2013年8月9日金曜日

坂岡真『冬の蝉』

 朝からうだるような暑い日差しが射している。このところ眠りも浅くなっているが、幸いにして急ぎの仕事もなく、比較的のんびりとすることができるようになり、暑い夏はのんびりするに限る、と思ったりしている。もっとも、わたしの場合は年中のんびりしてはいるのだが。昨日は新宿伊勢丹の屋上ガーデンで「慰労会」と称して、E教授ご夫妻やT氏らとビールを飲んできた。

 その往復の電車の中で、坂岡真『冬の蝉』(2008年 徳間書店 2011年 徳間文庫)を読む。これは、これまでの文庫本書き下ろし作品とは異なって、作者の初の単行本として発表された『路傍に死す 冬の蝉』を文庫化し、その際に、改題と共に「流灌頂(ながれかんじょう)」という短編を加えて出されたものだが、これまで『うぽっぽ同心』のシリーズとか『照れ降れ長屋風聞帖』のシリーズとか、どちらかといえば包容力があって鷹揚でいながらも情のある人物を主人公にした作品を書いてきた作者が、一変して、シリアスで非常に重いテーマで書いた短編集である。

 ここには、「逆月」、「龍神」、「鬼(のぎ偏のない「おに」が使われているが、わたしの変換ソフトでは表示できなかった)」、「案山子」、「冬の蝉」、「流灌頂」の6編の短編が収められており、いずれも罪を犯した人間がその贖罪を求めて彷徨う姿が描かれている。

 第一話「逆月」は、武士の義と友情、そして愛の狭間で死んでいく人間の物語である。須坂藩士の潮田源兵衛と小柳新九郎は、共に直心影流の道場で龍虎と言われる腕前で、お互いを認め合っていた仲であり、道場主の娘の安芸乃に想いを寄せていたが、安芸乃は何事にも優れていた小柳新九郎に思いを傾け、新九郎と安芸乃は婚約をした。

 だが、藩の勢力争いの中で、二人に一方の勢力であった次席家老を斬る密命が下され、新九郎が手をかけ、その際に顔を見られて出奔する。それから7年の歳月が流れ、新九郎は苦労を重ね、源兵衛は安芸乃と結婚して幸せな家庭を築いていた。

 だが、7年前の事件は、次席家老を斬ることを命じた者の陰謀であり、今ではその男が次席家老になっており、源兵衛はそのことを知りながらも安芸乃との生活を壊したくないので口をつぐんでいた。彼は妻の安芸乃がまだ新九郎に想いを残していることも知っていた。そして、自分が口をつぐんで今の生活を行っていることに自責の念を抱いていた。

 そうして、新九郎が再び帰ってきて、陰謀を図った今の次席家老を惨殺し、逃走したのである。潮田源兵衛は小柳新九郎の捕縛を命じられ、彼と対決しなければならなくなった。

 安芸乃は、「どんな惨めな姿になっても、きっと、お戻りください」と懇願し、源兵衛は妻の安芸乃が新九郎ではなく自分のことを心底案じてくれていることを知るが、源兵衛と新九郎は斬り結んで、結局、二人共死を迎えるのである。

 源兵衛は、自分が一切の口をつぐんでいることで、友人の新九郎を裏切り、武士の義を裏切り、表面の安定だけを望んでいるのではないかと自責の念に駆られていくが、安芸乃の愛によってそれが氷解していくのを感じる。結局、罪は、それがどんな形のものであれ、愛によってしか贖われない。この物語はそんなことを考えさせる作品であった。

 第二話「龍神」は、因業、あるいは同じように繰り返される過ちということを感じさせるような作品だった。公儀御馬預役の組下に入れられた草壁求馬は、傲慢不遜な上司の新妻と不義を犯すようになり、不義の現場に上司に踏み込まれて斬殺されかけるところを偶然が幸いして、女性は上司に斬り殺されたが、反対に上司を殺して逃げた。

