2011年11月18日金曜日

風野真知雄『女だてら 麻布わけあり酒場』

今にも雨を落としそうな雲が垂れ込めて気温が低く寒い。本格的な冬の寒さが訪れているわけではないが、寒さに気持ちが沈んでいくような天候ではある。コートやダウンジャケットの人が多くなっている。最近、ヨーロッパとアメリカの経済の疲弊から、この国では環太平洋経済連携協定(TTP)とかアジア経済圏構想とかいうことが取り沙汰されるようになったが、ふと、第二次世界大戦の前に北一輝が提唱した「大東亜共栄圏」という思想のことを思い起こした。

 今の世界で無謀な侵略という発想はないだろうが、経済繁栄ということを第一義的に考えていくとどうしてもそういう発想になるのだろうと思う。国民の幸福感を第一義に志向するブータンの国王が来日しているが、どういう幸福感をもつかが根本的に問われている時代に突入しているのだろうと思う。人の幸いは愛以外には満たされない。そして、愛はささやかなものである。そのささやかさの中に無限の充実感があるとき、人は生きている喜びを最も感じることができるのだろう。

 閑話休題。過日に仙台に行った折りに駅の本屋で買ってきていた風野真知雄『女だてら 麻布わけあり酒場』(2011年 幻冬舎文庫)を一息に読んだので記しておこう。文庫本の裏表紙の宣伝文句によれば、これはこれから始まるシリーズの第一作目という作品で、毎月の発行予定らしく、たぶん、もう既にいくつかの作品が発行されている。

 風野真知雄の作品は友人が『耳袋秘帖』という根岸肥前守を取り扱ったシリーズ作品を紹介してくれたことで読み始めたのだが、文庫本の帯に100冊刊行記念とあるから、相当な量の作品を書かれているようで、こういう仕事量の多い作家は、内容はともかく、書くためには根を詰めねばならず、それだけでも敬服に値する。わたしのような怠け者にはとうていできないことである。

 『女だてら 麻生わけあり酒場』は、麻布の高台にある居酒屋の、料理上手で聞き上手で、人柄も美貌ももつ女将の「おこう」を慕って、隠居した元同心の星川勢七郎や瓦版屋の源蔵、元は大店の若旦那でどこか曰くありげな日之助が、それぞれに「おこう」への想いを抱いて集まってきていたが、その「おこう」の店が火事に遭い、「おこう」が死んでしまうところから始まる。

 この始まりは、ちょっと意表を突く始まりで、「おこう」を特別に慕う三人には、それぞれの事情があるから、これから「おこう」の店で「おこう」を中心にしてそれぞれの生活が描かれるのかと思ったら、中心になるべき「おこう」が早々に死んでしまうのであるから、その後どういう展開になるのだろうかと興味をかき立てる設定になっていた。

 隠居した元同心の星川勢七郎は、家督を息子に譲り、妻も亡くし、役宅を出て、五十も半ばを過ぎて麻布坂下町の長屋に気楽な独り暮らしをしている。自分ではまだまだと思って、暇な年寄りや隠居爺にはなりたくないし、苦手な息子の嫁の機嫌を取って暮らすつもりは毛頭なく、身の廻りのことは自分でして、「おこう」に惚れながら「おこう」の店に通っている。剣の腕は相当に立つ。

 瓦版屋の源蔵は、面白おかしく記事を書いて瓦版を発行していたが、その瓦版に書いた記事が原因で脅しをかけられている。どうやら相当の大物がその背後にいるらしく、しばらくは瓦版も発行することができない状態に陥っている。「おこう」の店で知り合った元同心の星川勢七郎に相談したりしている。源蔵は時々川柳も作ったりする。

 元大店の若旦那である日之助は、相場で損をさせて丸ごと乗っ取るというような札差である父親の商売のやり方に楯突いて勘当されている。日之助は父親が見つけてきた二人の嫁とともうまくいかずに、二度離婚しているし、父親は腹違いの弟に店を継がせたいと思っていた。そして、商売上のことで楯を突いた日之助を300両の金をつけて勘当したのである。住んでいた店の別宅も出て行かなければならず、さて、これから何をしようかと思い悩むが、とりわけて才能もない。ただ、贅沢な暮らしをしてきただけに味覚が鋭く、味の微妙な違いがわかって、「おこう」の作る料理が並外れていることを知っている。だが、金目のものは盗まずに変なものばかりを盗むような忍び込むことが目的の「紅蜘蛛小僧」という異名をもつ盗癖がある。

