2010年8月14日土曜日

杉本章子『火喰鳥 信太郎人情始末帖』

 曇って蒸し暑い日になっている。こういう日は怠け心がむくむくと起き上がって何もせずに街をぶらぶらと歩きたいと思ったりする。徒歩圏内にある青葉台駅周辺は、デパートもあるし、大きな本屋もある。スターバックスかドトールでコーヒーをのんびり飲みながら行き交う人を眺めるのもいいだろう。だが、今日は少し仕事がある。書斎のエアコンの修理がまだなので、ちょっとした作業でも汗がにじみ出る。

 昨夜、杉本章子『火喰鳥 信太郎人情始末帖』(2006年 文藝春秋社)を読んだ。これは、このシリーズの5作目で、これまでにも『水雷屯』、『狐釣り』、『きずな』を読んできており、大店の総領息子であったが、吉原の水茶屋の女将に惚れたために許嫁を捨て、勘当され、芝居小屋の大札(経理)の手伝いをしながら、明察を働かせて難事件を解決する信太郎という人物を中心にした人間模様を描いた作品で、随所に女性ならではの作者の細やかな設定が施され、人と人とのかかわりの難しさとありがたさがにじみ出ている作品である。

 「火喰鳥」というのは、江戸の町をなめるようにして起こっていた火事の形容で、この作品でも、父親が亡くなっていよいよ大店の後を継ぐことを決心した信太郎が、惚れた水茶屋の女将「おぬい」のつてで勤めていた芝居小屋が火事に見舞われ、「おぬい」の伯父で芝居小屋の大札をしていた久右衛門を助けるために火事場に飛び込み失明する。久右衛門は、信太郎と「おぬい」のよき理解者であったが、この火事で焼け死ぬ。

 信太郎の失明を知った「おぬい」は、いても立ってもいられなくなるが、結婚に反対する信太郎の母と気の強い姉の抵抗の中で、信太郎に近づくことさえなかなかできない。「おぬい」は、自分が受け入れられないことを知りつつも、亡くなった信太郎の父親の愛情や信太郎への思いを強くして、柔らかく、礼儀正しく、しかし毅然として婚家に向かう。母の代から守ってきた水茶屋を譲り、財産を処分し、嫁として迎え入れられないなら女中として信太郎のそばに行くことを決心するのである。「おぬい」は、信太郎の失明が自分の伯父を助けるためであったという負い目も感じる。

 今回の作品では、何かの事件が取り扱われるのではないが、嫁と姑の確執を始め、基本的に「受け入れられない状態」の中での苦闘がよく表わされている。

 人間にとって、自分が受け入れられていないということを自覚しなければならないことほど辛いことはない。そこでは、まず、人は自分の孤独や孤立と闘わなければならないし、それを支えるものがそう簡単にはない。「おぬい」は、信太郎への愛情を支えに、その孤軍奮闘を展開しようとするのである。それは、信太郎の友人で御徒目付となった貞五郎の妻となることを決心した芸者の「小つな」も同じで、「他家に入る」という異なった状況に置かれる人間の、自分の存在を確立するための苦闘が展開されるのである。

 この作品の中で、信太郎が住んでいた貧乏長屋の人たちの姿が描かれるが、その中で、彼らについて「おぬい」が思うくだりが次のように述べられている。

 「たとえはた目には、みじめな長屋暮らしと映ったとしても、万年店で過ごした四年の歳月は信太郎にとって、ひとの情愛に包まれたかけがえのない日々だったにちがいない。いま、あらためてそう思った」(141ページ)。

 はた目に何と見えようと「ひとの情愛に包まれたかけがえのない日々」が、信太郎と「おぬい」の生活であり、それが本シリーズの中で展開されているのである。

 考えるまでもなく、一般に、時代小説の中で描かれる江戸の長屋暮らしは、たいてい、そうした貧しい中での人の情愛を描いたものである。実際には、江戸の裏店にあった貧乏長屋の暮らしは惨めで悲惨で厳しいものだったに違いないし、多くの場合は、貧しさの中で人の心もとがり、とげとげしくぎしぎしときしむようなものだっただろう。大まかに、江戸時代の江戸の人々はいま以上に楽天的ではあったが、決して簡単なものではなかった。

 だが、それでも人は生きていた。そういう視点でこの時代の人々を見る現代の作家たちが、そうした情愛を大切に描こうとするのは、思い入れがあるとはいえ、現代人が失いかけている「暮らしの中での人情」の琴線に触れることだからだろうと思う。「ひとの情愛に包まれたかけがえのない日々」という言葉だけで涙があふれてくる。情けが人を生かしたり殺したりする。

 個人的なことを言えば、わたしも、もうとげとげしさやぎしぎしとしたことは心底いやであるし、問題提起という美名での批判の世界でも生きたくない。人間の鋭さなども放棄した。鈍化は、生物学的な貴重な存在手段であって、鈍化していくことは悪いことではないと思っている。日々の暮らしをぽつりぽつりと生きていく。それでいい。

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