 だが、彼は追っ手の影に怯える者となり、逃げる途中で、旅の僧から北の果てにあらゆる罪を食ってくれる龍神がいる湖があると聞き、そこへと向かう。途中で路銀が尽き、空腹に苛まれながら農家を襲うが失敗し、ついに力尽きる。だが、大男に助けられ、そこにしばらく身を置くようになる。

 その大男のところには口の聞けない娘がいて、娘は求馬に自分を連れて逃げて欲しいと頼み、二人は交わる。大男もまた、かつて南部侍だった時に、自分の妻を上司から饗応に召し出せと言われ、彼は断るが、夫の立場を慮った妻が饗応先にいった時、彼はその場に駆け込んで相手の男と妻を刺殺して逃げていたのであった。

 また、娘の母親も、大男の妻同様に、嫁いだ先から饗応のために一夜の伽を命じられて、子までもうけてしまったことから、嫁ぎ先を追い出されて自ら命を断っていたのであった。そして、逃げていた大男に娘は拾われ、育てられ、やがて大男の妻とさせられていたのである。

 求馬は娘を連れて逃げたのは良かったのだろうと思うが、やがて龍神が住むという十和田湖にたどり着いた時に、追いかけてきた大男は、娘を殺して来て、その首を投げて求馬を殺すのである。

 同じような過ちが繰り返される。それは因業かもしれない。この物語に救いはない。だが、それが「罪のゆるし」を知らない人間の現実だろう。男と女が、それがささやかなものであっても、現状から逃れたいという思いで結ばれるとき、その関係は因業となり、出口のない底なし沼に引きずり込まれていくのかもしれないと思う。

 第三話「鬼(表字はのぎ偏がない)」は、日本橋の橋番として、ただ晒し刑の罪人を見続けてきた男が、自分の人生の中でただ一度の恋に命をかけ、そしてまた今度は自分が晒し刑の罪人として晒される話である。男の命がけの行動は報われないし、全ては無意味に見える。だが、彼は人を恋することによって命のきらめきを知った。本作の中ではこれが唯一救いのある話のような気がする。

 第四話「案山子」は、友人の依頼によって藩内の抗争に巻き込まれた男が、「武士の義」のために反乱に加担し、そのために愛する妻は自害をし、自分を巻き込んだ友人は裏切り、その絶望の中で斬り合いを繰り返して死んでいく話である。彼の絶望が克明に描かれていく。

 第五話「冬の蝉」は、かつて加賀騒動に加わって藩主の影武者を鉄砲で撃ち殺した男が、追っ手を逃れて山中で孤独な生活をし、贖罪のために一万体もの立木仏を彫り続けていたが、ついに追っ手が来て、お互いに鉄砲で対峙することとなる。だが、その時に雪崩が起きて、彼の追っ手も、彼が彫り続けていた立木仏も雪に流されてしまうという話である。そして、それから百年後、すべてが朽ち果てた中に、彼が彫った一万体の立木仏が人知れず立っているという話である。

 これは、短編として深い余韻が残る作品である。彼の贖罪は長い年月の中で沈黙のうちになされていくのである。

 第六は「流灌頂」は、文庫化にあたって書き下ろして加えられた作品であるが、三年前に役人を斬り、凶状持ちとなった男が、罪の意識に苦しめられながらも、女郎として売られた娘を助けていくのだが、それが禍してついに捕縛されて死罪を言い渡されていく話である。「流灌頂」というのは、お産で死んだ人の霊を弔うために、川辺に棚を作って布を張り、そこを通りかかった人に水をかけてもらうという風習だが、彼の贖罪は、身も知らぬ娘のために働いて、「ご恩は一生忘れません」と言われることで、成し遂げられていく。

 ここに収録されている作品は、それぞれの罪を背負った人間が、罪の意識に苛まれながらも贖罪の旅をして、やがて死を迎えるというもので、その死の迎え方がそれぞれに異なっている。そして、愛することによって贖罪が果たされていく姿を描いたもので、それぞれに含蓄のある作品になっている。

 物語の展開としては第一話「逆月」、短編としての作品の出来としては表題作である「冬の蝉」が優れていると思う。
 

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