2010年7月8日木曜日

鳥羽亮「はぐれ長屋の用心棒 袖返し』

 30度を超える暑い日差しが降り注ぐ日となった。むんむんと湿気も多いのでちょっと忍びがたい。

 昨夜、寝苦しさを覚えながらではあるが、鳥羽亮『袖返し はぐれ長屋の用心棒』(2004年 双葉文庫)を読んだ。これは、先に読んだこのシリーズの2作目で、15作目の『おっかあ』では主人公の華町源九郎は58歳であったが、ここでは55歳となっており、同じ「はぐれ長屋」に住んで居合いの達人でありながら居合抜きの大道芸で暮らしを立てている友人の菅井紋太夫は48歳となっている。

 この『袖返し』では、主人公の華町源九郎と、かつては女掏摸であり小さな料理屋の女将をしながら源九郎に惚れて親子ほども歳が離れているにもかかわらず男女の関係を持っている「お吟」との出会とその顛末が描かれている。華町源九郎は、貧乏御家人であったが、家督を息子に譲り、息子夫婦との同居の気詰まりさ避けて、回向院裏手の通称「はぐれ長屋」と呼ばれる貧乏長屋で傘張りをして糊口をしのぎながら独り暮らしをしている。「老いぼれ」と呼ばれる歳ではあるが、鏡新明智流の達人であり、その腕を買われてときおり用心棒のような仕事の依頼を引き受けているのである。

 その源九郎の許に、かつて剣術道場の同僚であり大身の旗本の家臣をしている男が、主人が重要な書類を掏られたようだから、それを取り戻して欲しいという依頼をもってくる。「はぐれ長屋」の住人たち、菅井紋太夫、名岡っ引きだったが還暦を過ぎて隠居している孫六、包丁研ぎで暮らしを立てている茂次の手を借りて探索に乗り出すが、その過程で、かつての女掏摸の「お吟」と掏摸の元締めをしていた父親の栄吉が営む小さな料理屋を訪ねる。

 父親の栄吉は、昔、娘の「お吟」が掏摸を働いた時に、華町源九郎に捕らえられたが、それを見逃してもらったことを恩にきて、掏摸家業を辞めて料理屋を始めていたのだが、源九郎を助けようとして、昔の掏摸仲間を訪ねたりしているうちに、何者かに惨殺されてしまう。「お吟」の命もめら割れているようだから、華町源九郎は「お吟」を自分の長屋に匿うのである。

 事件は、大身の旗本が料理屋の女将に惚れて差し出した艶文と結婚の約束をした起請文が掏られ、上司の娘との結婚が決まっていたために、それを種に脅されるというもので、脅迫をする者たちの中には凄腕の牢人もおり、旗本の家臣で主人を裏切って脅迫者とつるんでいるものや、旗本の出世を蹴落とそうと企むライバルの旗本もいる。大身の旗本は「目付(検察)」をしており、醜聞が世間に漏れると困ることになる。

 「はぐれ長屋」の住人たちは、源九郎を中心にして一歩一歩探索を進め、その間に命を狙われたりしながらも、脅迫をしている牢人たちを撃退していく。そのくだりが本書のクライマックスとなっているが、華町源九郎は、大身の旗本がどうなるのかということではなく、ただ、「お吟」といっしょに、殺された栄吉の仇を晴らすことを念願にして、事件の解決を進めていくのである。

 こういう、たとえば社会や世の中が、あるいは社会の上層部がどうなのかということではなく、徹底して自分の身の回りにいる人間たちのことを思って過ごしていくあり方は、ありきたりの社会分析や批評にうんざりしているわたしのような人間にとって、物語はもちろん作者の想像力の産物ではあるが、ある種の根についたリアリティーと清々しささえ感じる。

 昔、まだ若い頃、理論や思想、正義や世界という遠くばかりを見つめて、「生活をする」とか、身近にいる人たちのことをあまり顧みなかった自分自身を深く反省したことが蘇ってくる。人は、自分の身近にいる人々との「暮らし」を第一に考えるべきなのだ。

 先日、図書館に行った際にこのシリーズのものをあと2冊借りてきているので、娯楽時代小説として楽しみながら読みたいと思っている。

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