2011年11月7日月曜日

葉室麟『いのちなりけり』(2)

 午前中は晴れ間が見えていたが、夕方にかけて雲が広がり、変化の多い秋らしい天気といえば秋らしい天気になった。今日は家事に精を出した後、山積みしていた仕事を少し片づけたりしていたが、まったくもって意欲が湧いてこない気がしている。脳細胞が死にかけているのではないかと我ながら思ってしまう。

 さて、葉室麟『いのちなりけり』の続きであるが、主人公の雨宮蔵人は、小城藩継嗣の鍋島元武から鍋島家とは少なからぬ因縁がある龍造寺家の流れをもつ家老で、義父であもある天源寺行部の暗殺を命じられたまま帰国する。そして、しばらくして、天源寺行部が何者かに斬殺され、蔵人が出奔するという出来事が起こった。同じ頃、天源寺家の家臣として仕えていた波野権四郎も殺されていた。

 人々は、波野権四郎を殺し、天源寺行部を殺したのが雨宮蔵人だと思い、特に天源寺家では仇討ちを行うことになって、彼の従姉妹である深町右京に助太刀を依頼する。深町右京は、御歌書役に任じられ、藩主が古今和歌集の伝授を受けるのを助ける役を仰せつかることになっており、咲弥の新しい婿となることがとりざたされていた。咲弥もその仇討ちに同行することになる。蔵人が行部を殺したことが確かになり、その仇を討ったあかつきには、深町右京と咲弥は夫婦になるということになる。

 また、蔵人に天源寺行部の暗殺を命じた鍋島元武も、事柄を隠蔽するために雨宮蔵人をなきものにしようと柳生新陰流の師範であった巴十太夫に蔵人の行くへを探させていた。こうして、雨宮蔵人は、妻の咲弥と従姉妹の深町京介、そして巴十太夫の両方から追われることになるのである。

 雨宮蔵人は、実は、帰国して義父である天源寺行部と会い、先の鎧揃えの際に親藩である佐賀藩主に向かって矢を射かけたのが、天源寺家の家臣であった波野権四郎で、それを命じたのが行部であることを告げ、波野権四郎は自分が処理するから、公になる前に腹を切って責任を取れと話していたのであった。そして、波野権四郎を彼が倒したとき、行部は、蔵人の言葉通り自決するつもりであった。だが、これは後で明白にされることではあるが、天源寺行部を斬ったのは深町京介で、蔵人はすべての罪を自分で引き受けるために逐電したのであった。

 逐電した蔵人は、まず、少年のころに通っていた儒学者の石田一鼎(いってい 1629-1693年 鍋島光茂の相談役であったが、勘気に触れ蟄居。『葉隠れ』を表した山本常朝の師)の元に身を寄せる。しかし、一鼎のもとに出入りし、蔵人を真の武士として尊敬していた山本権之丞(常朝)から追っ手の様子を聞いて、人を斬らないために逃げ、播州明石の熊沢蕃山(ばんざん 1619-1691年 陽明学者)に会おうと思って摂津湊川(元:神戸市中央区)に行くのである。蕃山の思想に自分の考えが似ているような自覚をもっており、たとえ明日死ぬことになろうとも、その学びをしたいと願ったのである。

 他方、蔵人が逃げたとの知らせを聞いて、咲弥と深町京介は追っ手の準備をする。その時、咲矢は深町京介から、あの桜狩りの時に助けてくれた少年が、実は雨宮蔵人であることを聞いたりして、少しずつ蔵人に対する自分の思い違いを知っていったりする。

 摂津湊川近くの坂本村で、雨宮蔵人は駕籠かきにいたずらされそうになった娘を助け、その娘が水戸光圀の隠密御用を勤める小八兵衛の娘であったことから、ちょうど水戸光圀の『大日本史』編纂の史料集めのために佐々介三郎宗淳(水戸黄門の助さんのモデル)の道案内として同道して京都まで来ていた小八兵衛は、その娘が自分を助けてくれた武士の世話をしているが、その武士が、追っ手が来るのを待つ敵持ちらしいと聞いて、娘を案じて佐々介三郎を連れて坂本村まで出かけていく。

 坂本村の荒れ寺にいた雨宮蔵人は、追ってきた巴十太夫から深町京介と咲弥がもうすぐ追いつくと聞かされ、湊川の河原で待つことにする。彼は咲弥に討たれる覚悟をしている。そしてそこで、深町右京と咲弥とに対峙する。ところがその時、右京が咲弥の父である天源寺行部を斬ったのは、実は自分であると語り出す。それは本藩である佐賀藩藩主の鍋島光茂から支藩である小城藩が増長している原因が天源寺行部にあるので、その行部を斬るように命じられたからだと告げる。そして、その命のとおりに行部を斬ったとき、雨宮蔵人から「お主は咲弥殿を助けてわしを討て」、「咲弥殿の婿にふさわしいのは、わしではなくてお主だ」と言われていたと言うのである。そしてさらに、そのことを佐賀藩主の鍋島光茂に報告すると、その暗殺命令を隠すためと天源寺家を断絶させるために、雨宮蔵人を殺した後に咲弥も殺せと命じられていたと語るのである。

 右京も咲弥に想いを寄せていたが、蔵人を討てば咲弥を守る者はいなくなる。そう言いながらも右京は、主命に従って、蔵人に剣を向けていく。それを聞いた蔵人も剣を抜き、蔵人は遂に右京の右腕を斬り落とす。蔵人は右京に、天源寺行部は既に死を覚悟していたのだと告げる。

 そこへ、もうひとりの追っ手である巴十太夫が六人の武士を連れて襲いかかる。石礫を飛ばして蔵人を襲う。蔵人は命をかけて咲弥を守ろうとする。彼は咲弥に言う。「咲弥殿、わしはすでに天源寺家を去った身だ。よき婿殿を迎えられよ。されど、わしは何度生まれ変わろうとも咲弥殿をお守りいたす。わが命に代えて生きていただく」(文庫版135ページ)。

 蔵人の咲弥に対する愛はひたむきである。報われることがなくとも、ただ一筋に愛し抜こうとする。そして、彼を否み続けてきた咲弥のために命を捨てようとする姿を見て、咲弥は、あの幼い日に桜の枝を切ってくれて自分を助けてくれた少年の姿を思い浮かべるのである。咲弥は、自分のために命をかける蔵人に対して思いを変えていくのである。だが、その蔵人は、巴十太夫の手によって死を迎えようとする。

 その危機の時に、水戸藩の佐々介三郎らが駆けつけ、蔵人らは助けられ、咲弥は佐賀へ帰り、蔵人は深町京介を療養させるために京都へ向かう。そして、咲弥は佐賀藩と関係が深かった水戸藩の水戸光圀の元に預けられることになる。咲弥は、摂津湊川での蔵人の姿に心を打たれ、「離れ離れになり、生涯会うことができなくても心で添うことはできるのではないでしょうか」(文庫版179ページ)と語り、蔵人への想いを強く固めていくのである。

 二人は、ようやくここで、互いが想う夫婦となるのである。だが、それは心で添う夫婦である。しかし、以後、この二人の想いは変わることがない。二人の愛情はそこで強められたのである。

 ここまでが、おそらく前半の山場であり、結末であるだろう。この後、二人は水戸光圀と老中柳沢保明の闘いに巻き込まれていくことになる。そのくだりについては、次回、また記すことにしよう。

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