2013年2月20日水曜日

乙川優三郎『武家用心集』(2)「しずれの音」


 昨日は雪が舞う寒い日だったが、今日は、気温は高くないものの晴れてきている。日毎に天気が激変するのは身体にこたえるが、これもまた今の季節ならではのことだろう。

さて、乙川優三郎『武家用心集』(2003年 集英社)に収められている第二話「しずれの音」についてであるが、これは、老いて病んだ母親の看護の問題を取り扱った問題意識の高い作品で、「しずれ」というのは、「垂れ」と書き、木の枝などに降り積もった雪が滑り落ちることを言う。

 物語は、病に倒れて老いた母をもつ娘を主人公にして描かれるが、子連れで、同じように幼い子どもがいる家に後妻に入った母の吉江は、その二年後に夫を亡くし、家禄が減石された家を継いだ。わずか十五石で、暮らしを立てるために懸命に働きながら血の繋がらない錬四郎と実子の寿々を育てた。

 やがて、寿々は他家に嫁ぎ、錬四郎も成長し妻帯した。そして、長い間の無理がたたって、吉江は病に倒れた。手足が不自由になって寝たっきりになったのである。血の繋がらない子ども夫婦がいる中で、吉江は遠慮がちに生活しなければならなかった。ときおり、寿々が見舞うと、明らかにほっとした表情を見せ、我慢していた小用もすませるし、食事も取るようになるのである。そうした彼女の心情は悲しい。そして、寿々を錬四郎の嫁にしなかったのを悔やむようになる。

 錬四郎の妻の房は、看病に疲れたような顔をしていたが、あるとき、ふいと実家に帰り、このままだと離縁すると言い出す。錬四郎は、自分も勤めがあるので吉江の介護ができないから、一ヶ月だけでも吉江を預かってくれないかと寿々に申し出る。そして、寿々は夫に遠慮しながらも吉江を預かるのである。

 だが、一月半経っても錬四郎からは何もいってこなかった。錬四郎の妻の房も、吉江がいなくなったので戻ってきたという。しかし、寿々の夫にも一言の挨拶もなかった。寿々の夫の周助は、そういう錬四郎に腹を立てていたし、次第に吉江を負担に思い始め、夜に出かけていくことも、夫婦の間で吉江を巡っての争いも起こり始めた。吉江は寿々の家に来てからも、周助に遠慮してひっそりと目立たないように生活して、小用も我慢するほどだった。そういう吉江にとって寿々の娘の幼いゆりが唯一の慰めで、ゆりの屈託のなさが少しだけ吉江を明るくした。

 寿々は、夫に言われて、錬四郎の家に事情を聞きにいくが、兄嫁の房は、「おかあさまのことは寿々どのが望んで引き受けた」と兄から聞いていると言い、血の繋がりはないのだからと絶縁を匂わせ、吉江を引き取るつもりはないようだった。

 これを聞いて夫の周助は激怒するが、口頭では角が立つので、文書をしたためて錬四郎に出すことにした。しかし、錬四郎からは何の返事もないばかりか、そもそも錬四郎と嫁の房との間に離縁話などなく、重荷となっていた吉江を寿々に引き取らせる策であったこともわかる。

 房の実家の兄は、間に立って、房が子どもを身ごもり、錬四郎にも出世の話が出ているから、もう一年だけ吉江を預かって欲しいと申し入れをしてきた。吉江は、錬四郎が一度も見舞いにさえ来ないことも、自分が厄介者として扱われていることも承知していた。その話を聞いて吉江は不自由な体で、ただ涙を流すだけであった。寿々の夫への気兼は続き、彼が郡方として外回りをして不在の時だけ心が和むようだった。夫の周助は何も言わなかったが、家の中の空気は重かった。やがて、吉江の食も細くなり、自分は錬四郎のところには帰りたくないから、このまま死なせてくれとまで言い出すようになる。

 だが、約束の一年が経っても錬四郎からは何も言ってこなかった。そればかりか、寿々の家と義絶するとまで房の兄を通して言ってきたのである。周助は激怒し、錬四郎と果し合いをするとまで言い出す。だが、その時、吉江が「これは男が命をかけるほどのことでもない。明日、寿々に錬四郎の家の戸口まで運ばせてくれ。自分は疲れたし、ここに置いていだたく理由はない」ときっぱりと言うのである。寿々は、ただ泣き濡れるだけであった。

 翌日、寿々は母親の吉江を荷車に乗せて錬四郎の家まで出かけていく。いくら血の繋がりがないとは言え、これまで苦労して育ててもらった恩も義理もない錬四郎に愕然とするし、夫の周助は吉江が言ったことで、面倒から逃れてほっとしているだろうと、寿々は思う。寒々とした心を抱いて、寿々は母を乗せた荷車を引く。

 その時、ふいに垂れの音が聞こえた。「人でなし」そう言われているような気がした。そして、初めから覚悟が足りなかったと思うのである。人ひとりの余生を預かる覚悟があれば、自分も周助も、錬四郎や房に振り回されることはなかったはずだ。寿々はそこで立ち止まり、立ち尽くしたあとで、ゆっくりと荷車を元きた道に向きを変えて引き返していくのである。

 そして、家の近くまで帰ってきたとき、夫の周助が雪道に転びながら駆けてくるのが見えた。

 この結末を作者は次のように記す。
 「彼女が驚いている間にも周助はみるみる近付いてきた。そして寿々から少し離れたところで立ち止まると、喘ぎながら何か言おうとしたが、息が切れたらしく言葉にはならなかった。城から形振りかまわずに駆けてきたのだろう。
 『どれ、わしが代わろう』
 ようやく歩み寄って、そう言ったとき、寿々は荷車の梶棒を握りしめて立ち尽くしながら、どうしようもなく溢れてくる涙を流れるままにしていた。急に喉の奥が凍りついてしまい、旦那さま、と言おうとした声はどこかに消え、かわりに何かしら甘く澄んだものが胸の中から溢れてくるようであった」(84ページ)。

 この最後の文章は、わたしを圧倒した。介護が必要な吉江を巡る緊張が「垂れの音」と共に消えて、深い愛情の覚悟が温かく包む。まさに珠玉の結びだと思う。わたしは思わず涙した。

作中の男をみれば、錬四郎は重荷となった義母を捨てた男となり、周助は義母を抱きかかえる男となる。寿々は、夫を深く信頼して愛するだろう。房は、やがて老いて、重荷を嫌う夫や子どもから捨てられるだろう。そうはならずにそれなりに暮らすことができたとしても、重荷を負わずに捨てたことで、彼らは人が生きる意味を失うのである。その文学性は高い。こういう作品が、短編の珠玉の作品ではないかと、わたしは思っている。

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