2013年7月31日水曜日

南原幹雄『付き馬屋おえん 吉原大黒天』

 曇天の重い空が広がり、今にも雨が落ちそうである。なかなかスカッと晴れた日がないのだが、晴れたら暑いだろうとは思う。

 吉祥寺までの往復の電車の中で、読んでいた南原幹雄『付き馬屋おえん 吉原大黒天』(1993年 新潮社 1996年 新潮文庫)を読み終えた。これはシリーズ化された作品の4作目で、以前、角川文庫で出された3作目の作品の『付き馬屋おえん 女郎蜘蛛の挑戦』(1997 双葉社 2004年 角川文庫)を読んでいたもので、遊郭の吉原で焦げ付いた借金の取立てを稼業とする「付き馬屋」の、若くてきっぷのいい美貌の女性である「弁天屋おえん」の活躍を描いたものである。前作までは短編連作の形だったのだが、本作では長編になっており、物語としては読み応えのあるものになっている。

 物語の始まりに、江戸城の雑事を行う御数寄屋坊主(茶事や茶器の管理を行う軽輩)で悪名高い河内山宗春が登場し、彼が吉原でした借金の取立てを「弁天屋おえん」が行うという話が語られ、一癖も二癖もある河内山宗春がきっぷのいい「弁天屋おえん」を逆に気に入っていくという話になっている。

 そしてやがて江戸城西の丸御書院番(番士は警固に当たる役目で、御書院番は、中流旗本のエリートコースだったと言われている)の松平外記(忠寛 17911823年)による江戸城内刃傷事件へと展開されている。

 松平外記(忠寛)は、桜井松平家の流れを組む家柄の出で(本書では家康の六男で、家康から嫌われ、兄で2代目将軍の徳川秀忠から改易されて流浪の生涯を送った松平忠輝の末裔とされているが、忠輝の流れがある松平家は長沢松平家で、これは作者の誤認か、あるいは同じように優れた人物であったために排除されたことを強調するために、作者が意図的にしたことだろう)、馬術や弓術に優れ、真っ直ぐで剛毅な性格をもった人物だったと言われ、それが、風紀がゆるみ馴れ合いで腐敗しきっていた当時の旗本たちの気風に合わずに忌み嫌われて、先輩格や同僚の手酷いいじめや嫉妬にあい、ついに堪忍袋の緒を切らして、江戸城西の丸の書院番部屋で、3名を惨殺し、2名に手傷を負わせて自害した人物である。

 これらのことは太田南畝『半日閑話』に記されているが、松平外記は書院番となっていらいずっと様々な嫌がらせを受け、特に、将軍徳川家斉が鷹狩りに出ることとなり、西の丸の世子の家慶も随行することとなり、文武に優れた松平外記が番士たちを指揮する拍子木役を命じられた時に、その演習の際に同僚や先輩たちが外記の弁当に馬糞を入れたり、拍子木を打っても誰も動かずに勝手な行動をしたりして彼を困らせたり、羽織の家紋を済で塗り潰し、悪口雑言を吐いて、彼を陰湿にいじめ抜いたりしたのである。

 もともと、いじめは陰湿なものだが、松平外記に対するいじめは執拗で、彼が番士入りしたり拍子木役をもらったりした時に行った(行わなければならない饗応とされていた)もてなしが気に入らなかったという説があるが、いじめる側に正当な理由などないのだし、人は、他者よりも抜きん出ているというだけで排除される。

 本書は、この事件を、松平外記が同僚や先輩を饗応したのが吉原で、宴会の後で同僚や先輩格の旗本たちが勝手に遊女たちと遊んだ金を払わずに、松平外記の借金としようとして企んだことで、その借金の取り立てを付き馬屋おえんが引き受けるという筋立てになっている。そして、御書院番の旗本たちのあまりの非道ぶりが描かれていく。

 その中で、剛毅で真っ直ぐな松平外記におえんが淡い恋心を抱いたりする姿が描かれるが、外記は意を決して、城中で刃傷事件を起こして自害する。だが、そのあとも旗本たちは吉原で無軌道な豪遊を繰り返し、彼らがその金を自分たちが守るべき江戸城西の丸のご金蔵から盗んでいたことが分かっていくのである。

 無軌道で目も当てられぬくらいに卑劣な旗本たちと付き馬屋の死闘が繰り返されて、おえんは、ついに彼らの金が西の丸の御金蔵であることをつきとめ、それをネタにして、彼らの借金を取り立てていくという爽快な結末を迎える。

 読んでいく中で、こんな愚かな旗本たちもいるのだろうかと思えるほど、彼らの無軌道ぶりや愚かさが卑劣極まりないものとして描かれていくが、中途半端に悪い者というのは、意外とそんなものかもしれないとも思う。欲だけがあって知恵も胆力もないからであるが、中途半端に悪い者ほど始末に困るのも事実であろう。悪名を取ったがどこか剛毅なところがあった河内宗春の悪ぶりと旗本たちの悪ぶりが、一方がからりとし、他方が陰湿として描かれるのも面白い。

 物語の構成や展開、山あり谷ありの読ませる力というのは、ここで記すまでもなくあって、エンターテイメントとしての娯楽時代小説の面白さがある。まあ、気楽に読める一冊であった。

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