冬の晴れた寒い日になった。冬の太平洋沿岸らしい天気で、少し強い北風に黄金色の銀杏の葉が舞い落ち続けている。
『剣難女難』に続いて、全集の第1巻に収められている吉川英治『神変麝香猫』(1967年 吉川英治全集1 講談社)を読んだ。
『神変麝香猫』は、1926年(大正15年)に『講談倶楽部』に発表された作品で、島原の乱後の江戸を舞台にし、島原の乱と由井正雪の乱を絡ませて、徳川幕府に反旗を翻していく者たちと、彼らが反旗を翻さねければならなかった心情を理解しながらもそれを阻止していく者たちとの闘いを中心に据えながら、伝奇的ロマンを要素にして活劇譚として描き出したものである。
もちろん、島原の乱(1637-1638 寛永14-15年)と由井正雪の乱(慶安の変-1651年 慶安4年)は歴史的事件であるから、当然、実在した人物たちが出てくるが、中心となるのはキリシタン大名であった高山右近(1552-1615年 1614年-慶長19年に国外追放)の娘で美貌の「お林」と柳生兵庫助(作中では兵庫、尾張柳生の祖となった柳生利巌 1579-1650年)の子で、夢想小天治と名乗る柳生道之助である。「お林」も柳生道之助も作者の創作した人物である。
「お林」は、キリシタンであることを嫌って父親の高山右近が国外追放にあった時に、国内に残って、密かに長崎で育てられ、キリシタンではなかったがキリシタン弾圧の手を逃れ山中で生活し、その間に武芸を取得したが、島原の乱の時に兄と慕った天草四郎時貞を殺されて多くのキリシタンが殺されていくのを経験した女性で、自らも一度は捕縛されて背中に十字架の焼印を押された娘として設定されている。多くの無辜の民が殺されたことへの復讐に燃えている美貌の女性である。彼女は猫を自由に扱うことができ、麝香の香りを漂わせていることから「麝香猫」と呼ばれている。
柳生道之助は、腕利きの剣士であるが、素行が悪くて勘当され、「夢想小天治」と名乗って浅草の侠客「矢大臣の双兵衛」の家に引き取られている若侍で、無聊を囲っていた彼が「お林」の復讐劇に巻き込まれていくのである。
物語は、島原の乱で天草四郎時貞の首を取ったと言われる細川家の足軽だった陣佐左衛門への「お林」の復讐劇から始まっていく。陣佐左衛門はその武功により三百石を賜るようになったが、その陣佐左衛門を「お林」が湯女となって女の色香で篭絡していくのである。その湯屋にたまたまいたのが夢想小天治こと柳生道之助で、彼はその不思議な女性の正体に興味を惹かれて、事件に入り込んでいく。
「お林」のもとには、兵学者であり武芸の熟達者である「画猫道人」を名乗る会津宗因と、親がキリシタンであったために殺されて天涯孤児となった身の軽い「むささび小僧」がいて、島原の乱の残党たちも集まっていた。「画猫道人」は「お林」の育ての親であり、また優れた軍師でもあった。
「お林」はその素性を初めから夢想小天治に明らかにし、堂々と渡り合っていく。「お林」が使った銀の簪にマリア像が彫られていたことで、キリシタンと関連があることがわかっていたからである。マリア像が彫られた「お林」の銀簪を手にした小天治は、事柄が大きいことをかんがみて、島原の乱で軍目付として働いた牧野伝蔵成純に相談し、牧野伝蔵は蟄居中であったにもかかわらず、松平伊豆守信綱に密かに相談に行く。
ちなみに、牧野成純は島原の乱の時にエラスムス像を持ち帰ったと言われる。そのエラスムスの像は、現在、重要文化財として国立博物館に収められている。そのように、彼は今後のためにキリシタンの資料を集めたが、それがあまりに多かったために幕府からキリシタンに傾いているのではないかと疑われて蟄居を命じられたのである。
物語では、その牧野伝蔵(成純)から話を聞いた松平伊豆守信綱は、夢想小天治こと柳生道之助に今後の探索を依頼し、小天治と「お林」は互いに敵味方になっていく。
やがて、「お林」は色香で虜にした陣佐左衛門の首をはね、将軍家光の気鬱を紛らすために江戸城で行われる能舞台の舞手に化けて、江戸城内に入る。このあたりの方法も詳細に展開されていくが、それを察した老中松平伊豆守信綱がこれを密かに阻止しようと小天治に防御を依頼する。だが、「お林」ら一派は、江戸城に作られていた抜け穴を利用して、江戸城のご金蔵からまんまと軍資金として一万両を奪い取り、しかも江戸城の抜け穴の詳細を記した秘図である「黒縄巻」を奪い取っていくのである。
