2010年7月5日月曜日

宇江佐真理『深川にゃんにゃん横町』

 西日本で大雨の予報も出て、蒸し暑い日々が続いている。昨夕すこし午睡して出かけたら、やはり雨が降り出した。今頃の雨は空気中の水分が飽和状態になり、それが堰を切ったようにして雨になるような感じがある。今日は区役所に印鑑証明を取りに行かなければならない。

 土曜日の夜から昨日にかけて宇江佐真理『深川にゃんにゃん横町』(2008年 新潮社)を読んだ。やはり、この作者は人の情の「細やかさ」の泣かせどころを知っていると、つくづく思う。深川の木場の側の通称「にゃんにゃん横町」と呼ばれる小路にある「喜兵衛店(きへいだな)」と呼ばれる貧乏長屋に住む人々の、何の変哲もない暮らしの中で起こる様々な姿を柔らかい筆致で描き出したものである。

 「にゃんにゃん横町」と呼ばれる小路は、猫好きの住民も多く、野良猫の通り道になっているところからつけられているもので、作品の中でも猫たちが重要な役割を果たしている。

 「喜兵衛店」の大家の徳兵衛、幼なじみで自身番の書役(記録係)をしている富蔵、そして、自身番に詰めている土地の岡っ引きの岩蔵が町内の雑事をこなし、「喜兵衛店」には、徳兵衛と富蔵の幼なじみで、思ったことを歯に衣を着せずにぽんぽん言う世話好きの「おふよ」が、自分たち自身のそれぞれの暮らし方も含めて住民たちの日常や人生の一こまに関わっていくのである。

 徳兵衛は、五十歳で佐賀町の干鰯問屋の番頭を退き、のんびり暮らそうと思っていたが、請われて無理矢理「喜兵衛店」の大家を引き受けさせられた。「おふよ」は子どもたちを既に奉公に出し、指物師の亭主との二人暮らしで、夜は小さな一膳飯屋の手伝いをし、徳兵衛たちは時折、その一膳飯屋で一杯やりながら過ごしているのである。だから、これらの人々はいずれも孫のいる五十~六十歳の老人たちである。

 その「喜兵衛店」に材木問屋の手代をしている泰蔵が住んでいた。泰蔵は女房と別れてここにやってきて独り暮らしをしている。彼の元の女房は、暮らしの不足を補うために居酒屋勤めをするようになり、その居酒屋の客といい仲になって、泰蔵との間にできた娘を連れて男の許に走ったのである。

 ある時、泰蔵は偶然に自分の娘と会い、娘と約束をして小間物屋や呉服屋に行き、そば屋に連れて行って、娘が行きたいと言った見せ物小屋に連れて行った。母親に内緒だったので、母親が自身番に娘がいなくなったと届け出て、母親が泰蔵など全く知らないと言い張ったので、泰蔵は「かどわかし(誘拐)」の罪に問われることになった。

 徳兵衛、富蔵、岩蔵、おふよは、何とか泰蔵が娘の父親であることを証しして泰蔵の罪をはらそうと懸命に走り回る。そして、そのおかげで泰蔵の嫌疑が晴れ、泰蔵は元の暮らしに戻ることができた。それからしばらくして、娘が泰蔵の所に訪ねてくる。母親と義父が引っ越し、自分は廻船問屋に奉公に出るのでお別れに来たというのである。八歳の娘は泰蔵に心配かけまいと健気に振る舞う。

 父親の泰蔵に別れを告げ、「三好町を抜け、山本町の通りに出た時、不意におるりは口許を掌で覆って泣き出した」(32ページ)。泰蔵は、「にゃんにゃん横町」に巣くっている野良猫が生んだ子猫に娘の名前をつけて飼うことにする。

 こうした話が第一話「ちゃん」である。それから、貧乏暮らしに耐えられずに女房に逃げられ三人の男の子を男手一つで育てている木場の川並鳶をしている巳之吉の鼻つまみ息子である三男が、材紋問屋が催した相撲大会で何とか優勝して再び親子の情を取り返していく第二話「恩返し」が続いていく。この第二話の中には、野良猫たちの世話をしていた「喜兵衛店」に住む四十過ぎの妾暮らしをしている「おつが」の許に、黒と白の斑だから「まだら」と呼ばれる雌猫がいろいろなものを運んできて恩返しをするという話が挿入されている。

