2013年1月2日水曜日

吉川英治『牢獄の花嫁』


 日本海側は大荒れの天気だそうだが、太平洋沿岸に当たるここは穏やかな冬晴れで2013年が始まった。個人的に、今年は大学での講義を引き受けてしまったので、普段に倍する世話しなさに追い込まれそうで、なんとも先が思いやられるが、お正月は予定をキャンセルしたので何もせずにゆったりした。

 昨年から吉川英治を読み返していることもあり、改めてこの作者の構成力や物語展開のうまさに脱帽しているが、このお正月の間に、吉川英治『牢獄の花嫁』(吉川英治全集8 1969年 講談社)を面白く読んだ。この作品もこれまでに何度か映画化された作品だが、物語を面白くするための工夫が随所に溢れている。

 物語は、江戸の捕物名人として尊敬を集めた塙隼人(はなわ はやと)が、号を「江漢」と称して隠居し、長崎に医術の修行に行っている愛息の郁次郎と許嫁の花世のために療養所を建てたところから始まる。彼は郁次郎が長崎から帰ってくるのを日一日と待っているのである。花世は高潔な旗本富武五百之進のひとり娘で清楚な香りが漂う美貌の女性であった。

 ところが、殺された笛の師匠の近辺で花世とよく似た女性が出没し、しかも長崎から帰路にあるはずの郁次郎によく似た侍も出没して、謎が深まっていくのである。殺された笛の師匠の左手の人差し指も切り取られており、それもまた謎であった。

 探索に当たった奉行所の与力は、先輩である塙江漢を尊敬しつつも、事件に郁次郎と花世が関係していると狙いをつけ、上方一の捕物上手と言われた大阪の町方与力をしていた羅門塔十郎の助力を得て、郁次郎と花世を捕らえようとする。郁次郎と笛の師匠が交わしていた恋文が発見されたのである。そして、郁次郎は既に内密に江戸に帰ってきていた。

 上方随一の名与力と言われた羅門塔十郎は、その腕を亀山八万石の城主松平竜山公に認められて、その後継の行くへを探すために江戸に出てきていたという。松平竜山公は、世継ぎがないままに齢七十歳を数えるようになり、一応は家老の大村郷左衛門の息子を仮の養子として幕府に届けていたが、密かに愛妾に産ませた子があり、その子は間違いを犯して切腹したが、その子に四人の遺子があることが分かって、その遺子を探させていたのである。つまり、松平竜山公の四人の孫の行くへを探していたが、その期限の年月が過ぎ去ろうとしていた。

 実は、それが事件の大きな鍵となるのだが、それは伏せられたままで、事件は郁次郎と花世の顛末へと続いていく。奉行所与力と羅門塔十郎は、郁次郎が花世の住む屋敷に密かに匿われていることを突き止め、二人を襲って郁次郎を捕縛するが、まんまと逃げられてしまう。そこで花世の捕縛に向かい、花世の父である富武五百之進が謎めいた言葉を残して切腹したことによって花世にも逃げられてしまうのである。二人の行くへは洋として知れなかった。

 しかし、江ノ島で巫女の娘が殺され、その左手の中指が切り落とされていたこともあり、そこに郁次郎がいた証言もあって、郁次郎はついに捕縛される。他方、花世によく似た女の後を追っていた奉行所の同心は、京の郊外にあった松平竜山公の隠居所の近くで、その女を追い詰めるが、反対に隠居所の侍たちに捕らえられてしまう。花世に似た女は、実は「玉枝」といい、先に殺された笛の師匠の家で下働きをしていた女であったが、松平竜山公の家老大村郷左衛門から竜山公の四人の孫を探し出して、これを亡き者として、証拠の左指の黒染めの指を切り落とすように金で依頼をされていたのであった。

 江戸の笛の師匠殺しと江ノ島の巫女殺しの犯人として捕らえられた塙郁次郎は重罪人としての裁きを待つ身となっていた。だが、奉行所与力の下で働いていた塙江漢を慕う同心がついに事柄を江漢に告げ、塙江漢は息子の冤罪を晴らすために立ち上がることになるのである。

 老いた塙江漢の活躍と危機、また、彼の意を受けて動く同心たちの冒険譚、そして、犯行に重要な役割を果たしていると思われる「玉枝」の動きへと展開していき、次の犠牲者が、また、左手の小指を切り取られて出るなどの事件が持ち上がり、ついに、彼と真相究明を争っていた上方の捕物名人であった羅門塔十郎がすべての事件の黒幕であったという「どんでん返し」へと進んでいくのである。

 事件の真相そのものは単純で、亀山八万石の城主松平竜山公の孫娘たちには、なぜかその印として左手の指がそれぞれに黒くなっているのがわかり、城主の座を狙う家老の大村郷左衛門が羅門を使って密かに孫娘たちを見つけ出して処分し、代わりに「玉枝」を孫娘として息子と婚儀を結ばせようとしたものであった。羅門も玉枝も金と欲で動いていたのである。

 塙江漢は、この事件の真相を突き止めて、息子の郁次郎を救い出し、花世を助けて、事件が収まる。だが、江漢は羅門との戦いで傷つき、死のまぎわで二人の夫婦になる姿を見て息を引き取るのである。

 読んでいて、いくつか歴史考証が必要なところもあるような気がするのだが、物語の展開や構成、そして何より作者の創造力に感服する。江戸川乱歩的なミステリー性と怪奇性などが盛り込まれつつ、冒険譚やロマン小説の趣がたっぷりとある。娯楽時代小説の一つの形がこれで形成されたと言えるかもしれない。

 この全集の8巻に収められているのは、歴史小説ではなく、作者が創作した謂わば冒険ロマン小説で、次に『隠密七記』を読もうと思っている。

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