昨日の深夜に雷雨が鳴り渡り激しい雨が降り出したが、今はそれも上がって、時折雲の中から初夏の陽射しがある。気温がそれほど高いわけではなく、不安定なのだが過ごしやすい。
隆慶一郎『隆慶一郎全集15・16 一夢庵風流記 上下』の続きで、関ヶ原の合戦については、石田三成と直江兼続との間に交わされていた書簡があるが、石田三成の一方的な思い込みも合ったような気がする。石田三成のような頭で描いた図式で行動する人間は、現実をつい都合のよいように理想化しがちだが、現実は図式通りには動かない。上杉家は南方の押さえとして残った結城秀康軍と北東の伊達政宗軍に挟まれ、西に隣接する出羽二十四万石の最上義光軍の攻撃にさらされて、身動きが取れない状態だったのである。
上杉家への抑えとして残された結城秀康軍は、家康から決して攻めずに守れとの命を受けており、膠着状態にあり、伊達政宗とは便宜上の講和が成立したが、最上義光軍が会津に侵攻してきた。上杉軍は直江兼続を総大将にして、米沢から出陣し、最上義光の出城であった城を攻撃し、長谷堂城を包囲した。そこに肝心の関ヶ原の合戦で石田三成があっさり敗れたとの報が入るのである。直江兼続は、もはや最上義光と戦っている暇はなく、関ヶ原から家康がとって返して上杉家討伐に向かうのは必定であるから、合戦の最中に退却して、会津の上杉景勝と共にそれに備える必要に迫られるのである。
この退却戦は、10時間に及ぶ激闘で、前田慶次郎を初めとする牢人隊は直江兼続の下に組み入れられており、激戦が繰り広げられた。『上杉将士書上』によれば、さすがの直江兼続も死を覚悟したという。敵の手に首を渡すことを恐れて自死しようとしたとき、前田慶次郎がそれを阻止し、死に急ぎするな、自分に任せよ、と言って、牢人隊と共に愛馬の松風を疾走させ、ことごとく敵陣を突破し窮地を脱していったのである。前田慶次郎の戦振りの真骨頂が見事に発揮された時だった。これによって直江兼続は無傷で会津に戻ることができたのである。
だが、関ヶ原合戦後の徳川家の上杉家に対する審判には厳しいものがあったのは当然のことである。しかし、本書は、上杉景勝と直江兼続の助命のために前田慶次郎が、加賀の前田家を動かし、彼を師と仰ぐ結城秀康を動かし、家康の面前で死を覚悟して奔走して家康の心を動かして、直江兼続と上杉景勝の助命を勝ち得たと展開する。ここでも作者は「漢と漢」の姿を、家康と慶次郎の間に描いていく。それによって、上杉家は会津百二十万石から米沢三十万石への減封となったが、上杉家は毅然としてこれを受けていくのである。
前田慶次郎は、この和議の死者の役目を終えた後に、減封された上杉家に居座ることを良しとせずに退転して牢人生活に入る。だが、前田慶次郎の戦振りを知る諸大名から高禄をもって迎えたいとの仕官の話が舞い込む。しかし、前田慶次郎は、どのような高禄を積まれてもこれを受けない。慶次郎は、自分を「一夢庵ひょっとこ斎」と称して飄々としている。
そのような前田慶次郎のところに直江兼続が単身で現れる。他の高禄の申し出の半額以下だが、兼続と上杉景勝に惚れていた前田慶次郎は、兼続が誘ってくれたことを直ちに快諾して、米沢に行くことにするのである。この米沢までの道中については自身で『前田慶次道中記』をしたためているが、俳句などを記して、実に風流なものである。作者は、この米沢で伽姫と共に悠々の歳月を送って没したとして、本書を結ぶ。「傾奇者」である慶次郎は風流居士なのである。
その結びの言葉として、慶次郎が信濃の善光寺に住んだときに残したという次の言葉が添えられている。この中で、なるほど、と思う言葉を抜粋しておく。
「寝たき時は昼も寝、起きたき時は夜も起る。九品蓮台に至らんと思う欲心なければ、八万地獄に落つべき罪もなし。生きるまでいきたらば、死ぬるでもあろうかとおもふ」(下巻 214ページ)
ここで描かれる前田慶次郎利益は、作者が他の諸作品の中でも求め続けてきた、生も死も越えて自由闊達に自分の力を使って生きていく人間の姿である。作者は、ここではこれを「傾奇者」として描くが、死を覚悟している人間の何と自由なことかと、つくづく思う。爽快極まりない。そして、歴史的事象を踏まえつつそれを物語として巧妙に展開する作者の力量が、これもいかんなく発揮された作品だと思う。
なお、本書下巻には、江戸初期に徳川家光に仕えつつも、「漢」としての生き方を貫いた水野成貞(1603-1650年)の姿を描いた『かぶいて候』が収められ、これも面白く読んだ。彼の息子の水野成之(1630-1664年)も、お役を固持して自由な小普請入りをし、旗本奴として名をはせた人物で、町奴として著名だった幡随院長兵衛と争ってこれを殺し、お咎めなしだったのだが、伊達姿で評定所(裁判所)に出頭するなどの不遜がたたって切腹させられている。
この水野成之には、わたし個人はあまり関心がないが、家光に仕えながら家光を見切ってしまったその父親の水野成貞という人間の生きざまは、なかなか面白いものがあるのである。人間としてつまらないところがある者に対しては執着や未練も欲もなくきっぱりと見捨てていく。これままた面白いと思う。こういう作品を読むと、少なくとも小賢しくは生きたくないと思ったりする。
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