2013年1月14日月曜日

海音寺潮五郎『列藩騒動録』(1) 島津騒動(1)


 今朝9時過ぎぐらいから冷たい雨が雪に変わり、それからどんどん降り積もってきて、あたりは雪が舞い落ちる雪景色となった。このあたりでは今年初めての初雪である。しかも、風も強いので、小さな吹雪のようである。今日は、出かけるのをやめにして書斎で一日仕事に励もう。

週末から、「江戸時代の大名の家は、早晩貧乏に陥らなければならない仕組みになっていた」という名文で始まる海音寺潮五郎『新装版 列藩騒動録 上下』(2007年 講談社文庫)を読み始めた。これは、1965‐1966年に新潮社で出版されたものの新装版で、フィクションの要素を極力廃して、歴史を詳細な資料にそって再構築しようとする海音寺潮五郎が確立していった史伝文学の一つで、江戸時代の各諸藩の、いわゆる「お家騒動」と呼ばれるものをほとんど網羅したものである。

 藩の「お家騒動」というのは、単に藩主や重臣の交代といったものではなく、いわば大きな政変であり、政治改革であった。それによって藩内の暮らしも大きく変わる出来事であり、しかも江戸時代の各大名は非成長的状態に置かれていたから、いわば限界内での改革で、これを今読むのは、限界内でなんとか生き延びるためにどのような知恵を用い、また失敗してきたのかを見てみたいと思ったからである。だいたい江戸時代の諸藩の騒動事件は、これを読めばわかる。そして、そこにはもちろん、政治的なことや経済的なことだけでなく、人間性も大きく作用し、このあたりはさすがにきちんと押さえられているので、記録にとどめたいと思っているからである。

 この作品について長くかかるかもしれないが、20世紀になって人間は自己の存在の限界を痛感せざるを得なくなり、今、その模索の過程の中にあり、「歴史に学ぶ」上では、この作品は意味を持つものだろうと思っている。

 『列藩騒動録』の最初は、幕末の頃に起こった薩摩島津家のお家騒動である。これが最初に収録されているのは、海音寺潮五郎の出身が鹿児島であり、彼が西郷隆盛の姿に肉薄してきたこともあるかもしれない。薩摩の「島津騒動」というのは、江戸末期の当代一の名君と言われた島津斉彬とその後を継いで明治政府を困惑させた島津久光が絡んだ後継者争いで、両者ともに明治維新に深く関わり、江戸末期の薩摩と明治以降の薩摩を二分する人物である。島津斉彬は明治維新を成し遂げた西郷隆盛や大久保利通らが最も尊敬し、師と仰いだ人物でもあった。

 「島津騒動」は、別名「お由羅騒動」とも言われるが、この騒動に「お由羅」の名前を冠するのは一方的な見方過ぎる気がするし、「お由羅」はなかなかの女性ではなかったのかとも思えるので、わたしはこれを「島津騒動」とだけしたいと思っている。

 海音寺潮五郎は、お家騒動が、ただその時の現象として起こったのではなく、長い歴史的な過程を経て起こったことを認識し、島津騒動を斉彬の祖父に当たる島津重豪以前から書き始める。彼は、「薩摩の島津家のお家騒動も、その大本にさかのぼれば、貧乏から始まった」(本書11ページ)と明解に書き記す。

 元々、江戸幕府は国内統治に当たって各諸藩が勢力を持たないように、つまり貧乏になるように仕組みを作ってきた。江戸に藩主の妻子を住まわせ(人質として)、国元と江戸都との二重生活を要求し、参勤交代制度によって往復の莫大な費用がかかるようにし、加えて江戸城や御三家の城などの普請を「お手伝い」と称して各藩に命じた。経済の根幹を米に置いたが、限られた領地に中での米の収穫も限度があるのである。こうして、各藩の経済は疲弊した。もっともそれによって幕府の経済は疲弊したが、権威を守る知恵はあっても、幕閣にそこまでの経済学の知恵はまだなかった。そこで、ときおり優れた人物が出てきて、経済の立て直しのための経済改革を行ったが、それが「お家騒動」に繋がったのである。

 関ヶ原の合戦に敗れて外様大名となった薩摩の島津家も、8代将軍徳川吉宗の頃に既に七十万両にも及ぶ借金を抱えていたが、9代将軍徳川家重の時代に、木曽川の治水工事を命じられ、工事の難行もあって、さらに莫大な借金を作ってしまった。この時の藩主は島津重年で、彼は借金を苦にして若くして亡くなったりしている。

 しかも、その重年の子である重豪(しげひで)の時、その借金はさらに増えて、五百万両にもなっている。島津重豪は英雄的な気質を持った豪気な人で、金を湯水のように使った。彼は、今から思えばなかなかの人物で、藩校「造士館」を建て、天文学者を集めて「天文館」を建て、博物全書である「成形図説」を出版したり、中国語辞典の「南山俗語考」を出したり、シーボルトと交わりを結んで西洋物品を買い込んだりした。教育・文化に大金を注いでこれを育成し、鎖国策をやめて海外貿易にも乗り出したが、他方では贅沢や遊びを奨励した。

