2012年12月3日月曜日

吉川英治『剣難女難』(1)


 師走の声を聞くようになってしまった。昨日からひどく寒い。今も冷たい雨が落ちそうである。アドベントの季節に入ったので、普段よりも一層心を鎮めて一歩一歩の日々を過ごしたいと思う。

先日、あざみ野の山内図書館に行った折に、1967年に講談社から発行された吉川英治全集があるのを見かけ、その第1巻目を借りてきた。この全集には解題もなにもなくて、その作品がいつごろ書かれてどこに発表されたのかもわからないが、二段組で全集としての読み応えはあり、作品を愉しむには十分だろうと思う。

 その全集の第1巻に収められている『剣難女難』(1967年 吉川英治全集1 講談社)を、物語手法の巧さを感じながら面白く読んだ。吉川英治の作品は、事柄が無駄なく連続して展開の妙は卓越している。そして、人間の描き方がストレートだから、楽しみながら読むには優れていいと改めて思う。

 『剣難女難』は、吉川英治が初めてこの名を使い、1925年(大正14年)に創刊された『キング』に連載されて、本格的な作家の道を歩み始めた作品で、1926年に講談社からまとめられて出版されたものである。この翌年に、先に読んだ『鳴門秘帖』が連載され、気鋭の作家としての人気を博していくのである。吉川英治33歳の時の作品である。

 『剣難女難』は、軟弱に育った武士の成長物語である。表題通り、剣難と女難が次々と襲いかかっていくというもので、時に発奮したり、時に堕落したりしながら、紆余曲折を経てひとりの人間になっていく物語と言えるだろう。

 主人公の春日新九郎は、幼い頃に母が辻占で「剣難女難の相」があると見立てられ、一切の剣技から遠ざかって、剣を見るだけでも身震いがするほどの軟弱な青年に育っていったが、町道場を開く兄の重蔵は優れた剣技の持ち主だった。あるとき、大津の京極家の剣術指南役である大月玄蕃という男に襲われていた正木千浪という娘を兄の重蔵が助けたことから新九郎と千浪は恋仲となっていくが、京極家との剣術試合で兄の重蔵の足が京極家の助太刀として雇われた剣の名手であった鐘巻自斎に打ち砕かれ、仇を果たすほどの腕もない新九郎は千浪と心中しようとする。彼はそれほどの軟弱な精神の持ち主だった。

 だが、そこに千浪を狙う大月玄蕃が現れ、彼らを襲ったために二人は激流に飛び込んでしまうのである。春日新九郎は、川の中から助けられ、そこで養生するうちに、悄然と自らを省みて、兄を負かした鐘巻自斎を打ち負かして無念を晴らす決意をし、剣の道を進もうとする。これまで竹刀を握ったこともなかったが、決意だけはあり、しかも天分が彼にはあったのである。

 武者修行の旅の途中で、野伏(山賊)のような振る舞いをして娘を拐かそうとする一団に果敢に戦いを挑むが投槍の名手である西塔小六に敗れ、山中に捕らえられてしまう。ところが、その一団の頭の愛妾であった「お延」に一目で惚れられてしまい、それが彼の女難の始めとなる。しかし、「お延」の手引きでそこを逃れることができたが、「お延」に邪な想いをもっていた西塔小六に襲われ、新九郎はまたしても崖下に転落し、「お延」は小六の女になって山を下る。

 崖下に転落した新九郎は、村落の百姓に助けられ、再び武者修行をするが、剣の腕はなかなか上達しない。試合を挑んで散々な目に合う。しかし、心中を企てた時に死んだと思っていた「千浪」も助けられ、遊郭に売り飛ばされようとしていたところに行き合って彼女を助け、郷里から出てきていた任侠の親分とも会い、江戸で修行を積む道が開かれていくのである。「千浪」は任侠の親分と共に郷里に帰り、新九郎の大願成就を待つことにする。

 江戸で任侠の親分の家に厄介になりながら、そこにいた用心棒の金井一角に体術を習いながら日々を過ごすが、実は、その金井一角は対立する別の任侠から送り込まれた人物で、新九郎は任侠どうしの縄張り争いに巻き込まれていくのである。彼は大川の船上で金井一角と組合い、そのまま大川に流されてしまう。まさに流転の人生である。

 そのころ福井に戻っていた大月玄蕃は、「千浪」の父親を闇討にかけて殺し、「千浪」と新九郎の兄の春日重蔵はその仇討ちに出ることになり、大月玄蕃の後を追う。しかし、碓氷峠で待ち受けていた大月玄蕃によって返り討ちにあいそうになる。だが、そこに居合わせた鐘巻自斎によって助けられ、重蔵は自斎が一流の剣客であり、また武士の心根を正しく持った人物であるっことを知り、鐘巻自斎もまた、新九郎が立ち直っていたことを喜んで、新九郎が修練を積むまで待つと語り、「千浪」と重蔵は江戸に向かうことにするのである。

