今日も異常なくらい暑い。脳細胞が半分ほど機能を停止して、何かしなければならないことがあったなあ、と思うが、何をしなければならないか失念した。まあ、これくらいで丁度いいのかもしれない。自分で自分の時計を急がせることはないのだから。
さて、百田尚樹『永遠の0』(2006年 太田出版 2009年 講談社文庫)について何回かに分けて記しているが、いよいよ物語のクライマックスに入ることになる。
大石賢一郎は鹿屋で宮部久蔵と再会した二日後に出撃が決まり、彼は、母宛ての遺書を書き、基地の外を散策してみた。その時、「目に入るすべてのものがいとおしかった」(文庫版 538ページ)と言う。
「何もかもが美しいと思った。道ばたの草さえも限りなく美しいと思った。しゃがんで見ると、雑草が小さな白い花を咲かせているのが見えた。小指の先よりも小さな花だった。美しい、と心から思った」(538ページ)
特攻という逃れ難い非業の死を前にして、生きとし生けるものと世界を慈しく思う。そういう心情を丁寧に描くことで、命の営みの尊さが綴られていくのである。そして、出撃する同じ特攻隊員の中に宮部久蔵の姿を見るのである。
その時、出撃を控えた宮部久蔵が大石健一郎に搭乗する飛行機を取り替えてくれと申し出る。大石賢一郎は、優れた技術を持つ者がより性能のいい零戦五二型に乗るべきだと言って一旦は断るが、宮部久蔵の申し出を受けることになってしまい、彼らは交換した飛行機で出撃した。その時、大石賢一郎は、自分は何としても宮部久蔵を守ろうと決意する。
そして、「お母さん、ごめんなさい」と大石賢一郎は最後に母を想う。「私の一生は幸せでした。お母さんの愛情を一杯に受けて育ちました。もう一度生まれることがあるなら、またお母さんの子供に生まれてきたいです。出来るなら、今度は女の子として、一生、お母さんと暮らしたいです」(541ページ)と思う。もちろん、これは通俗的なセリフかもしれない。しかし、その通俗に、わたしは感動する。
大石賢一郎は、いよいよ自分の死期を覚悟する。だが、出撃して一時間も経たないうちに、彼の飛行機の機体の調子がおかしくなり、彼はやむを得ずに喜界島に不時着を敢行する。「大石少尉、絶対にあきらめるな。なんとしても生き残れ!」そいう宮部久蔵の声を聞いたように思ったと、彼は語る。
大石賢一郎は無事に不時着した。そして、その時、操縦席に残されていた一枚の紙があるのに気がつく。その紙には、「もし生き残ることができたら、私の家族を助けて欲しい」という宮部久蔵の言葉が記されていたのである。宮部久蔵は、自分が乗る予定の零戦五二型のエンジンが不調であることを搭乗前に気がついていた。そして、飛行機を換えることで大石賢一郎を生き残らせ、自らは死を選んだのである。
それから戦後。大石賢一郎は宮部久蔵が残した言葉を守るためにその家族を探し始める。宮部久蔵の家族を探すのに4年の歳月がかかった。宮部久蔵の妻から遺族年金の申請が出されたからである。宮部久蔵の家族は大阪に住んでいた。
大石賢一郎は大阪まで訪ねていく。宮部久蔵の妻子は、スラムと呼んでも言いような貧しい町のバラックの小屋に住んでいた。「私がこうして生きていられるのは、宮部さんのお陰です」と大石賢一郎は宮部未亡人に言う。「宮部さんは、私だけでなく、多くの人を助けられました」と語る。「宮部の死は無駄ではなかったのですね」と言う夫人に対して、大石賢一郎は涙をぽろぽろこぼしながら、「許してください。私が代わりに死ねばよかったのです」と言う。夫人は、「あの戦争でなくなった人たちはみんな、私たちのために死んだのでしょう」と語る。そして、「でも、あの人は私に嘘をつきました」、「必ず帰ってくると約束したのに」と言って大粒の涙をこぼす(文庫版 551―552ページ)。
