2012年6月11日月曜日

隆慶一郎『隆慶一郎全集17・18 花と火の帝 上下』(3)


 昨日の夜から忍ぶようにして降り出していた雨は上がったが、どんよりした梅雨空が広がっている。昨日、宗教改革者のM.ルターについて2時間ほどお話をしたためか、どこか疲れが残っている。だが、洗濯や掃除などの家事も溜まっていたので、朝から精を出していたら、ますます疲れてしまった。日々の暮らしをするだけでもなかなか大変。

 後水尾天皇と徳川幕府の確執を通して、天皇制の問題を「真の自由人」の存在のエンターティメントとして展開した隆慶一郎『隆慶一郎全集1718 花と火の帝』(2010年 新潮社)の続きであるが、下巻は、家康の死(1616年 元和2年)から始まり、やがて後水尾天皇の恋から和子の輿入れへと進んでいく。

 後水尾天皇の女性関係は後に目を見張るほど派手になっていくが、朝廷の権威が失墜していく中で時を過ごさなければならなかったために、その最初の女性関係は比較的遅く始まったのである。後水尾天皇が最初に恋をした相手は「およつ」と呼ばれる女性で、「およつ」は、公家の四辻公遠の娘で、後水尾天皇の祖母に当たる新上東門院に仕え、後水尾天皇の元服と同時に「添臥しの女官」(添い寝をする者)となった女性で、後水尾天皇に心底惚れて労わりをもって接した女性で、男としてこのような女性に心が動かないはずがなく、元和4年(1618年)に皇子を出産し、続いて元和5年に皇女を出産した。

 「およつ」が出産した皇子は幼くして亡くなったが、皇女は「梅の宮」と呼ばれ、後に文智女王と称されるほどの学識豊かな女性になった。しかし、彼女は薄幸であった。悋気の強かった徳川秀忠の妻「お江」が自分の娘の和子の嫁ぎ先である帝のこうした女性関係を許すはずがなく、特に天皇家に自分の血筋を入れることを目論んでいた徳川家にとって、後水尾天皇の皇子や皇女に対しての仕打ちにはひどいものがあった。徳川秀忠は、後水尾天皇の子どもの皆殺しを考えていたと言われ、本書でも、後に柳生宗矩配下の者たちがその手を下していったという展開になっている。

 他方、京都で大火が起こり、本書ではこれを仕掛けたのが徳川側に破れた大阪牢人の生き残りだったとし、その嫌疑が猿飛佐助と霧隠才蔵に向けられ、色里に身を隠していた「天皇の隠密」に危機が迫ったこととして展開する。「天皇の隠密」は、家康の死以後、ずっと危機的状態に置かれていたが、彼らの優れた能力でこれを排撃してきていた。今回も、猿飛佐助と霧隠才蔵は色里の中で力を発揮してこの危機を脱していく。

 こうして、元和6年(1620年)5月、徳川和子は江戸を出発し、6月に入内する。和子14歳である。まだ14歳に過ぎない少女は、歓迎されないままに宮中で過ごす日々を送ることになるのである。だが、この和子という女性は、大人の思惑とは別に、実に愛すべきところをもった女性で、やがては後水尾天皇のことを深く理解する女性となっていく。

 本書は、この和子の輿入れの時に、柳生宗矩の配下の者が付随って宮中に入り、「天皇の隠密」を見つけ出して彼らを殺す密命を帯びていたと展開する。彼らはまた、後水尾天皇が和子以外の女性との間に生ませた皇子の皆殺しの密命まで帯びていた。ここにまた、柳生(裏柳生)と「天皇の隠密」である岩介らとの暗闘が展開されていくのである。

 加えて、本書にはかつて北条家に仕えていた忍の集団である風魔まで登場し、風魔が京都の色里を影で支配していたという設定がなされている。この風魔も、朝鮮から渡ってきた「自由の民」の一団だと設定し、岩介らとの戦いの中で、岩介が率いる「天皇の隠密」側についていくようになるというものであり、さらに、シャム(タイ)の呪術師で、かつて岩介と修行をした人物が徳川秀忠に雇われて「天皇の隠密」を暴いて殺すために遣わされてくるという展開になっている。そして、岩介との呪術の戦いの中で、彼もまた「天皇の隠密」側についていく人間となっている。

 岩介は秀忠から遣わされた刺客との争いで傷つくが、岩介と「とら」との間に生まれた娘の「ゆき」が岩介を凌駕するほどの天賦の能力を発揮して助けるという、まさに物語は超能力の空想世界に入っていく。

 しかし、歴史がきちんと踏まえられていて、後水尾天皇が、詩文においては「古今伝授」を受けた者であり、書や茶の道も一流であるだけでなく、「立花」(華道)においてはこれを華道として確立した立役者であることに触れ、自ら政治から身を引いて文芸(文化)の道に進んでいくという選択をされたと語る。また、自分が置かれた状態を妻となった和子に語り、和子が父親である徳川秀忠の仕打ちにひどく立腹し、後水尾天皇と歩んでいくという決心をしていくくだりも展開されている。

 この間、徳川秀忠は、後水尾天皇がほかの女に生ませた子を殺し、さらに天皇の権威を弱めるために、それまで天皇が権威として与えていた寺社の紫衣着用の勅許を幕府の管理下に置くという慶長20年(1615年)に家康が出した「禁中並公家諸法度」を盾に取り、秀忠の後を継いで三大将軍となった家光を用いて、後水尾天皇が勅許として与えた紫衣を法度違反とみなして京都所司代の板倉重宗によって取り上げさせるという出来事を起こした。朝廷側はこうした幕府の強硬手段に強く反対し、高僧らも幕府の抗弁書を出したりしたが、抗弁書を出した高僧らを流罪に処した(「紫衣事件」という)。これによって、本来は朝廷の官職の一つに過ぎなかった征夷大将軍とその幕府が、天皇よりも上位に位置するものであることを鮮明にしたのである。

 後水尾天皇は、この事件の後で、娘に帝位を譲り(女帝の誕生)、自らは上皇となり、和子も東福門院となるが、幕府の弾圧は止むことはなかった。そして、本書では後水尾天皇を恐怖に陥れるためにその親族を殺す目的で新たな刺客が送り込まれることになり、その刺客と岩介らの「天皇の隠密」との死闘が展開されていく。その死闘が展開するところで、本書は未完のままに終わっている。

 登場人物が多彩で、これをどう終結させるのかに関心があったのだが、未完で終わり残念な気がする。また、多彩すぎる気がしないでもなく、ひとりひとりを十分に生かしきれていない感じもある。個人的に超能力や呪術などに関心はないが、空想物語の要素がたっぷりあり、また「自由人」の姿を描く上では大きな要素もあるので、未完ではあるが、面白く読めた一冊だった。隆慶一郎は「自由人」をとことん描いた作者だとつくづく思う。

 なお、全集18巻には、これも未完ではあるが、後水尾天皇の弟で関白であった近衛信尋が京都の名妓であった吉野太夫に惚れ、彼女をめぐって公家と豪商が恋を競う出来事が描かれた『吉野悲傷』(1988年)が収められている。これは第一回が「小説すばる」で発表されただけで中断された作品であり、これも惜しい気がする。

0 件のコメント:

コメントを投稿