人は生きているといろいろなことを経験するものだが、前回これを記した3月11日(金)の午後、再び熱が高くなって、今日は無理だなと思ってすべての予定をキャンセルして寝込んでいたところ、大地がぐらぐらと揺れ続け、三陸沖の広範囲を震源地とする前代未聞の巨大な地震が発生した。「東北関東大地震」と名づけられたマグニチュード9という途方もない地震で、甚大な津波被害を伴って、青森から千葉に至る太平洋沿岸地域は壊滅状態になった。津波警報が出されてすぐに、巨大な津波が押し寄せてきたそうだ。加えて、福島にある原子力発電所が地震と津波被害によって機能を失い、放射能漏れが懸念され初め、今なおその危機が増大している。また、電力を失ったために輪番による計画停電が実施され、ここでも混乱した状態が続いている。
この間ずっと発熱に苦しめられながら、テレビで放映される地震と津波の惨状、原子力発電所の様子を見ていた。もちろんここでも度々大きな余震を感じたりするが、寝込んだ状態でどうしようもなく、ただ関係している仙台の保育園の人たちの無事を確かめたり、関東地方も混乱状態にあることからわたしのことを案じてくださる方々からの連絡を受けたりしていた。わたしの方は、書棚から本が落ちたくらいで物理的な被害はないし、陥る状況はそのまま受け止めるようにしているので個人的なことは何も案じることはないが、東北への交通が遮断され、民間人の立ち入りができない状態なので、惨状を見ても、ただ涙を流すだけで為す術がなく、今のところ見守るしかない。もっとも、体調がひどい現状で動くこともできず、パソコンの前に長時間座ることすらできないので、如何ともしがたいのだが。
日曜日(13日)に少し無理をしたこともあって午後から再び熱が高くなり、廃人に向かっての道を一直線に進んでいったが、ようやく峠を越えたのか、長い時間でも起きられるようになった。昨夕、風邪薬も食糧も切れてしまっていたので近くの薬局やスーパーに買い物に出かけた。しかし、驚いたことにスーパーマーケットはひどく混雑していて、ほとんどの保存食料は売り切れ、乾電池や卓上ガスコンロの燃料などは何一つなかった。実行されている計画停電に備えて、人々が不安を感じて買いだめしていると言う。ガソリンスタンドは閉鎖状態が続いているという。しかも、パニックのようにでは決してなく、整然とそれが行われている。わたしに必要なものは風邪薬と少しの野菜だけだったので、「なるほどなぁ」と思いながら帰ってきた。停電で暗闇が続いても、まあ、何も困らない。生活形態が昔に戻るだけだから。
こういう状態だったので、眠るかテレビのニュースを見るか、あるいは少し気分がいいときに本を読むかしかなく、おかげで何冊も本を読めた。むろん、体調はまだ回復していないのだが、連絡事項もあるし、電気が通じている間に少ししなければならない仕事もあるしで、朝から根を詰めていたところだった。
そして、この間に宮部みゆき『火車』(1992年 双葉社 1998年 新潮文庫)を読んだことだけでも記しておこうと思った次第である。時代小説ではないが、山本周五郎賞を受賞した本作品は、当時問題になり始めていたクレジットローンによる債務問題を正面に据えながら、悲惨な過去を消滅させて別人として生きていこうとする人間のあがきや悲しみをミステリーとして仕上げた作品である。
全体に宮部みゆきらしい表現の豊かなふくらみはないのだが、複雑に入り組んだ構成や過去を消し去るために失踪した人間を追う主人公が、幼い子どもを抱えながら強盗事件で負傷して休職中の刑事であるなど、一つ一つの場面や展開に妙味があり、これも読ませる作品だった。
今、その詳細を記す気力はないので、とにかく面白い作品だったとだけ記しておこう。
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