2013年7月29日月曜日

鳥羽亮『鱗光の剣 深川群狼伝』

 昨夜半から雨が降っている。昨日は山口県や島根県で集中豪雨があり、昔よく行った津和野が水に浸かっている様子がニュースで放映されて、このところの天気の異常性を改めて感じたりした。人は弱い。つくづくそう思う。

 週末は、気楽に読めるものをと思って、鳥羽亮『鱗光の剣 深川群狼伝』(1996年 講談社 1999年 講談社文庫)を読んだ。これは、1996年に『深川群狼伝』の書名で講談社から出されたものを文庫化にあたって改題されたもので、この後、シリーズ化されて現在までに6冊が出ている。

 物語は、深川で様々な揉め事を密かにうまく解決する商売をしている始末屋である「鳴海屋」の始末人たちを巡って展開されるもので、主人公の蓮見宗次郎は、渋沢念流という剣の流派の道場の次男でありつつ、いわば裏稼業に生きる剣の達人である。

 作者は、始末屋の「鳴海屋」を「払えなくなった遊興費の始末を付けるだけでなく、客商売にありがちな客との揉め事や雇人の不始末、同業者とのいざこざなどを、月二分の『万揉め事始末料』とか『御守料』と称して定期的に口銭をもらって始末をつけていた」と設定する。それは、いわば岡っ引きと地回り(やくざ)の中間のような商売といってもいいかもしれない。

 こうした設定や主人公の設定が示すように、これは揉め事を主人公の剣の技で解決に導いていく剣劇、もしくは活劇小説だが、当然、揉め事には背景があり、その背景を探っていくミステリーの要素やサスペンスの要素が含まれている。その意味では、同じように裏稼業として物事の結末をつけていく池波正太郎の「仕掛け人・梅安」とか、テレビドラマの「仕事人」などの設定と同類のものと言えるかもしれないが、「始末屋」は、定期的に口銭をもらっているということで、信用第一であるというところが面白い設定になっているし、描かれる主人公の蓮見宗次郎は、朴訥で明るい。そして、それが本書の面白さを倍加させている。

 物語は、「鳴海屋」に属する始末人の一人が全裸で殺されるという事件から始まる。どうやら女性と交わっている最中に殺されたらしく、そうした殺し方をする女が浮かび上がってくる。それと同時に、「鳴海屋」に持ち込まれた揉め事を始末しようとしていた者たちが次々と狙われだし、蓮見宗次郎も命を狙われる。どうやらそこには「鳴海屋」の始末人たちを殺して鳴海屋の信用を落とさせ、その縄張りを奪い取ろうとする者たちがいるようである。そして、その背後に、土地の地回りや、それを利用しようとした大店の呉服商の思惑が働いているようである。

 そこで、鳴海屋に属する始末人たちは一致協力して、彼らを始末して新しく始末屋を始めようとする者たちと対決していくのである。相手には「人斬り忠佐」の異名をもつ実践剣の達人もいる。蓮見宗次郎はその人斬り忠佐と命がけの対決をしていくのである。

 登場する始末人たちがなかなか個性的に描かれているし、鳴海屋の娘の宗次郎に対する幼い恋心や、落ちそうで落ない小料理屋の女将と宗次郎の関係などが織り込まれ、生活の匂いを漂わせながら物語が展開していくので、緊張感のある激しい闘いがテンポよく描写されていく中で真に絶妙な呼吸をもって物語が進行している。

 生活のリアリティを盛り込みながら進むというような、こういう活劇小説は現代の活劇小説のひとつの姿だろうと思う。ともあれ、面白い。

 また、文庫版の巻末に菊池仁という人の解説が収められ、それが単なる作品の解説ではなく、それぞれの時代の中で剣客ヒーローがどのように描かれ、それがどのような世相を反映したものかが丹念に述べられていて、なかなか味わい深い解説だった。

 彼によれば、吉川英治の『宮本武蔵』に見られる求道者型から『大菩薩峠』の机龍之介から柴田錬三郎の眠り狂四郎へと続くニヒル型や山手樹一朗が描いた自然児型で明朗闊達なヒーロー、そうした変遷から、組織に属し保守と確信のバランスをとるような池波正太郎の『鬼平犯科帳』で描かれた長谷川平蔵が1970年度以降に生まれてきたと言う。そして、組織と個人の論理の板挟みの中で次第に時代小説のヒーローも等身大化されてきたが、ヒーローがもつ思想性に作家の関心が集まるようになったと分析する。

 こういう分析は、なかなか社会学的でもあり、読んでいて小気味がいい。小説をはじめとする文学作品は多かれ少なかれ作家が置かれた社会の産物でもある。

 ただ、この解説がいつごろ書かれたのかはわからないが、今は、思想ではなく生活、哲学ではなく経済が主流となり、作家の思想性に出会うような作品は少なくなっている。もちろん、娯楽作品なのだから、それを求めなくても面白ければそれで良いのだが、小説である限り、「人間」が描かれなければ面白くないし、意味のない単なる読み物は面白くない。本書は、それがほどよく混ざっている娯楽作品であると思う。

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