2013年7月22日月曜日

上田秀人『孤闘 立花宗茂』

 暑さが和らいでどんよりと曇っている。参議院議員選挙も大方の予想通り自民党の圧勝で、今回はどの政党の主張も現象の上滑りで、政治思想の貧困しか感じることができなかったので、こういう結果になったのかもしれない。民主政治を愚民政治といったのはプラトンだったような気もするが、今のところは、まあ、これが比較的良い政治形態であるだけに、政治家というならもう少し現象の背後にあるものを熟慮する思想を深めてもらいたい気がする。

 昨夜は、選挙速報を聞きながら、上田秀人『孤闘 立花宗茂』(2009年 中央公論新社 2012年 中公文庫)を読んでいた。この作品は表題にあるとおり、極めて優れた戦国武将で江戸時代初期まで生涯をまっとうした柳河(柳川)藩の立花宗茂(15671643年)を描いた作品で、作者が彼を「孤闘」として描いたところに、作者の彼に対する思い入れがよく表れている。本書は第16回中山義秀文学賞の受賞作品である。

 以前(2012年3月)に、立花宗茂を描いた葉室麟『無双の花』(2012年 文藝春秋社)を大きな感銘を受けながら読んだが、大筋においては変わらないとは言え、上田秀人が描いたものは、それとは若干異なった立花宗茂像で描かれている。発表年から言えば、上田英人の方が先に出版されている。

 立花宗茂の生涯については、その『無双の花』を読んだときに記しているので、ここでは詳細に触れないが、上田秀人は葉室麟とは異なって、立花道雪の養子となり、道雪の娘の誾千代(ぎんちよ)と結婚した宗茂と誾千代が長い間お互いを理解することができない不仲であったことを宗茂の重要な要素として記している。もちろん、上田秀人が描く立花宗茂も最後には誾千代との間に深い理解を得て行くことになるが、葉室麟の方は、言動とは別に誾千代が初めから宗茂に対して深い理解をもっており、お互いに深い信頼と愛情で結ばれていたものとして描かれている。

 個人的には、上田秀人の方が史実に近いような気もするが、好みから言えば、葉室麟が描く宗茂と誾千代の方がいいとは思う。上田秀人は、優れた戦略家であった岳父の立花道雪と男勝りで父親を尊敬していた誾千代の中に婿養子として置かれた立花宗茂の孤独を描き、これはこれでまた意味の深いことではある。

 もう一つ、多分作者が意図的に描いたことではあると思うが、肥後の佐々成政の下で起こった領民の反乱を見事に立花宗茂が鎮めたことを賞して、豊臣秀吉が宗茂に従四位侍従に叙任しようとしたとき、「ありがたき仰せなれど、主筋の大友義統が従五位であるからには、それを超えるのは筋ではございませぬ」と断ったと言われているエピソードを、宗茂が自分を馬鹿にする誾千代を見返すために自ら望んだと作者は展開する。

 恐らくそれは、立花宗茂が置かれた孤独と、彼がその孤独な闘いを行う姿を示すために、敢えてそうしたこととしたのでは思う。上に立つ者はいつも孤独である。宗茂は「功を誇らず」の人であったが、作者は豊臣秀吉と同じように「成り上がらざるを得なかった人間」として、立花宗茂を捕らえているのだろう。

 物語は、秀吉の朝鮮出兵以後は一気に進んで、関ヶ原の合戦からは短くその後の展開が紹介されるだけだが、わたしは個人的には、西軍についたということで所領を没収され、浪人生活を余儀なくされて苦労し、やがて再び、徳川家康によってゆるされ、柳河藩主として戻って家を再興していく時の立花宗茂についてもう少し展開して欲しい気がした。闘いの孤独は、人は誰でも経験するが、平和時の孤独は、闘いの孤独よりも深いからである。

 ともあれ、立花宗茂は優れた人間であり、彼の生涯を「孤闘」として描いた本書は、歴史小説として面白いものだった。

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