ときおり強く射す初夏の陽射しがまぶしく、日傘をさして人々が街路樹の道を歩いていくが、このごろの天候はひどく不安定である。台風3号が沖縄に接近したとの報も入っている。
先日、同級生の作詞家の辻哲二氏が5月30日に演歌の新曲を日本コロンビアから出したとのことで訪ねてくれた。大石まどかという歌手で「うちわ」という曲だが、その中で「涼暮月(すずくれづき)」という美しい日本語が使われている。「涼暮月」とは旧暦の六月の別名だが、改めて、こんなに美しい日本語があったのだなあ、と思ったりした。辻哲二氏は、わたしに葉室麟の本を教えてくれた人である。
その葉室麟の『恋しぐれ』(2011年 文藝春秋社)を、作者にしては珍しくスケールの大きさを感じさせないが、意欲的な文学的試みがなされている作品だと思いながら読んだ。これは江戸中期の享保から天明にかけて生き、俳人として、また画家として優れた作品を残した与謝蕪村(1716-1784年)の晩年の姿を中心にして、彼の周囲にいた人々の姿を描きながら「人の愛」を描いたものである。特に蕪村が残した優れた俳句を彼自身や彼の周囲の人たちの生活や人生と重ね合わせて描き出したもので、蕪村の句や俳画に作者の豊かな想像力と解釈が込められている。
蕪村は、現在の大阪市都島区に生まれたが、20歳の時に江戸に出て、当時の著名な俳人であった早野巴人(後に夜半亭宋阿と称す)に師事し、27歳の時に(1742年 寛保2年)夜半亭宋阿が亡くなったことを機に、松尾芭蕉に憧れて東北を旅したり、栃木、茨木、丹後や讃岐を旅したりしながら詩作を続けた人である。そして、42歳の時に京都を永住の地と定め、このころから「与謝」を名乗るようになった。俳句を教えながら45歳の時に結婚し、一人娘の「くの」をもうけ、1770年、55歳の時に「夜半亭二世」をゆるされている。
蕪村は、芭蕉や一茶と並んで、江戸時代の俳諧を代表する人物であると同時に、俳画の創始者でもあり、たとえば代表作となった「鳶鴉図」などは、厳しい岩肌の潅木に爪をしっかり立てて超然としている鳶や風雪の中で身を寄せ合っている二羽の鴉が描かれ、見るものを圧倒する。蕪村の句もなかなか味わい深いもので「春の海 終日のたりのたり哉」とか「菜の花や月は東に日は西に」などがどことない温かみを感じさせる気がする。句も画も写実的で、その写実の中に生きることの喜怒哀楽を埋め込んだ作風を持つという印象を、わたしはもっている。
その点では、当代随一の絵師と言われた円山応挙(1733-1795年)と通じるものがあったのか、本書でも応挙との交流が描かれていたりする。蕪村と応挙は比較的近所に住んでいた。もちろん、蕪村と応挙では画風が異なっている。蕪村は無骨で応挙は繊細である。
本書は、その蕪村が「夜半亭二世」を名乗ることを許されて以降の晩年の蕪村の姿を描いていくが、蕪村は、晩年、「小糸」という若い芸妓と深い恋をしていき、そのあたりも描き出されていくし、特に蕪村の弟子であり、円山応挙との交流などで独自の画風を確立していった松村月渓(1752-1811年)の姿を通して物語が構成されている。
松村月渓は「呉春」という号の方が著名かもしれない。彼の画風は、やがて蕪村から離れて円山応挙に近づいていくが、生涯にわたって蕪村を慕い、蕪村の死も看取っていくし、蕪村の遺句集『新花摘』も自ら挿絵を描いて出版したり、蕪村の家族の世話をずっとし続けたりした人である。この月渓は島原の名妓と言われた「雛路」(本書では「おはる」)を身請けして妻としたが、里帰りの途中の海難事故で妻を失っている。本書でも、その月渓の恋と彼の思慕が切々と描き出されている。本書は、いわばその月渓と蕪村の深い信頼に基づく師弟関係を描いた作品であるとも言えるだろう。月渓(呉春)という人は、愛情の深い人であったと改めて思う。
本書の中で、月渓が愛する妻を海難事故で亡くした後、蕪村の句集の中の「北寿老仙をいたむ」と題する和詩を読んで胸を突かれたと語るくだりがある(135-136ページ)。それは次のような詩である。
君あしたに去ぬゆふべの心千々(ちぢ)に
何ぞはるかなる
君をおもふて岡のべに行きつ遊ぶ
岡のべなんぞかくかなしき
蒲公(たんぽぽ)の黄に薺(なずな)のしろう咲きたる
見る人ぞなき
この詩は、愛する者を失った悲しみが切々と伝わる詩で、改めて蕪村がもっていた優しさを思わせる気がする。そして、蕪村の死後もまた、彼を慕う弟子たちが感じたことであるに違いなく、言ってみれば、本書はその姿を描いたものであるともいえる気がする。
葉室麟の作風の中で、初期に出された『乾山晩愁』(2005年 新人物往来社)の流れの中の作品のひとつだろうと思われるが、月渓(呉春)の理解には深いものがあると改めて思ったりした。彼が天明2年(1872年)に描いた「木芙蓉鵁鶄(ゴイサギ)図」はわたしの好きな作品でもある。
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