2012年12月28日金曜日

田牧大和『散り残る』


 師走の風が吹いて、今年もいよいよ押し詰まったという感がある。空はどんよりと曇り、今にも雨が落ちそうで、これから年末まではあまりすっきりしない予報が出ていて、混乱した2012年の幕引きにはふさわしいのかもしれないと思う。若干、風邪の微熱があるのか、ぼんやりした気分で一日が始まった。

 昨日は田牧大和『散り残る』(2011年 講談社)を読んで、これは読み終わって嬉しくなるような作品だと思った。前にこの作者の作品『身をつくし 清四郎よろず屋始末』(2010年 講談社)を読んで、少し時代考証や背景に難点を感じつつも読みやすい作品だと思っていたが、『散り残る』は、登場人物といい、構成や展開といい、また文章も洗練されて、優れた作品だった。

 本書には三人の主人公がいる。その一人は、医師を目指す誠之助という青年で、彼はその名のとおり、誠実に医師を目指して小野寺宗俊という名医のしたで修行している。彼は杉田玄白らが表した「解体新書」を読みたいと願っていたが、それを許されないばかりか、弟弟子にはそれが許され、しかも宗俊のもとを出て「藤家」という薬種問屋の薬草園に一年ほど行ってそこで学ぶようにと言い渡されるのである。彼の中にどこか鬱屈したものが残り、彼は止むなく「藤家」の薬草園に出かけるのである。

 もう一人の主人公は、その薬草園の用心棒をしている柿沢左近という青年武士で、彼は元町奉行所の同心であったが、ある事情があって藤屋の薬草園の用心棒をしているのである。物語は、その事情を巡って展開されていくが、彼の中にもある葛藤があり、その葛藤が柔らかい筆ながら鮮明に描かれていく。

 三人目の主人公は、「早苗」という藤屋の娘で、薬草園を一手に引き受けて仕切っているしっかり者で、明るい女性であるが、右手が不自由で、そのことで彼女もまた葛藤を抱いて生きているのである。彼女は左近に想いを寄せているが、負い目も感じているのである。

 本書は、この三人がそれぞれに抱えている葛藤が克服されていく姿が描かれるのだが、それが、誠之助の人間としての成長と、左近と早苗が抱えている負い目の克服が、それぞれの葛藤や負い目に真摯に向き合うことでなされていくのである。誠之助と左近は共に早苗に想いを寄せ、早苗は左近に想いを寄せているが、それは決して陰湿なものではなく、それぞれの葛藤の克服の過程で三人は深い信頼と絆で結ばれていくのである。

 こういう明瞭なテーマが中心に据えられていて、いくつかの出来事が記されていくから、物語に深みがあり、しかも描写が柔らかいので、それぞれの思いやりがあふれて、何かほっこりとするものを感じることができるのである。

 物語は、弟弟子との確執や尊敬する師匠から追い出された格好になった誠之助が、鬱屈した気持ちのままで、上野寛永寺の枝垂れ桜の下にいる「桜の精」とも思えるような女性に出会うところから始まる。その女性が、彼がこれから向かわなければならなかった薬種問屋の藤家の娘「早苗」であったのである。

 彼の気分は鬱屈していたが、藤屋の人々は彼に温かく接する。人が良くてのんびりとしているが芯はもっている藤屋の主と長男、しっかりと藤屋を取り仕切っている女将と「早苗」、そして、早苗が想いを寄せているように見える元は切れ者の同心であった左近。その中での彼の生活が始まり、やがて、早苗の右腕は左近が斬ったものであることが分かっていくのである。早苗と左近の葛藤はそこにあったのである。しかし、誠之助の鬱屈は、彼らの温かさの中で氷解し、彼の人間的な成長が彼らとの交わりを通して行われていく。

 左近は切れ者の南町奉行所定町廻り同心だった。そして、同じ剣術道場の仲間で旗本の次男坊だった者が浪人たちを集めて大店の商家を襲うことを企んでいることに気づき、その旗本の次男坊と対決するのである。その時、左近に陰ながら想いを寄せていた早苗が対決の現場に現れて、左近が振り下ろした刀が流れて、早苗の右腕を斬ってしまったのである。そのことで、左近は同心を辞め、剣術道場の師匠は自分の門下生から強盗を働く者が出たこともあって、道場をたたみ、隠息したのである。

 左近は、その後、償いのために藤家に出かけ、藤屋の主が、それならばと彼を薬草園の用心棒に雇ったのである。その藤屋の主の懐の大きさが、やがて彼を徐々に変えていくが、自分が早苗の右腕を斬ったことを背負い、早苗は早苗で、自分が軽薄な思いで対決の場にでたことの浅はかさを感じていたのである。

 そうした負い目を持ちながらも、明るく生きている早苗や藤屋の人々の温かさ、まっすぐ誠実に生きていこうとする姿などから、誠之助は徐々に変えられていき、藤屋を強請ろうとする人間が現れて、その対処をしたりしていくうちに、彼の持ち前の真っ直ぐさが発揮されるようになるのである。

 そして、早苗が、右腕を斬られた時と同じような大店を強盗するという文書が届けられる事件が発生し、それを解決するために左近も、自分と真っ直ぐに対峙していくようになるのである。こうして、それぞれがそれぞれの葛藤を克服していくようになるのである。

 描写が丁寧で、互いに思いやりにあふれた人々が描き出されて、全体が、まるで暖かい春風に揺られている枝垂れ桜のように描かれ、包まれている。この作者は、やわらかさの中で鋭さもあり、強請や強盗、嫉妬や妬みなどが織り交ぜられて物語を展開させる力を持っていると感じた。「育ちの良さ」のようなものが作品にある気がする。一服の清涼剤と成りうる作品だった。作者の技量は相当に進んだものとなっている。精進の賜物かもしれない。

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