 第三話「菩薩」は、昔は絵師として活躍を期待されていたが、師匠が自分の絵を平然と盗んでいることに嫌気がさし、師匠とけんかをして飲んだくれとなってしまった亭主をもつ髪結いの「おもと」が、酒にやられて死にかけた亭主の最後の面倒を見ていく話で、子どもたちの世話もあって一時回復の兆しを見せた時に、亭主が描いた自分たちの姿の絵を大事にするという話である。

 「大家さん、見てやって下さい。うちの人が最後に描いた絵ですよ」
 そう言って、おもとは絵を拡げた。仔猫とたわむれる子供達、千社札があちこちに貼られている喜兵衛店の門口、蔓を絡ませている朝顔、七厘で魚を焼くおゆり、笑うおてつと与吉、絵を描く筆吉、土間口から家の中を覗くまだら、民蔵の家族や周りの景色がいきいきと描かれていた。
 そして、最後は台箱を携え、仕事に出かける時のおもとの立ち姿だった。
 「うちの人、あたし達に何もしてくれなかったけど、これだけは残してくれた。あたしは満足ですよ」
 おもとは泣き笑いの顔で言った。(123ページ)

 第四話「雀、蛤になる」は、小林一茶の「蛤になる苦も見えぬ雀かな」という句にちなんで、佃煮屋の嫁に来た「おなお」が、まだ二十二歳で後家となり、身寄りがなかったために亭主の弟と結婚しなければならなくなった話の間に、酒によって喧嘩をして寄せ場送りとなった亭主が、期が明けて帰ってくることになった煮売り家の「お駒」が、亭主が寄せ場送りの間懸命に暮らしを手助けしてくれていた亭主の弟と駆け落ちしていく話が入っている。

 第五話「香箱を作る」は、貧乏長屋の喜兵衛店に老舗の薬種屋の大旦那が隠居して独り住まいを始めることになった話から始める。大旦那は薬種屋の婿として生活してきたが、若い頃、自分が惚れ、しかし様々な事情から捨てることになってしまった娘が火事で焼け死んだ場所に身を置き直して自分の人生を考え直したいと引っ越してきたのである。その話と、喜兵衛店に住む大工の息子で、秀才の誉れが高く学問で身を立てることになったが、父親が世話になっている材木仲買の店の土地を買い取る話をするようにと師匠の儒者に頼まれ、父親が断ったために、師匠に顔向けができずに、師匠の許での学問を諦めて帰ってきて、手習い所を始めていくという話である。

 父親は、自分が世話になっている店を金で横っ面を張るようにすることはできないと言う。息子は、その話をうまくまとめれば儒者の娘と結婚して後を継がせると言われるが、それを諦めて父親の許に帰ってくる。ところが、儒者の娘は、彼との結婚を望んで押しかけてくる。そこに儒者も追いかけてくる。そういう騒動の中で、「おふよ」が啖呵を切って儒者を諫め、徳兵衛などが説得をし、儒者がわびて、息子は再び学問の道に進んでいけるようになる。

 ちなみに「香箱」というのは、猫が丸まった姿を言うそうであるが、第五話は、自分の居場所を探していく人間の話なのである。

 第六話「そんな仕儀」は、手代として奉公に出した息子が出世して上方から孫を連れて帰ってくるが、貧乏長屋の自分の家には泊まろうともしない姿に寂しさを感じる「おふよ」の姿と、自分の家にやってきて「母さん」と呼んで、金までせびった若い男の寂しさを描いたもので、上方で育ったこまっしゃくれた孫との会話の妙や、「おふよ」の寂しさが滲み出る。

 そしてそんな中、野良猫の世話をしていた「おつが」が野良猫のまだらと共に静かに息を引き取る。「にゃんにゃん横町」の猫たちが何十匹も、その「おつが」の家の方を向いて黙って座っている。一晩中、猫たちが座っている光景が描かれる。その猫に声をかけて、
「弔いのある朝だというのに、徳兵衛は妙に清々しい気持ちがしていた。こうして猫達に囲まれて、いつか自分も一章を終えるのだ。
それも悪くない。徳兵衛はそう思いながら弁天湯の表戸が開くのを静かに待っていた」(252ページ)
で、物語が閉じられる。

 貧乏長屋で暮らす何の変哲もない、しかし、それぞれに人生の機微を織りなしながら日々の暮らしを続けている人々の姿が、切なく悲しく、そして清々しく伝わってくる。人間の暮らしというものは、こういうものだとつくづく思う。そして、人の暮らしに必要な「情」があればそれでよい。そういうことをしみじみと感じさせてくれる作品だった。

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