「黒縄巻」は、「お林」の手から「むささび小僧」に渡されるが、「むささび小僧」が逃げる途中で、小天治が厄介になっている「矢大臣の双兵衛」の手に渡り、「矢大臣の双兵衛」は、それとは知らずに「黒縄巻」をもったまま富士講に出かけていく。
ここで、幕府転覆を企む由井正雪が登場する。由井正雪は、「お林」が「黒縄巻」を手に入れたことを知っており、江戸城の抜け穴を記した「黒縄巻」を狙っていたのである。こうして、「黒縄巻」を巡って、「お林」たち、夢想小天治たち、そして由井正雪たちの三つ巴の戦いが始まっていくのである。由井正雪と共に行動した槍の丸橋忠弥は、浪人者として「画猫道人」の隣で槍術を見世物にして糊口をしのいでいたが、いつの間にか「お林」の一派となっていた。彼は由井正雪の手先として潜り込んだのでいたのであった。
「矢大臣の双兵衛」の手元にあった「黒縄巻」は、それから持ち主が変転していく。物語は、この「黒縄巻」を巡って展開されていくが、「矢大臣の双兵衛」は、富士講に出かけて彼を追ってきた由井正雪の手によって殺され、「黒縄巻」は由井正雪の手に渡る。しかし、夢想小天治はそれを激闘の末に再び取り戻すのである。こうして「黒縄巻」は再び江戸へ運ばれるが、その途中で摺りに取られてしまい、それが再び麝香猫の「お林」の手に渡るのである。
他方、島原の乱以後精神の均衡を欠いてきた徳川家光は、能舞台が行われた日に「お林」に脅されてさらにキリシタンを恐るようになり、禁教の令をさらに厳しくして取締に当たらせていたが、彼の精神は一層壊れかけていく。そして、それは「精神が剛」ではないからという理由で側近たちが手はずを整えた辻斬りへと進んでいくのである。辻斬りのつの味をしめた家光は夜な夜な辻斬りを繰り返す。そこを麝香猫の「お林」につけこまれ、ついに辻斬りの現場で麝香猫の「お林」に捕らえられてしまう。
家光の行くへはようとして知れない。小天治も別方面からの探索に出たたま行くへがしれなくなっていた。松平伊豆守信綱は家光を探すために江戸城からの抜け道の一つである武蔵野に出、また、小天治を案じた柳生飛騨守宗冬も蟄居中でキリシタンに詳しい牧野伝蔵成純を訪ねて相談し、武蔵野の一角に不思議な屋敷が建てられたことを知り、それを探して武蔵野へ出る。こうして、舞台は武蔵野(荻窪あたり)に移る。麝香猫の「お林」が画猫道人の知恵で建てた仕掛け屋敷がそこにあったのである。
家光はその屋敷の中で囚われ、小天治もまたその仕掛けに落ちて捕らえられていた。松平伊豆守はそこで出会った牧野伝蔵と共に小天治を助け出していくが、以前から自分が行ったことによってさらにキリシタンたちが苦しめられていることを知った麝香猫の「お林」は、事ここに至って覚悟を決め、家光、松平伊豆守にキリシタン政策を改めることを約させて。一党を解散し、家光を開放して自ら縛につく。
松平伊豆守は、麝香猫の「お林」に約した通り、牧野伝蔵の手を借りてキリシタン政策を次々と改め、ここに「お林」の目的は達成された。「お林」や画猫道人は死罪を覚悟していたが、事柄を公にすることを避けたかった松平伊豆守は、家光の内意を受けて彼らを解放し、やがて、「お林」、画猫道人、「むささび小僧」は、「お林」の父親であった高山右近が最後を迎えたマカオへと船出していくのである。いつしか、「お林」に想いを寄せるようになっていた小天治が見送りに来る。「お林」も小天治への想いを抱くようになっていたが、二人は今生の別れをして物語が閉じる。
冒険譚あり、活劇あり、政治の抗争あり、人情も恋もある。そして、苦しめられる者の悲しみや欲で動く者がある。島原の乱後という政治的、社会的状況が物語のリアリティを醸しだし、次々と波乱の展開がなされて、誠に絶妙な物語である。もちろん、作品として欲を言えばきりがないが、松平伊豆守などを苦慮する人間として描き出すあたりはさすがである。歴史に対する観点がしっかりしているのでなおのことである。読んで、「あ~、面白かった」というのが先に来る。そして、面白いだけでは意味がないが、面白くない作品は小説とは言えないのだから、小説の真髄がここにあると言える気がする。
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