2011年3月3日木曜日

坂岡真『うぽっぽ同心十手綴り 凍て雲』

 ここ2~3日、冷たい雨の日々だったが、今日はよく晴れている。ただ気温が低く、まだまだ冬空が広がっている。何でも引き受けてしまう性が災いして、このところしなければならないことも詰まってきているのだが、なかなか気が乗らないままに日々が過ぎている。

 そういう中で、坂岡真『うぽっぽ同心十手綴り 凍て雲』(2006年 徳間文庫)を面白く読んだ。このシリーズはかなり読んでいると思っていたが、よく調べてみると、このシリーズでは全七冊のうちの第一作の『うぽっぽ同心十手綴り』と第三作目の『女殺し坂』、そして同じ主人公で別シリーズとして続けられている『うぽっぽ同心十手裁き』の方では『蓑虫』と『まいまいつむろ』の二冊しか読んでいなかった。しかし、作中の主人公で南町奉行所臨時廻り同心の長尾勘兵衛の印象が大変気に入ったところがあって、たくさん読んだ気になっていたのかも知れない。

 お金にも、手柄を立てて出世すること(功績をあげること)にも関心がなく、むしろそれらを潔く切り捨てるところがあり、同僚や職場では、ただ歩きまわるだけの無能な脳天気者というところから「うぽっぽ」と渾名されているが、実際に彼に接し、彼の情けで助けられた者だけが彼のすごさや高潔ぶり、大らかな懐の深さを知り、町の人たちからは「うぽっぽの旦那」として親しまれる五十歳を過ぎた主人公は、なかなかどうして味のある主人公で、本書では、その主人公の「うぽっぽ」ぶりがいかんなく発揮された作品になっている。

 本書には「笹りんどう」、「凍て雲」、「つわぶきの里」、「野ぎつね」の四話が収められているが、「笹りんどう」では、人々から良医として親しまれていた医者が無実の罪で斬首される処刑に立ち会わなければならなかった主人公の勘兵衛が、そこに隠されていた奉行所与力と岡っ引きの企みを生命をかけて暴き出し、斬首された医者の家族が生きる道をつけてやる話が展開され、「凍て雲」では、松前藩十八万六千石の奥女中への嫉妬に絡んだ事件で毒を飲まされて監禁されている女性とその弟を救い出していく顛末が描き出されている。

 また、「つわぶきの里」では、ふとしたことから人を傷つけ、八丈島送りとなり、七年の歳月の後に赦免され、紙漉職人となっている武士の家族を捜し出して再開させる姿が描かれ、「野ぎつね」では、強盗団を囲い込んで私腹を肥やそうとする火盗改めとの対決の顛末が綴られている。そこでも彼の情けが光っていく。

 同僚たちからは役立たずの「うぽっぽ」と見られているが、こうした主人公の姿を名奉行と言われた南町奉行の根岸肥前守は見抜き、何かと彼を支えていくが、第一話「笹りんどう」の中で、「笹りんどうってやつはよ、秋草が枯れたころにぽつんと咲きやがる。しかも、日の当たるときだけ咲いて、あとはこんなふうに、じっと蕾を閉じてやがるんだ。いつ咲くか、いつ咲くか、そうやってみる者に期待を抱かせ、仕舞いまで咲やしねえ。・・・根を噛めば、舌が痺れるほど苦え。うぽっぽ、何やら、おめえに似ているぜ」(76-77ページ)という言葉が勘兵衛に対する肥前守の言葉として記されたりして、心情溢れる二人の交流が描き出されたりしている。

 また、第三話「つわぶきの里」で、島送りとなって七年の歳月もの間行くへが分からなかった武士の家族との再会を果たす場面で、躊躇する武士を連れて家族の待つところへ行った時の場面が次のように語られているのが印象的である。

 「黄色い花が、目に飛び込んできた。
 鉢植えだ。それも半端な数ではない。
 玄関へつづく小径に、黄色い花の毛氈が敷きつめられている。
 ・・・・・・・
 『つわぶきさ。あれは、つわぶきというんだよ』(*つわぶきは武士の故郷である津和野に咲いていた)
 対馬屋(武士の妻子が働いている公事宿)の玄関には、主人らしき白髪の人物が佇んでいた。
 主人のかたわらには、着飾った娘の手を引いた女のすがたがみえる。
 丸髷に青眉、身に纏った照柿の格子柄が、石蕗の中で映えていた。
 ・・・・・・・
 『るい』
 板崎平内(紙漉職人になっていた武士)の声が震えた。
 るいは幸(娘)の身を引き寄せ、耳もとに何事かを囁いている。
 ―父上ですよ。
 そうはっきりと口にした。
 幸は満面の笑みで、こちらに手を振っている。
 ・・・・・・・・・・
 ふと、見上げれば、大屋根のうえも石蕗の黄色い花で埋め尽くされている。
 それが、るいの気持ちであった」(224-225ページ)

 どこか山田洋次監督の『幸せの黄色いハンカチ』という映画を思わせるような構成と場面ではあるが、文章のリズムに絶妙感があって、泣かせられる。

 第四話「野ぎつね」には、瓦葺職人だった父親を事故でなくし、病気の母を抱えて占い入りの煎餅を冬空の下で売る十歳の少女に接し、その少女の故に彼女を引き取って育てるという強盗夫婦をゆるしていくくだりなど、「うぽっぽ」同心の真骨頂が溢れている。話の筋は、その強盗夫婦が使っていた「野ぎつね」という名を使って火盗改めが私腹を肥やそうと企むこととの対決が主とはなっているが、こういうくだりが物語に味を沿えているのである。

 本書はこのシリーズの四作目ということもあってだろう、脂が乗りきったような作品になっているという気がした。主人公の恋心や家族のことなどの複線も膨らんで、改行の多い文体は何とかならないだろうかと思いつつも、面白く読んでいるシリーズの一つである。

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