2010年7月1日木曜日

平岩弓枝『北前船の事件 はやぶさ新八御用旅』

 太平洋高気圧の南下によって梅雨前線も南下し、梅雨の間隙の蒸し暑い日になった。名古屋あたりでは猛暑日だそうである。暑さが身体にこたえるようになって、この夏を乗り切ることが健康上の課題だな、と思ったりもする。

 昨夜からふと思っていたのだが、1737-1815年の江戸時代の中後期に活躍した根岸肥前守鎮衛が現代の時代小説の中で注目を集めるようになったのは、いつごろからなのだろうか。

 根岸肥前守鎮衛は、150俵の下級旗本の三男として生まれ、22歳で同じ150俵取りの根岸家に養子に出されて、それから勘定所(経理)の中級幕吏になり、1782年から始まった天明の大飢饉や1783年の浅間山の噴火による社会救済で能力を発揮し、田沼意次から松平定信へと変わる政変にも無関係に、1784年に佐渡奉行、1798年から江戸南町奉行となり、死去するまで務め、名奉行のひとりといわれている。

 彼が在職中に市井の人々の話を聞き集めた『耳嚢(耳袋)』については以前記したとおりだが、その『耳嚢』に記されていることが、現代の作家の想像力を刺激するのだろう、佐藤雅美や宮部みゆきもそれを題材にしていくつもの作品を書いている。

 1989年に平岩弓枝が『はやぶさ新八御用帖』シリーズの第1作『大奥の恋人』を記し、この根岸肥前守の側用人(秘書官)であり、南町奉行所の内与力(奉行つきの与力)である隼新八郎という神道無念流の達人で頭脳明晰の心優しく情に厚い好青年を主人公にした昨品を発表し、その中で根岸肥前守の『耳嚢』からいくつかの題材を取っていたのが、わたしが最初に『耳嚢』について注意して見るようになった最初のような気がする。このシリーズは、平岩弓枝の『御宿かわせみ』のシリーズと合わせ、その一つの流れでもある『はやぶさ新八御用旅』のシリーズともども、作者のゆったりと平易な、しかし奥もある文章が好きで面白く読んでいた。

 昨夜読んだ『北前船の事件 はやぶさ新八御用旅』(2006年 講談社)は、『御用旅』シリーズの中で最も新しいものである。

 行方不明となった北前船の探索をする中で、ひとりの水夫と思われる男の死体が谷中の感応寺の境内で富突の後で発見された。隼新八郎の友人でもある南町奉行所の同心がその事件の真相を探索する中で、内与力の新八郎にもその命がくだる。事件はどうも根岸肥前守が佐渡奉行をしていたころの出来事と絡んでいる気配がしてきたからである。そうしているうちに、かつては新八郎と思いをかよわせていたが身分の差によって叶わぬ恋となり、今は根岸肥前守の奥女中として気働きをし、肥前守から娘のように大事にされている「お鯉」が拉致され、隼新八郎に越後の出雲崎に来いという脅迫文が送られてくる。

 そこで、肥前守の命によって越後に向かう「御用旅」が始まるのである。そして、18年前に越後と佐渡の間の海で起こった抜け荷(密貿易)と海賊行為の首謀者たちを暴いていくのである。「お鯉」の拉致は、その抜け荷と海賊行為によってひどい仕打ちを受けた者たちが、再び薩摩藩による抜け荷行為が活発化してきたのを機に、仇討ちをするために根岸肥前守と隼新八郎に助力を願うためのもので、拉致ではなく、「お鯉」に願って、「お鯉」自らがそのように望んだことであった。

 事件が解決した後、根岸肥前守は仇討ちをした者たちを公にはせずに、これを「佐渡のむじな(狸)」が起こした悪人成敗として処理する。こういう結末のさわやかさは本書の主眼でもあるだろう。

 作者の平岩弓枝は、1932年生まれだから、これを出したのは作者74歳で、このシリーズの最初の頃の胸躍るようなみずみずしさや恋も情熱もある冒険譚的な要素は幾分薄れているとはいえ、その分、「人の情」ということが細やかになり、平易で美しい日本語で次々と物語が展開していく手法はさすがである。平岩弓枝は、もちろん、時代作家として大御所であるが、一読者として、『御宿かわせみ』とこのシリーズは、まだまだ続けてほしいと願っている。

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