2013年8月5日月曜日

火坂雅志『武者の習』

 八月の声を聞いて、再び太平洋高気圧が関東地方を覆い始め、猛暑を迎えようとしている。今年の暑さは、本当に身体にこたえる。冷えたビールを片手に夕涼みをする日々にならないかなあ、と思ったりする。

 先日、図書館に行った折に、火坂雅志『武者の習』(2009年 祥伝社文庫)があったので、借りてきて読んだ。これは、「尾張柳生秘剣」、「吉良邸異聞」、「鬼同丸」、「結城恋唄」、「愛宕聖」、「浮かれ猫」、「青田波」の7篇の短編が収められた短編集だが、それぞれの短編は一応のまとまりがあるものの、作者が長編で示したような作風をあまり感じることなく、あっさりと読んでしまうような作品だった。

 第一話「尾張柳生秘剣」は、尾張柳生を創設した柳生兵庫助利厳(15791650年)の長男であった柳生清厳の姿を描いたもので、剣術兵法者である父の兵庫助利厳との確執と美しい叔母へのかなわぬ恋に悩む姿が描かれている。

 柳生清厳は、幼少から読書を好み、詩歌を善くするなどの学問を積み、父親の兵庫助利厳の柳生新陰流もよく身につけて、早くから尾張藩主の徳川直家の小姓として仕え、特別に300石を賜るほどの人物であったが、剣の天分は、天才と言われた弟の柳生連也斎厳包には劣り、やがて、病を得たために蟄居となり、島原の乱が起こったときに、このまま病死するのは不名誉なこととして島原に行き、そこで討ち死にした人であった。

 本作では、彼の名前が新左衛門と記されて、柳生新左衛門といえば、柳生新陰流の祖であった柳生石舟斎を思わせるので混同しやすいし、彼の境遇を妬んだ父親の兵庫助利厳によって殺されかけるなどの設定になっている。恋に悩み、剣に悩み、父親との確執に悩みながら修行を積み、やがては父親と互角に渡り合える剣を身につけるようになるが、「剣鬼であるよりも、おれは人でありたい」(124ページ)と語って去っていく姿が描かれる。

 第二話「吉良邸異聞」は、1638年(寛永15年)に鳥取で急死したと伝えられる剣豪と言われた荒木又右衛門が赤穂浪士の吉良邸討ち入りの際に現れて、討ち入りの夜に堀部安兵衛と対決したという話である。

 荒木又右衛門の死については謎が多く、実際には1643年(寛永20年)という説もあるが、赤穂浪士の吉良邸討ち入りは、1702年(元禄15年)であり、まさにこれは「異聞」ではある。ただ、「鍵屋の辻の決闘」(1634年 寛永11年)で本懐を遂げて剣豪としての名をなした荒木又右衛門と「高田馬場の決闘」で名をなした堀部安兵衛との対決という面白い組み合わせではある。

 第三話「鬼同丸」は、摂津(兵庫県)で初めて武士集団を形成し、武家の源流ともなった清和源氏(第56代清和天皇の子どもたちを祖とする皇族)の二代目、源満仲(912997年)の長男で、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』、『御伽草子』に登場する源頼光(9481021年)の物語で、彼が「鬼同丸」と呼ばれる悪党と対決していく姿が描かれている。

 源頼光は、大江山での酒呑童子退治や土蜘蛛退治といった説話で知られているし、渡辺綱や坂田金時などの四天王と呼ばれる人物たちを率いていたという説話が残されているし、本作でも剣の達人として描かれている。物語はそれと同時に、頼光の祖父で清和源氏の祖でもあった源経基の若い妻である叔母の「美子」との道ならぬ恋も描かれる。

 第四話「結城恋唄」は、結城紬にまつわる話で、徳川家康の子でありながら、家康から忌避されて、兄の結城秀康の養子となった松平民部の悲しみを描きながら、彼が新しい結城紬を生み出そうとする若い職人と織子の恋の橋渡しをして、旧来の風習が変わっていく中で新しい姿を求めていくという筋立てである。

 第五話「愛宕聖」は、室町幕府の管領家(将軍を補佐して幕府の政務を司る)であった細川政元の野望を彼に使えるようになった若い武士の姿を通して描いたもので、本作では、細川政元は愛宕山に篭り、修験道を会得して恐るべき呪術の使い手となった人物として描かれる。細川政元は、やがてもう一つの管領家であった畠山家を滅ぼし、将軍の足利義材を追い出して、意のままに操ることができる足利義澄を将軍にして室町幕府を牛耳った。だが、そのあまりの傲慢さによって、入浴中に家臣から殺されている。こうして時代は戦国時代に突入していくのだが、怪しい修法を使う人物として細川政元を描いているのである。欲に固まった人間というのは怪物のようでもあるのだから、それもありかもしれないとも思うが、どうにも三文話のような気がしないでもない。

 第六話「浮かれ猫」は、幕末の剣士と言われる新選組の沖田総司が猫に取りつかれていく話であり、第七話「青田波」は、明治初期の混乱期に重税で苦しめられた貧村を自ら命をかけて救っていく武士の話である。高崎県(高崎藩)の検見役(農作物の出来を調べる役)として派遣された片柳礼三は、心底村のことを心配し、重税と冷害にあえぐ村で自分の世話をしてくれる少女の小春が身売りされると聞き及び、減税を訴えるが聞き届けられず、ついに、命をかけて減税の令を発し、責任を取って自害するが、村の窮乏を救うのである。

 第七話だけが、剣にまつわる話ではないが、この結末が、本書では一番いい。
 「あくる年―。
 越後では、青々とした稲田が豊かに風に揺れた。
 その青田波のなかに建つ片柳の墓の前に、小春は焼き味噌の握り飯をそなえ、両手をそっとあわせた。
 (また、私(おれ)の握り飯を食ってくんなせて・・・・)
 小春の目から大粒の涙がこぼれた」(327328ページ)

 こういう光景とか、一個のまんじゅうを涙をぽろぽろこぼしながら「おいしい、おいしい」と言って食べる姿とか、ようやく手に入れた肉饅頭を握りしめて、降りしきる雪の中を足を引きずって歩きながら、「ほら、おまえへのおみやげだよ。苦労をかけたね」とつぶやいて、やがて倒れて死んでいくような光景とか、そういう人間の姿には心が震えるような思いがして、それが描かれる作品には駄作はないと、わたしは思っている。
 

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