、この三人が、火事になった「おこう」の店に駆けつけるが、「おこう」は飼い猫の「みかん」を助けようとして逃げ遅れ、炎に包まれていくのである。「おこう」には「おこう」の人生があり、その人生は誰にも知られてはいなかったが、自分の子どもを捨てなければならなくなり、後で探したが行くへ不明のままになっている娘がいたのである。

 「おこう」が火事で焼け死んだ後、火事の火元がどうやら「おこう」の店の中らしく、火の始末をきちんとしていた「おこう」が火事を出すはずはないと出火に疑念をもちながらも、三人は焼け跡で「おこう」の骨を拾い集め、「おこう」の遺骨を回り持ちで保管することにし、「おこう」が可愛がっていた犬と猫もそれぞれで引き取ることにする。それぞれが無念でならずに、「おこう」がいた有り難みをしみじみ感じながら日々を過ごしていくが、喪失感は埋めようがなく、「おこう」の初七日に再び焼け跡に集まってきて「おこう」の思い出を語り出したりする。

 そして、やって来た土地の岡っ引きから火事の夜に若い男が「おこう」の店にやって来ていたことをきき、これが付け火(放火)で、火のつき具合から見て「おこう」に脅しをかけるために火を放ったのではないかと推測したりしながら、「おこう」の弔いのために「おこう」が続けたがっていた居酒屋を三人で金を出し合って再建しようという話になる。星川は、店の奥に火をつけたのは火事騒ぎで「おこう」が大事なものを持ち出すことを狙っていたのではないかと推理を働かせるが、真相は藪の中である。

 こうして、「おこう」の店が再建されていく中で火事の真相も探られていくことになる。三人は店の女将を雇うために苦労をしていく一方で、星川勢七郎はむかし一緒に働いていた岡っ引きの清八を訪ね、真相の探索のために手を貸して欲しいと依頼する。土地の岡っ引きの茂平は失火として事件に手をつけようともしない。清八は、酒で肝臓を病んでいたがその他のみを引き受け、土地の岡っ引きの茂平が役人の誰かと手を結んでいることを星川勢七郎に語ったりしていく。そして、実はその岡っ引きの茂平と、彼と繋がっている役人が事件の重要な鍵を握っていくことになっていくのである。

 「おこう」の店が三人の手によって前と同じように再建され、最初に女将として雇われたのは、背は高いがどきりとするようなお釜の釜三郎である。釜三郎は女将を募集する張り紙を見てやってきたのだが、料理の手際もよいし、作る料理も美味しく、三人は釜三郎を雇うことにして開店の準備をするが、これがとんでもない食わせ物で、釜三郎は三人を騙して取り込み詐欺を働き行くへをくらますのである。

 騙された三人は、騙された自分たちが悪いと諦めるが、釜三郎が落としていた煙草の包み紙から日之助が釜三郎の行くへを探り出し、「紅蜘蛛小僧」の異名を取る業を使って釜三郎が隠れている長屋に忍び込み、だまし取られた金子を奪い返す。こうして店の開店の準備が再び整えられ、次ぎに女将として雇ったのは、丸々と太った女相撲もしたこともある女性で、身体に合わせて豪快できっぷがよい。ただ、高台にある店に来るまでひとりでは登ってこられないほど太っている。三人は彼女を女将にして店を開ける。

 その間に、生前の「おこう」から頼まれていたという今戸焼きの招き猫が届けられ、この招き猫をどういう理由で「おこう」が作ったのかはわからないままだし、相変わらず「おこう」の過去も火事の真相も藪の中である。どうやらこの招き猫に曰くがあるらしい。

