猛烈に激しい暑さが続いている。こう暑い日が続くと、身体が参ってしまい、この夏は、もうどこかに出かける気力も湧いてこないが、日々の暮らしの営みがあるだけに、そうも言ってられないところもある。これがいつも少々「しんどい」ことではある。
読書の方もこのところ軽く読めるものばかりを読んでいるが、上田秀人『お髷番承り候一 潜謀の影』(2010年 徳間文庫)を気楽に読んだ。これは徳川将軍の小姓(身の回りの世話をする)のうちの髷の世話をする「お髷番(月代御髪番―さかやきおぐしばん―)」が4代将軍徳川家綱の密命を帯びて活躍していく物語で、初めからシリーズ化が計画されているものの第1作目の作品である。「お髷番」というのは、まあ、将軍専用の床屋のようなものだが、将軍のそば近くにいて、唯一将軍の身体に刃物を当てることがゆるされた者であるとされ、それだけに信頼されて密命を帯びていくという設定である。こういう係りが実際にあったかどうかは定かではないが、将軍の身の回りの世話をする小姓は臣下の旗本の出世街道の一つではあった。
主人公の深室賢治郎(みむろ けんじろう)は、松平の姓をもつ譜代の旗本の妾腹の子であったが、幼い頃に4代将軍となる徳川家綱の遊び相手となる「お花畑番」であり、通常はそこから小姓、側役と出世していくはずのところ、家督を継いだ兄の悋気で役を退かされ、格下の深室家に婿養子に出されていた。婿養子といってもまだ幼く、深室家の娘の三弥との婚儀をしたわけではなく、深室家でも肩身の狭い思いをしながら暮らしていた。
徳川家綱は、父の3代将軍徳川家光の死去に伴ってわずか11歳(満10歳)で将軍位を継いだが、彼が幼い頃は家光時代の、いわゆる寛永の賢老といわれる名臣たちの補佐があり、その頃は政務を老中たちに任せて「左様せい」と決済するだけだったことから「左様せい将軍」とも言われ、脳に障害があったのではないかとか、色々言われたりしたが、温厚で文化や学問に対しての趣向や後半の治世などを見ると、江戸幕府が武断政治から文治政治へと切り替わろうとするときに、それをうまく乗り切った人物であるといえる気がする。ただ、彼はあまり身体が丈夫ではなく、病弱で、30代の半ばまで男子が生まれず、そのために幕府内で後継者をめぐる暗躍が行われた。享年40で死去し、実は彼によって徳川家の直系は途絶えている。
本書は、その家綱の治世の後半が時代として設定されており、老中が幅を利かせている幕府内で、なんとかして信頼できて自分の手足となってくれる人物を欲した家綱が、かつての「お花畑番」として寵愛した深室賢治郎を「お髷番」として登用し、彼に密命を与えていくという筋書きである。
事柄の発端は、3代将軍家光の死去と共に起こった「慶安の変(由井正雪の乱)」の裏側に紀州徳川家の徳川頼宣がいるのではないかということで、頼宣を江戸留置にしていたのだが、その頼宣が紀州に国帰りを求めたことに始まる。その際、「我らも源氏でございます」という謎の言葉を頼宣が語り、その言葉の真意を深室賢治郎に探らせるというのである。たがてそれが将軍の後継をめぐる陰謀に繋がっていくことが明らかになっていく。
家綱が病弱で子がなかったために、そのころ、将軍位を巡って尾張徳川家、紀州徳川家の御三家はもちろん、家綱の兄弟である甲府藩主の徳川家綱、館林藩主である徳川綱吉などが将軍候補としてあげられ、それぞれが対立する状況にあったのである。
本書の中で面白い歴史解釈として、家光の乳母で大奥を作った春日局が、実は家康とのあいだに子を為していたことと「慶安の変」で紀州徳川家の名前が使われたのは、徳川頼宣を排除するための策謀であったが、これを察知した松平伊豆守信綱があえて頼宣を江戸留置とすることで、春日局の流れを組む甲府徳川家の策謀を阻止しようとしたとされているところである。もちろん、その歴史的な確証はなく、作者の解釈である。「慶安の変」をそういう解釈で展開するのはなかなか面白い。
物語の中で、「お髷番」となった深室賢治郎は命を狙われていく。それは、家綱の暗殺などを企む者たちのしわざであり、小太刀の業を身につけた深室賢治郎はこれとの対決を余儀なくされていく。
物語は、密命を負わされた青年武士、権力者たちの暗躍、刺客たちとの死闘、それに加えて男女の恋や愛情など、作者のほかの作品と同じような構成をとっていて、格別新しいものではないが、文章のテンポもあって一気に読ませるものになっている。気楽に、気ままに読むにはちょうどいいような気がする。
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