それから大石賢一郎は宮部久蔵の妻子のための援助を惜しみなく始めていく。宮部久蔵の妻の名は「松乃」と言い、その子は「清子」と言った。その「清子」が佐伯健太郎と慶子の母なのである。大石賢一郎は夜行で大阪まで行き、「松乃」と「清子」に会い、そして夜行で東京に帰るということを数ヶ月ごとに続けた。
そうしているうちに、二人は次第に想い合うようになっていく。大石賢一郎は予備士官だったとき、自らの飛行機を敵機と宮部機の間に割り込ませて、宮部久蔵を助けたことがあった。その時、宮部久蔵は彼の外套を大石賢一郎に譲った。そして、すべてを彼に託して飛び立っていった。宮部久蔵が大石賢一郎に渡した外套は「松乃」が作ったもので、大石賢一郎がそれを着て最初に訪ねてくれたとき、「松乃」は宮部久蔵が帰ってきたのだと思ったと語る。「松乃」は、宮部久蔵が「たとえ死んでも、それでも、ぼくは戻ってくる。生まれ変わってでも、必ず君の元に戻ってくる」と語っていたと告げ、こうして二人は結婚した。
結婚の時、「松乃」は、幼い子供を抱えて身寄りのない女が生きていくのは大変で、だまされて、あるやくざの組長の囲い者になったことがあったと告白した。だが、そのやくざの組長は、何者かに襲われて殺され、その時に殺した相手が「松乃」に財布を投げて、「生きろ」と言ったという。その男は、かつて宮部久蔵をライバル視して、完膚無きまでに負け、それによって宮部久蔵に不思議な魅力を感じていた景浦介山に違いなかった。彼もまた、戦後、宮部久蔵の家族を探して、そのために命をかけたのであった。
大石賢一郎と「松乃」は心底お互いがお互いを思いやる愛情豊かな夫婦となり、「松乃」は死のまぎわに大石賢一郎に「ありがとう」といって命の火を消した。
こうして、祖父であった宮部久蔵の真実の姿を探す旅を佐伯健太郎と慶子は終えた。そして、その時、二人は、人生の中で何を大事にしなければならないかに気づいていく。健太郎は、もう一度司法試験を目指して進んでいくし、慶子は、自分にプロポーズして、「特攻はテロだ」と言い放った高山ではなく、自分のことを真実に愛してくれ、自分もまた心から愛することができる藤木と結婚することを決意していくのである。「大好きな人と結婚しないと、おじいちゃんに怒られちゃうわ」と言う(文庫版 569ページ)。
周囲の状況がどうであれ、自分が真実に求めるもの、自分が本当に望むこと、そのことに宮部久蔵は誠実に生き、そして死んだのである。本書は、そういう一人の特攻隊員の姿を描き出し、それによって、現代に生きる人間に、「それでいいのか」と問いかけるのである。特攻で死んだ宮部久蔵は26歳であり、その足跡を尋ねた孫の佐伯健太郎も同じ26歳である。
本書のプロローグとエピローグに、特攻を受けた米軍の艦船に乗っていた米兵の思いが記してある。それは、見事な飛行技術で特攻してきた宮部久蔵の姿を捉えたもので、エピローグでは特攻を受けた艦船の船長さえもが、その飛行技術と精神に深い敬意を払わざるを得なかったことが記されている。
文庫版で575ページもある長編だが、心が震えるような素晴らしい作品だった。ふと、子どもの頃に読んだちばてつやの漫画『紫電改のタカ』という作品を思い出したりもした。その主人公の滝城太郎も、日本海軍最後の名機と言われる「紫電改」を駆使する航空兵で、撃墜王となるが、戦争の終結を思いながらも自ら特攻隊員となるのである。どちらも愛と悲しみを抱いて生きる人間の姿が描かれている。
わたしは、戦記物は読まない。だが、この作品は、太平洋戦争について記してあるとは言え、決して戦記物ではなく、心ある人間の物語なのである。
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