2013年8月19日月曜日

乙川優三郎『蔓の端々』

「猛暑」、「酷暑」、「炎暑」、どれをとっても暑い。ほんの少し身体を動かすだけでも汗が滴り落ちる。この暑さはまだまだ続くらしい。明日から休暇に入る。

 週末から乙川優三郎『蔓の端々』(2000年 講談社 2003年 講談社文庫)を読んでいた。これは、小藩の政争に否応なしに巻き込まれた軽輩の下級武士たちの姿を描いたもので、本書の中に、「おそらく一生を足軽として終えるであろうことは物心がついたころには覚悟し、上から命じられるままに働き、これからも藩の豊約に関わりなく暮らしに追われてゆくに違いない。言ってみれば、か細い蔓の端に生まれたために、否応なく大木にしがみついて生き延びるしかない人間だった」(文庫版 236ページ)という一文があるが、その「か細い蔓の端」で生きなければならない人間の物語である。

 主人公の瓜生禎蔵は、幼い頃に父と母を失い、下級藩士であった瓜生仁左衛門に引き取られて育てられ、十法流という流派の剣術道場で修行を重ねている青年だった。養父は武具方の軽輩で、禎蔵は養父の養子となって武具方のあと目を継いでいた。だが、禎蔵は、いずれは自分の力で這い上がることを志して剣の修行を重ねていた。彼の隣家の娘八重とは幼馴染で、禎蔵は八重を嫁に貰おうと考えていたし、八重も幼い頃から禎蔵を慕い、二人は相愛のように思われていた。

 ところが、ある日突然、禎蔵の剣術道場の親しい友人で、剣の腕では禎蔵と双璧をなすと言われていた黒崎礼助と八重が出奔した。禎蔵はわけがわからなくなり、友人の礼助に裏切られ、想いを寄せいていた八重に裏切られ、失意のどん底に落ちる。そして、その後、藩の実権を握っていた首席家老が何者かに暗殺され、暗殺者として黒崎礼助の名前が上がり、追っ手がかけられる。だが、礼助と八重の行くへはようとしてわからなかった。黒崎礼助は藩の剣術師範を務めるほどの腕で、追っ手を斬り抜けていた。

 しかし、この首席家老の暗殺を皮切りにして、藩の大目付の詮議が始まり、藩内で横行していた不正も暴かれて、30余名の藩士が処分され、執政たちの顔ぶれが変わっていった。役替えで、瓜生禎蔵の飲み仲間であり剣術道場の同僚で同輩である三代川勇吾は寺社目付となり、瓜生禎蔵は剣術師範となった。だが、出奔した黒崎礼助と八重の行くへはわからないままだった。そして、この状態で藩の実権を巡る争いが上層部では隠密裏に進行し、暗殺された元首席家老の一派と新しく主席家老となった一派の対立が続いていた。それには、病弱な藩主の跡目相続の問題も絡んでいた。その抗争は、一年の間に次々と藩の重職たちが四人も暗殺されるという事態を生んでいった。

 下級武士としてなんとか這い上がりたいと思っている三代川勇吾、剣術師範として否応なく藩内抗争に巻き込まれ、多くの軽輩たちの犠牲を出し、心を痛めていく瓜生禎蔵。そうした姿が克明に描かれ、それに、礼助と八重の出奔の事実に深く傷ついている重い心を抱えた禎蔵の心象風景が重ねられていく。やがて、十七年前にも同じような権力争いによる藩内抗争があり、瓜生禎蔵の実父が暗殺者として仕立てられ、黒崎礼助の父親に殺され、その黒崎礼助の父親も闇に葬られるようにして殺されていたことが分かっていく。