 元女相撲取りの女将を迎えて店が開かれると、前からの常連客もやって来て、その中に十八歳ぐらいだが金持ちの妾をしていたという「ちあき」という娘や、二十五歳くらいの美貌の湯屋の娘もいた。湯屋の娘は請われて大店に嫁に行ったが、出戻っていた。その理由を「おこう」は聞いていたようだが、誰も知らなかった。この二人の娘が、「おこう」が作っていた招き猫の謎を解くピントを与えていく。だがそれは、「ちあき」の旦那である易者が企んだ詐欺事件で、直接「おこう」とは関係のないことだった。だが、そうしているうちに、星川勢七郎が火事の真相の探索を依頼していた清八の探索が進み、地元の岡っ引きである茂平が絡んで「おこう」の店が火事になったときにそれを見張っていた男がいたことを探り出してくる。

 丸々と太った女将で店は繁盛していくが、酔った勢いで店の外で客と相撲を取り、そのままの勢いで坂道を転がり落ちて怪我をし、店を辞めることになってしまう。女将がいなくなって困ったことになったが、そこに「おこう」の娘という「小鈴」という女性が訪ねてくる。「小鈴」は、十四の時に母親の「おこう」に祖父母に預けられ、十七歳の時の祖父母の家を出てそのままで、知り合いに聞いて「おこう」を訪ねて来たという。だが、「おこう」は既になくなっていた。そして、生前に「おこう」が作っていた謎の招き猫の首の鈴が小さいことに気づいて、「おこう」が娘との再会を願っていたことを知る。だが、「小鈴」は、こんなことをするくらいなら自分を置いていかねければよかっただけだと言い切ってしまう。「小鈴」が十四の時、その一年前に父親が失踪し、続いて「小鈴」を置いて「おこう」も失踪し、祖父母がその母親の悪口ばかり言うので嫌になって家を飛び出していたのだという。

 三人は、女将のいなくなった店を手伝ってくれるように「小鈴」に頼む。「小鈴」はうんとは言わないが、しばらく店にいることになる。「小鈴」は言葉つなぎの遊びで、相手の心を読み取ることができるという特技をもち、「おこう」仕立てで料理もうまい。気立てもよいし、常連客たちにも好かれていく。「おこう」が飼っていた「みかん」という猫は、実は「小鈴」が小さいころに飼っていた猫と同じなで、「おこう」はこの「みかん」を助けようとして焼け死んだのである。「小鈴」は猫の名が「みかん」であることを知って母の思いを感じていく。「小鈴」の父は医者で、「おこう」は武家の出であった。彼らの失踪は謎のままである。

 その間に、地元の岡っ引きの茂平が何者かに殺されるという事件が起こっていた。星川勢七郎と清八はその事件の現場に行き、彼と一緒に殺された男が「おこう」の店を見張っていた男であると察して、二人がなにかの口封じのために殺されたのではないかと思う。茂平はどうやら目付の鳥居耀蔵とつながっていたらしい。

 そして、「おこう」を訪ねて一人の武家らしい男がやって来て、「おこう」が死んだことを聞いてがっかりして帰るが、その後を二人の武家がつけていくのに気づいた星川勢七郎が、その後をつけてみると、斬り合いが行われており、勢七郎が加勢をするうちにつけられていた男は逃げ、それを負って二人の武士も去っていった。身体がなまって太刀打ちできないことを実感させられるところで物語が終わる。

 その後の展開は次作から語られていくのだろう。「おこう」がなぜ娘の「小鈴」を祖父母に預けて出て行ったのか、父親がなぜ失踪したのか、火事の真相はなんだったのかなど、謎のままであり、鳥居耀蔵がそれに関連していることは匂わせられているし、これから「小鈴」を中心にして、三人がそれぞれの特技を生かしながら事柄の真相を突きとめていくのだろう。

 少し長く物語の展開の筋を記したのは、これが第一作目で、これから展開されるであろう事柄の設定のすべてがここに書かれているからで、筆力やちょっとした展開のうまさは言うまでもなく、枝葉の挿話も小道具も十分で、これからおもしろい展開になるだろうと思っている。

 「おこう」が亡くなった後で、日之助が馴染みの吉原の女性のところに上がるが、日之助が何か鬱屈した気分をもっていることに気づいた女性が「今は駄目でも、女も男も周囲もいろんなことが変わってくるよ。そこで変わらずにいたものが、どこかで機会をつかむときがある。すれ違っていても、また出会う」(53ページ)という台詞などは、ちょっと気の利いた台詞になっている。

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