2013年8月14日水曜日

白石一郎『銭の城』

 文字通りの記録的な「酷暑」が続いている。もう脳みその半分以上が溶けてしまったのではないかと思えるほどの暑さの連続であるが、そろそろピークを超えて欲しい。気象庁の予報では、まだしばらくは続くらしいが。

 この暑さの中で、白石一郎『銭の城』(1983年 講談社文庫)を爽快な気分で読み終わった。本書には、表題作の他に『さいころ武士道』という、これも爽快に読める作品が収められている。

 『銭の城』は、戦国末期、豊後(大分)の大友家、肥前(佐賀)の龍造寺家、薩摩の島津家が九州の覇を巡って争っていた時代に、壱岐の百姓の息子が、子どもの頃に見た博多の豪商島井次郎右衛門の姿に憧れ、当時は蔑視されていた商人になることを決断し、博多に出てきて、持ち前の才覚を発揮して博多でも有数の卸商人となっていく姿を描いた成功物語であるが、よくあるような「成功者のいやらしさ」がどこにもなくて、実に爽やかに描かれているし、そこで発揮される商人としての才覚にも面白いものがある。主人公の商人としての才覚が人間としての才覚ともなっているからである。

 壱岐の水飲み百姓の子であった右近は、母親と妹たちとで貧しい暮らしをしていたが、自ら進んで読み書き算盤を学んでいくような子であり、豪胆で、一本筋の通ったような子どもだった。父親は、当時海賊として玄界灘を暴れていた松浦党の水夫として徴用され、朝鮮か明(中国)で死亡したと伝えられていた。彼は一家の暮らしを守りながら生活をしていた。

 だが、彼の豪胆さに目をつけた松浦党から海賊に徴用されそうになり、島抜けをして博多にでる。彼は、当時は「言をもって他人を欺き、謀(はかりごと)をもって人目を抜く者」として蔑まれていた商人になるつもりであった。代官や供侍を恐懼させるような博多の豪商であった島井次郎右衛門の姿を見て、自分も島井次郎右衛門のような人間になりたいと願ったのである。

 ところが、商売のいろはも知らず、博多の市で、もってきた壱岐するめを売ろうとして市場荒らしとして殺されかける。だが、そこに市場監督の島井徳太夫(次郎右衛門の息子で後の豪商島井宗室)がやってきて命を助けられる。右近は、命は助かったが途方に暮れ、さらに博多の無頼の子どもたちの集団である「博多わらべ」に襲われる。だが、持ち前の胆力を発揮して「博多わらべ」の一団に加わる。彼らは博多を支配して滅んだ大内家の家臣の子どもたちなどを含む浮浪児の集団で、強盗やかっぱらい、売春などありとあらゆることをして混乱した社会の中で生き延びた子どもたちだった。

 だが、強盗に入った先で捕縛された一人が殺され、博多わらべたちに動揺が走る。そのときに、仲間同士が結束を固めて互いに助け合っている姿に気づいていた右近は、彼らの「結束した仲間意識」を用いて、これを善用できればと考え、まともに協力して働くことを提案し、博多の町を支配していた町会所に出かけ、町会所の年行司の豪商の神屋紹策とかけあって町会所の人夫として雇って欲しいと申し出るのである。

 右近はそのために博多の町政に関することを自分の足で調べ、社会状況を考え、町に必要なことを調べていた。こうした右近の熱意と物事を見る目、物怖じせずにまっすぐに進んでいく力で、博多わらべをまとめ、交渉に成功して、こうして博多わらべの仕事を始めるのである。彼と出会った豪商の神屋紹策もそんな彼がいたく気に入り、援助の手を差し伸べていく。また、読み書きもできない博多わらべの浮浪児たちに読み書き算盤を習わせていくのである。博多わらべの頭領だった牡丹も右近に想いを寄せていくようになる。

 博多わらべの仕事は順調に伸びていき、そのころ危険なためにあまり取られていなかった陸上輸送の道を開き、勢力を伸ばしていた佐賀の龍造寺家にまで足を伸ばすようになったりしていた。龍造寺家の鍋島直茂に出会ったりする。こうして彼は「わらべ屋」を創設していくのである。だが、決して順調に進んだわけではない。知り合った鍋島直茂の要請に応えて敵対する龍造寺家に鉄砲や武器を売ったということで大友家の役人に捕縛され、拷問を受けて死にかけたりするし、彼が商売と人生の拠点とした博多の町そのものか戦火で灰燼に帰してしまうのである。

 博多は、元々、周防地方(山口一帯)を支配していた大内義隆の配下にあったのだが、家臣の陶晴賢に殺され(陶晴賢は毛利元就によって滅ぼされた)たあとは、豊後の大友宗麟の領地となっていた。だが、戦国末期になると大友家で内乱が起こり、それに肥前の龍造寺家、中国地方一帯を支配するようになった毛利家の介入によって、戦闘地帯となり、灰燼に帰したのである。

 右近は、博多での戦火を避けて唐津に避難していた神屋紹策の下に身を寄せ、そこで海上貿易や商売の様々なことを学び、やがて、博多の町を興すために博多に帰る。焼け野原となった博多の町で彼がとった再興策が奇抜であった。まず、彼は唯一焼け残ったが荒れ果てていた櫛田神社を修復し、それを中心にした「博多山笠」を復興させることで人々の思いを集め、門前市場を開催させて成功してくのである。こうして彼は博多でも有数の卸問屋となり、やがて海上貿易に船出していくのである。

 もちろん、この作品には右近の恋も描かれていくが、それもまた面白い展開になっている。成功物語なのだが、描写や語り口に爽やかな楽天性が漲っているから、読後感がすばらしい。

 『さいころ武士道』は、福岡藩黒田家の大身の旗本の次男坊だが、剣の腕も学問もあり、藩主の小姓として仕えていた小池半次郎が、博打好きが高じて城中でサイコロ博打をし、それが発覚して長崎に左遷され、そこで元禄の腐敗した幕府に一石を投じていくという人生をかけた大博打を打っていく物語である。

ここには、長崎警護を命じられて長崎に駐屯していた福岡藩の藩士たちの姿や権力を利用して長崎の唐蘭貿易を利用して私腹を肥やそうとした傲慢な商人、貧しい暮らしを強いられてきた人間の金への執着、徳川綱吉の「生類憐れみの令」で父親を失った娘が旅芸子として登場するなど、登場人物たちが多彩で、その中での主人公の恋なども描かれ、まるで博打を打つように真っ直ぐに進んでいく主人公の姿が、その楽天性と共にテンポ良く描かれている。

これを読みながら、話の展開は全く異なっているが藤沢周平の『用心棒日月妙』の主人公である青江又八郎を思い起こしたりした。本作の主人公の小池半次郎もなかなか魅力的で、この作品の続編が書かれてもよかったのに、と思ったりする。

白石一郎の作品は、これまでも『海狼伝』や大友宗麟を描いた『火炎城』、『十時半睡』のシリーズ、明治初期の横浜を描いた『横浜異人街事件帖』などを読んでいたが、本書はまた一味違った作品で、彼の力量と性格がよく表れた作品と言えるような気がする。

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