 藩の上層部が変わっても、下級武士たちの暮らしは変わらず、むしろ使い捨てのようにして取り扱われ、さらに貧困を招く状態が続いていた。「この一年の間に、守口、大島、小津、原田と暗殺が続いた果てに、家中同士の、それも権力とは無縁の軽輩たちの斬り合いがはじまろうとしている。何のための抗争なのか、下のものには分からぬだろう。少なからず織部家老に関わってきた禎蔵にさえ、二転三転する状況の中では、何が正しく、どこでどう道を間違えてきたのかは分からなかった」(文庫版 334ページ)のである。だが、陰湿な抗争は続き、命令されるだけの軽輩どうしの激突が始まり、多くの死者と傷ついた者が出た。だが、上の者たちはそれをただ見ているだけだった。

 多くの血が流れた後で、藩内抗争は一段落つくが、抗争によって得られたものは上の者が分け合うだけで、実際に血を流して死んだ軽輩には、わずか三両の報奨金が出ルコとが決められただけで、それもなかなか実行されず、傷ついた者たちは捨て置かれた。「役替えもほぼ済んだというのに、生き残ったものの半身の自由を失った三弥に未だ褒賞の沙汰がない。」禎蔵は、「藩という器の底に沈んでいる土砂を見るような重苦しい気分」になっていく(文庫版 348ページ)。

 そして、彼らが何とか生きることができるように瓜生禎蔵は苦心する。そんな中で、藩の重職暗殺に手を染めていた三代川勇吾が殺される。三代川の妻は少し家格が上のところから嫁いで来ていたが、暮らし向きの質を落とさずに傲慢なところがあり、そのために三代川は借金をし、その金のために暗殺に手を染めていたが、その暗殺を理由に強請ったために殺されたのである。彼の殺害に彼の妻が手引きしていた。三代川の妹は、借金を理由に無理矢理に吝嗇家の武士のところに嫁がされていたが、抗争の際に殺され、婚家を出され、行くところがなくなっていた。

 だが、半身を失った三弥は、畑を作って働くと言い出すし、三代川の妹は料理屋の女中として働き始める。それらを見て、「三代川は食うために生きるのは惨めだというようなことを言っていたが、人間は無心に日々の営みに追われている方が幸せかもしれないという気がした。そうして生きていれば、腹の底から笑える日が来ないとは限らないし、下手に欲をかくから笑えることまで笑えなくなる」(文庫版 366ページ)と禎蔵は思っていくのである。「痩せ地に芽を出した葛のようで、人の力は計り知れない」(文庫版 413ページ)のである。

 こうして一段落ついた後で、出奔した黒川礼助と八重の行くへがわかり、瓜生禎蔵は二人を捜し出す。八重はやつれ、苦労しているのが一目で分かるほどだったが、「何故?」という問いに、まだ隣家どうしだった頃に真剣に禎蔵の嫁になりたいと言った時に禎蔵が笑ってしまったことで、禎蔵の嫁になることを諦め、その頃に黒川礼助に真実に求められて黒川の嫁になることを決心したといい、その黒川が暗殺者となったとき、もし黒川が断れば禎蔵に暗殺者の命が下ることもあって、首席家老を斬って出奔したのだと打ち明ける。そこには藩主の座を巡る黒い陰謀と恨みが渦巻いていたと事の真実を告げるのである。そして、もうどうかそっとしていて欲しいと語る。瓜生禎蔵は、いったんは黒川礼助と斬り合う覚悟をするが、二人を残して国元に帰っていく。「国に帰れば、待っているのは偽善と窮乏だが、そんなところにも根を張り、たくましく生きている人間が大勢いる。嵐が去って大木は次々と倒れたが、葛はもう新しい葉をつけはじめている。仮にいつかもっと大きな嵐が来ても、彼らは生き残るだろう」(文庫版 443ページ)と思うのである。

 蔓の端々のようにして生きている人間、それは、端々として捨てられるかもしれないが、存外、したたかにたくましく生きるのである。本書は、そうした人間の姿を描くのである。描写や展開が綿密でどの文章にも作者の「心」が込められているようで、これもまた優れた作品だと思う。同じモチーフでも最近の多くの書き下ろし時代小説とは、随分質が違うのを感じる。
 

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