乙川優三郎『生きる』(2004年 文藝春秋社 2005年 文春文庫)に収められている第二作「安穏河原」は、遊女となった一人の武家の娘と、何の取り柄もないままに無頼の徒となった男の話しで、どうにもならない状況の中で、人としての心の豊かな原風景を持ち、それを大事にしながら生きる姿を描くことで、人間の生き方を直截的に物語った作品である。
主人公の一人である双枝(ふたえ)は、幼いころに両親と晩秋の河原に紅葉狩りにいった幸せな記憶を心に宿しながら、それをときおり思い起こすことで生きる力をもつことができるような厳しい状況に置かれていた女性だった。
そのころ、彼女の父親の羽生素平は小藩の郡奉行で、80石を賜わり、毅然として、家族にも自分にも清廉な人であった。藩では財政の危機に加えて凶作が加わり、藩の執政たちは領民から一律に金を集める策を取ろうとした。郡奉行として羽生素平は、その策が百姓たちを苦しめることになると、その策に真っ向から反対し、退身する覚悟で意見書を執政たちと藩主に提出した。だが、素平の意見は顧みられず、素平は、退身して国を出て、江戸での浪人暮らしをすることとなった。そして、何とかなると思っていたえどでの暮らしはどうにもならず、持っていた金は三年で使い果たし、八年後には母親が病臥し、その二年後には、ついに娘を遊女に売らざるを得なくなったのである。「これからどんなことがあろうとも人間としての誇りだけは失うな」(文庫版 109ページ)、それが双枝が女衒に売られていく時の素平の言葉だった。
こうして、双枝は遊女となり、彼女のもとへ井沢織之助が通ってくるのである。織之助は、口入れ屋で素平と知り合い、素平に頼まれて双枝のいる遊女屋に行き、素平から金をもらって双枝を一晩買うのである。織之助は、それが素平の娘打と気づいてからは、話をするだけで同衾することはなかった。遊女である双枝の身体を休ませるということも素平の父親としてのささやかな望みであることを織之助は察していた。素平は、あらゆることをして金を工面して月に一度くらいの割合で織之助に双枝を買うことを依頼していたのである。
井沢織之助は、父親が羽州山形の浪人で、織之助が生まれた頃には既に江戸で木戸番などをしながら暮らしていたが、学問もなければ武家の匂いもしない男で、織之助は武芸の素養もなければ、武家の礼儀作法なども知らず、両親がなくなったあと、一時は瓦職人の見習いに出たこともあったが、三年たっても無給で、それに不平を言うと追い出され、刀をさしていることだけで、大工や人足の見張りを頼まれたりして糊口をしのいでいた。どの仕事も長続きせず、身についたのは、酒と女と世渡りの知恵くらいだった。彼は、気ままに生きていながらも、心の中に寂寞を抱え、座頭の金貸しの借金取りたてなどをしていた。
双枝は、女郎に身を堕としていたが、武家の娘として凛としたところがあり、今も尚、父親が厳格で毅然としていると思い込んでいた。「わたしは、お腹いっぱい」と言って人の施しは受けない姿勢を貫いていた。それが、武家としての誇りを失わない父親の教えだったのである。そして、実はその毅然とした父親の姿こそが彼女の原風景だったのである。たとえ、実際の父親の姿が萎れた草のようだったとしても。
女郎としての双枝の借金は膨れ上がり、たとえ年期が明けても、彼女が自由になる望みはほとんどなかった。やがて病臥していた母親が死に、素平は何とか双枝の借金返済の金を作ろうとしていた。
その年、江戸は暴風雨に見舞われ、織之助が住む長屋も水に浸かる出来事があった。織之助は刀と巾着に入るだけの金を持って屋根の上にしがみつき、懐の巾着は重いために捨て去り九死に一生を得ることができたが、無一文に戻っていた。素平も嵐で金の大半を失ったという。その素平が織之助に同行を依頼して、以前に仕えていた藩の上屋敷に堂々と向かったのである。
そこで素平は、おのれの不明のために零落したのだから、せめて上屋敷の庭を拝借して武士として切腹することを望んだのである。彼は、江戸家老に、かつて自分が反対した政策がどうなったかを尋ね、その政策が取りやめになったと聞いて満足し、見事に腹を斬るのである。そして、それを見た江戸家老も、素平の死後をきちんと弔い、三十両の金を出したのである。この出来事に立ち会った織之助の中で何かが変わっていった。彼は、素平の望み通り双枝を自由にするために、その三十両をもって出かけていく。
だが、双枝がいた女郎屋は、彼が行ったときには閑散としており、役人の手入れがあって、双枝の行くへがわからなくなっていた。双枝は役人の手を逃れたと聞いたが、ついに彼女を見つけることができなかった。自由になれるその日に、双枝はいっそうの不幸に見舞われたのである。
それから月日が流れ、織之助は古着の商いを始めて、商売は順調に伸び、柳原の床店を買う話しが持ちあがる。そこで、団子屋の前で店先に立つ四〜五歳の少女に目が留まる。織之助は思わず団子屋に行き、団子を買ってその少女に「さあ、お食べ、遠慮はいらないよ」と声をかけた時に、その少女は首をふって「おなか、いっぱい」と答えたのである。
織之助は驚き、その少女の名前を聞いたら、「織枝」と言う。一月ほど前に夜鷹をしていた母親が死んで、柳原の稲荷の物陰に住んでなんとか生き延びてきていたのである。床店の売主は、「夜鷹の子ですよ。あんなものに関わっちゃあうけない」と言うが、織之助は、「わたしにはもっと大事なことができました」と、商売の話を断り、少女の母親が死んだという川端へ行き、「わたしは、おまえのかかさまをよく知っているよ、それは潔い人だったね」と語る。
物語の最後は、
「気が付くと、いつの間にか空を紫紺色に染めていた日の光は失せて、二人のいる川辺はすっぽりと闇に包まれていた。風が揺らすのだろう、川面がひたひたと音を立てている。
『かかさまが、ほら、そこで笑っているよ』
織之助は儚い笑みを浮かべた。二十三歳のまま変わらない双枝の顔が見えている。娘は微かにうなずいたようだった。にわかに冷えてきた風に吹かれながら、無心に団子を頬張る娘も、じっと川面を見つめる織之助も、いつしか湛々とした安らぎの中にいた」
で閉じられている。