 彼は娘を第11代将軍となる徳川家斉に嫁がせ(茂姫-広大院)、将軍家の岳父となったが、歴代の徳川将軍の中でも一番贅沢をしたと言われる家斉にして、「薩摩の姑殿のようにしたい」と羨ましがられるほどの豪奢な生活をしたのである。豪快な贅沢ぶりを発揮したのである。そして、これによって借金は膨大に膨れ上がったのである。

 やがて藩主の座を子の斉宣(なりのぶ)に譲って隠居したが、藩政に対する影響力は甚大なものがあった。斉宣は父のあまりの乱費ぶりに批判的で、秩父太郎秀保という剛毅で優れた人物を登用して、家老にし、緊縮政策を取り、質実剛健の気風を取り戻そうとした。この秩父秀保についての逸話も本書で詳しく述べられている。

 秩父秀保は下級藩士で郡目付けであったとき、百姓たちの途端を舐める貧苦ぶりに憤慨し、上司の郡奉行や大目付にずけずけと物を言い、それが秩序を乱したということで蟄居を命じられていた人で、蟄居中も朱子学の真髄と言われる「近思録」の研究をするなどして学問を研鑽し、次第に尊敬を集めるようになっていた人であった。

 彼は、登用されると学問仲間を要職につけて、諸経費の節減、減税、造士館の改革、諸役方の綱紀粛正、質実剛健な気風の回復、門閥の権限制限などの改革を次々と行っていった。そして、江戸で隠居していた島津重豪にも緊縮を望み、幕府に参勤交代を休むことができるように画策する。しかし、自分がしてきたことをことごとく否定された島津重豪の悋気に触れ、重豪は斉宣の政治改革を一気に叩き潰したのである。重豪は斉宣を隠居させ、秩父秀保らを切腹、もしくは遠島処分にした。そして、新藩主に斉宣の子の斉興(なりおき)を据え、自らをその後見とした。これを「近思録くずれ」と呼ぶ。そして、これが島津騒動の端緒となったのである。

 重豪は息子の斉宣が行おうとした政治改革を全て元に戻し、金がかかる豪気な政策を行ったが、さずがに借金が膨らんでどうにもならなくなってしまう。ついに薩摩は貧に窮し、藩士らの手当も遅配に次ぐ遅配が起こりだし、建物が破損しても修理もできず、生活もどうにも成り立たなくなってしまうのである。薩摩は77万石であったが、その内47万石は家来の地行地で、残りは30万石、金にして14万両ほどであるが、藩の費用は毎年19万両にも上り、初めから赤字の上に借金の利息だけで毎年50万両あったという。首が廻らないどころか、首が折れてしまったような状態だったのである。これ以上の借金は無理で、薩摩に金を貸すものは誰もいなくなった。

 そこでさすがの島津重豪も考えあぐねて、調所笑左衛門廣郷(ずしょ しょうざえもんひろさと)という人物を財政改革のために登用した。この調所廣郷という人について、前に安部龍太郎『薩摩燃ゆ』(2004年 小学館)が描き出したのを感銘を受けながら読んでいたが、大まかな人物像は海音寺潮五郎が描き出したのではないかと思う。

 調所廣郷(笑左衛門)も人間味が溢れたなかなかの人物で、この人が薩摩の財政を一気に転換させたのである。薩摩は、歴代こういう優れた人物を登用し重んじる風潮があり、幕末に薩摩が勇躍したのはこういう人物登用を行ったからでもあるだろう。彼は、まず金策に走り、大阪に行って、恥を忍んで、まさに「忍」の一字で商人たちに頭を下げて、なんとか当座の金を工面する。そして、当代随一の経済学者であった佐藤信淵に相談して、薩摩の財政建て直し策を作成するのである。

 佐藤信淵が示した案は、1)500万両という途方もない借金の返済について、一切の利子を捨てて元金だけを年2万両の250年返済という、これまた途方もない返済計画で商人に納得させること。2)倹約を旨として予算を立て、予算の枠内で収まるようにすること。3)物産のロスを改めて、品種改良と多収穫を図り、藩の一手販売として収入を増やすこと。4)ご隠居の小遣い稼ぎという名目で幕府に唐貿易を願い出て海外貿易をすること(重豪は将軍家の岳父であり、幕府もその名目なら承認するだろう)、というものであった。

 調所廣郷は、このうちのできることから10年計画で着手する。このあたりが彼の優れたところだったのである。この調所廣郷の計画は見事に成功し、大阪商人も、その粘り強さで根負けしてついに250年返済という途方もないことで渋々承認するのである。こうして、借金の方をつけ、密貿易を開始したこともあり、藩の財政は一気に好転していくのである。密貿易の収益はかなりのものになった。天保15年には150万両(一説では300万両近く)もの蓄えができたと言われる。天保4年に島津重豪は病没して、斉興が藩政をとったが、斉興も調所を全面的に信頼して彼を支持したのである。

 これまでが、いわゆる「島津騒動」の前史なのである。こうしたことを実に明解に記してあるので、非常にわかりやすい。長くなるので、「島津騒動」そのものについては次回に記すことにする。

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