2011年3月19日土曜日

佐藤雅美『揚羽の蝶 半次捕物控』(上・下)

 東日本全体が陥っている未曾有の危機的状況の収拾は、徐々に救援の手が差し伸べられているとは言え、未だに目途すら立たない状態が続いている。ここでも東京電力による計画停電は続いているし、福島の原子力発電所から漏れ出ている放射能被害についての無知から起こる風評被害や、食料品の売り切れ、ガソリンの手に入れにくさなどがあるし、ほとんどの経済活動も止まっている感すらある。ようやく体制が整い始めたので救援物資を送ることにしたが、関東でこんなに経済活動が停滞したら半年先に困難が予想される危惧もある。

 わたし自身の個人的体調も行きつ戻りつで、咳がなかなか止まらない。もっとも咳が止まらないのは愚かな喫煙の習慣を止めないからだろうが、いくつかの仕事をキャンセルして自宅に籠もる日々が続いている。昨日、少し出かけた方がよいと思って、あざみ野の山内図書館まで行ったら、計画停電で休館中だった。ここは停電していなかったので大丈夫かと思っていたが、浅はかだった。

 夜は、テレビのニュースを見て、時折入る緊急地震速報に目をやりながら、少し買い置いていた文庫本を読み続けているが、集中して読んでいるわけではない。それでも、日常を粛々と営むことが大切だと思い返して、これを記している。

 そういう中で、佐藤雅美『揚羽の蝶 半次捕物控』(1998年 講談社 2001年文庫版上下巻)を読んだ。これは、このシリーズの2作目で、現在まで出されている7冊のうち、第4作の『疑惑』を除いて、第1作『影帳』、第3作『命みょうが』、第5作『泣く子と小三郎』、第6作『髻塚不首尾一件始末』、第7作『天才絵師と幻の生首』の6作品を読んだことになる。これらの作品の中で、本作は最も長い作品になっている。

 本作は、江戸中期(家斉の時代)に北町奉行所の定町廻り同心岡田伝兵衛から岡っ引きとしての手札をもらっている半次が、大店の娘が痺れ薬を飲ませられて強姦された事件の犯人が備前岡山藩の中にいるらしいということで、奉行の密命を帯びて、備前岡山藩の参勤交代の人足にまぎれて岡山まで行かなければならないというところから始まり、やがては岡山藩松平家のお家騒動にまで巻き込まれていくというもので、半次自身の出生の秘密とも絡んで、孤軍奮闘していく様が克明に描き出されている。

 江戸時代の中期ともなると、武家の家制度が形骸化し初め、跡継ぎのいない武家は断絶の憂き目を見なければならなくなるので、諸藩でも跡継ぎを巡るお家騒動が頻発してきた。また、特に将軍徳川家斉は、別名「オットセイ将軍」とも呼ばれたほどの子だくさんの将軍で、生まれた子どもを次々と各藩に押しつけたことなどもあり、参勤交代や江戸屋敷(徳川幕府は各藩の妻子を江戸に一種の人質の形で置くことを命じた)の維持などに莫大な費用がかかるようになり、財政の逼迫も起こり始めた。藩主そのものは実政とは無縁のものとなり始めたが、それでも藩主の問題は藩の存亡の問題でもあったので、いくつもの藩で藩主を巡るお家騒動が藩の存亡をかける形で起こってきたのである。

 制度が形骸化されると経済が逼迫するのは必然で、大名家のお家騒動は、ほとんどが経済的問題に左右されて起こってきていたのである。

 作者はこうした状況をよく調べ、参勤交代の実像も明白にした上で、備前岡山藩松平家の中で起こった巧妙に仕組まれた跡目相続を巡る争いを、岡っ引きである主人公の半次の関わりと姿を通して物語として展開しているのである。半次は、このお家騒動にていよく利用されていくのである。そのことに対する反骨と武家の理不尽さに孤軍奮闘して立ち向かっていくのである。

 半次自身も、生命の危機を経験したり、娘が誘拐されるという事態を迎えたりしながら、娘の救出に生命をかけつつ、自分の出生が備前岡山藩松平家と関わりがあることを知り、お家騒動の決着へと向かっていく。跡目相続を巡るお家騒動を起こす人間たちは、それぞれが自分の我欲と思惑だけで動いているのであり、そのあたりの身勝手さも明瞭に示されていく。これは、このシリーズの作品の中でも傑作に類する作品だろう。

 この世の多くのことは、それぞれの思惑が複雑に絡み合いながら動いていく。そのあたりの機微が絶妙に描き出される。ただいまの状況も、日本政府や各政党、企業としての東京電力のそれぞれの思惑が異なって展開されていることに変わりはない。

 それにしても、自分の不平不満を関係各所に殺到させる人たちの精神構造はどうなっているのだろうかと思ったりもする。一方で、被災地の中学生や高校生たちが、自分も被災しながらも懸命に身体を動かして助けあう姿に胸を打たれる。彼らの忍耐と純朴さや素直さが今の状況を救うと痛感している。忍耐し、分かち合い、励まし合う人間の豊かな姿を彼らから教えさせられる思いがする。

1 件のコメント:

  1. 奇しくも私も、今、このシリーズを読んでいます。史実に忠実な筆者なので派手さはありませんが、目からうろこのことが多くて、江戸の仕組みに妙に納得させられたりします。
    今回の震災の被害の甚大さには胸がいたみます。自分にできる支援をしていきたいと思います。
    風邪で体調を崩しておられるようですが、どうか、ご自分の健康にも留意なさってください。

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