸に出す。
亥吉は運良く薬種問屋の下野屋という大店に預けられたが、千造は騙されたような形で、すぐに働き先を出て、無頼や強盗団の一味のような仕事をして行くことになる。亥吉が働く下野屋の若主人は、呉服店や料理屋にまで手広く商売を広げ、何事も真面目でまっすぐに取り組む亥吉は、若主人の信用を得て、呉服店に出向し、そこで新しい染めや洒落ものを考案して才覚を発揮するようになり、次に料理屋を任されるようになる。そこでも、彼の人柄や働きぶりは高い評価を得ていくが、松平定信の時代となり、贅沢が禁じられ、彼の主人であった下野屋の若主人は没落していく。だが、亥吉が働く料理屋は、なんとか何を免れる。そして、幼友達の千造と再び会い、二人は協力して、時代の先端を行く商売を考案しながら時代を乗り切っていくのである。福助人形の考案や浅草の人形焼きの考案と行った具合に、彼らの商売は当たって行くが、あまり儲けすぎると身の破滅になることを知っている庶民感覚の鋭い彼らは、競争相手が現れるとさっさと身を引いて商売替えをしていく。
こうして彼らは、無意識のうちに組織だった分業をいうことを始めたり、時代の先端を行く『時代屋』という道具屋を始めたりして、財をなしてくが、亥吉は昔の主人である下野屋の若主人から蓄えた600両もの金をだまし取られたりする。だが、めげない。また、一から出直そうと思うだけで、そうしたたくましさが彼らを支えていくのである。世の中に人のためになることをしたいという純粋な思いが、彼らの行動力の原理となり、新しい町興しをしたりもする。
やがて、社会の変化に対する感覚の鋭い彼らは、江戸幕府の体制が揺らぎ始めていることを感じ、幕末が近く、薩摩長州軍と幕府軍の戦争が起こることを予測して、財の保全に心を尽くすようになる。そして、ずっと二人三脚のようにして生きてきた千造が労咳(結核)で倒れて死に、亥吉は老後を迎えていくのである。
この作品には、もちろん亥吉の女房との夫婦関係、それもそれまでなかったような共同し、共生していくような夫婦の関係や商業におけるネットワーク作り、組織的な分業や共同作業といった新しい姿が描かれているし、友情や死を迎えることなども見事に描かれている。
下巻169ページに「それにしてもここにひとかたまり集まっていたのは、誇大なことを避けてしまう貧乏人階級の、いつの世にも怪我をせずに生き延びる典型のような者たちだった」という表現があるが、そういう人間の生き様の姿を作者は、一つの激動していく時代に生きた人間の姿として、自身もまた戦後の焼け野原や荒廃を行き、時代と社会が大きく揺れ動いた激動期を生きた人間として、描き出そうとしているのではないかと思う。
巻末に「文字も書けないころから、野宿同然の学問所で成長を遂げ、何泊かして江戸に出て、人込みに紛れ込んで大人の知恵をつけ、商売を覚えて金を稼げるようになり、互いにより掛かり合いながら暮らして・・・それが相棒をなくしてから心細い生き方になり、年を取り始めて今日に至っている」という文章がある。それはまた、戦後を生きぬ亥いてきた人たちの姿でもあっただろう。
真に、人は「すべて辛抱」しながら生きなければならないが、辛抱の中に生きることの深みも意味をすべてあるのであり、辛抱の賜のような人生こそ祝福に値する。小説の主人公たちは、いわば成功者であるが、成功や失敗とかに言うことさえできずに、それとは無縁に生きなければならない人間でも、それは同じであろう。
場面や人物、その設定には、幾分類型的なところもあるような気もするが、言いしれぬ感動を与えてくれる作品である。
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