 他方、大川に落ちた新九郎は、船遊びをしていた下冷泉家の娘「光子(てるこ)の御方」に助けられる。これが彼の第二の女難の始まりで、「光子の御方」は、妹が四代将軍家綱の愛妾となったことから江戸に出てきて御船手屋敷を拝領し、好き勝手に暮らしていたのである。「光子の御方」は、助けた新九郎に惚れ、手練手管を使って彼を篭絡していくのである。
 しかし、鐘巻自斎に一手を打ち込み無念を晴らすという大願成就を抱いた新九郎は、御船手屋敷を出て、小野派一刀流の道場に入門して剣を習うことにする。そこで水汲みから床掃除までの下働きをしながら精進していくが、いっこうに腕が上がらず、そうしているうちに道場主の客人として鐘巻自斎がやってきて、彼に試合を望む。道場主でさえ自斎には一歩譲らねばならぬ程の腕を持つ自斎に新九郎がかなうはずもなく、彼は敗れ、道場の規則を破った不届き者ということで破門されてしまうのである。

 彼は自斎にはとうていかなわないと萎縮してしまうが、そこに江戸に出てきた時に厄介になっていた任侠の子分たちが行き合わせる。彼が世話になった任侠の親分は、敵対していた他の任侠のもとに転がり込んでいた金井一角、槍投げの小六、大月玄蕃によって東海道の山中で殺され、子分たちはその仇を討とうと江戸に出てきたところだった。その話をしているところを金井一角らに襲われる。しかし、いくばくかでも小野道場で修行を積んだ新九郎は見事に金井一角を討ち取ることができた。だが、彼が金井一角を追い詰めた先にいた武家侠客に捕らえられてしまう。

 ところが、新九郎に惚れていた「光子の御方」が彼を奪い返し、彼は再び彼女の御船手屋敷で暮らすことになるのである。そして、「光子の御方」は妖艶で、彼はついにその陶酔の酒に溺れていくのである。金も酒も女もある。しかも、目的とした鐘巻自斎にはとうていかなわない。彼はその中で自堕落にふけり、身を持ち崩していく。彼はそこで、かつて山中で彼を逃した「お延」とも会い、自堕落に自堕落を重ねていく。世話になった任侠の親分の仇討ち騒ぎで投槍の小六を仕留めることはできたが、彼の自堕落な酒浸りの生活は続いていく。

 江戸に出てきた虚無僧姿の「千浪」と兄の重蔵が武家侠客に言いがかりをつけられ、襲われているところを新九郎は助けたが、名乗りを上げることができず、自分の不甲斐なさを恥じて詫び状をしたためただけであった。「千浪」と重蔵は、新九郎が堕落してしまったことを知り、悲嘆にくれるが、新九郎は「光子の御方」の甘美さから逃れることができないでいた。しかし、体面を壊された武家侠客が御船手屋敷を襲い、焼け落ちる屋敷の中から新九郎は逃げのび、「光子の御方」も、嫉妬心で「お延」を殺してからその場を逃げる。

 他方、大月玄蕃の行くへを探していた「千浪」と重蔵は、大月玄蕃が元の京極家の江戸家老の家に入っていくのを見かけ、彼を討とうとする。だが、重蔵の足は悪く、「千浪」は女で、とうてい大月玄蕃の敵てはない。だが、大月玄蕃はそのころ元の京極家への士官の話が進んでおり、騒動を起こすことができないから逃げる。しかし、逃げる途中で大名の行列と行き会ってしまい、その大名に捕らえられる。その大名が、なんと、郷里福知山の城主松平忠房であった。忠房は、二人をあっぱれと認めて仇討ち免状を出した人物であり、新九郎の大願も知っていた。大月玄蕃は、松平家の下屋敷に捕らえられることになるのである。

 はてさて、波乱万丈の展開。文章の歯切れの良さと展開の絶妙さが相まって、物語が進み、いいよ佳境へと向かっていく。自堕落に陥ってしまった春日新九郎はどうなるのか、そういう興味に引き込まれていくような展開になり、任侠どうしの争い、大名の争い、男と女、そうしたことが絡みながら進んでいくのである。面白いの一言に尽き、物語小説、かくありなんとも思う。人間の成長の記録が本筋として記されていくのもしっかりした構成を思わせる。長くなるので、物語の続きは次回に記すことにする。

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