2012年8月3日金曜日

南條範夫『一十郎とお蘭さま』


 うだるような暑さの中で八月を迎えているが、こう暑さが続くと、何もせずにどこかに避暑に出かけたくなる。しかし、そうもいかない現実がある。気を引き締めないといけないと自戒したりもする。

 このところオリンピックの放映を見ながら、南條範夫『一十郎とお蘭さま』(2000年 文藝春秋社)を読んでいた。南條範夫は2004年に95歳で亡くなっているので、これは最晩年の作品でもあり、枯れたような淡々とした文章で、しかし中身はいくぶん湿潤のある物語が展開されている。これは、幕末から明治にかけてのひとりの男の、ある意味では純粋な、一方的な恋愛に生涯をかけた物語である。

 物語の舞台は、越後の三万石の小藩であった村松藩から始まる。万延元年(1860年)から村松藩の藩主となったのは堀直賀(18431903年)で、幕末の頃になると、当時のほかの多くの諸藩と同じように、藩内に尊皇論が起こり、藩政は混乱していき、ついには保守派(佐幕派)が改革派(勤王派)を処刑するという血を流す事件も勃発している。その頃の藩政を牛耳っていたのは筆頭家老の堀右衛門三郎で、藩主の堀直賀はほとんど筆頭家老の堀右衛門の言いなりだったとも言われている。

 やがて、大政奉還(1863年)、鳥羽伏見の戦い(1868年)から戊辰戦争へと政局は大きく変わっていく中で、村松藩は、隣接した会津藩を中心にした「奥羽列藩同盟」に長岡藩などの北越諸藩が加わった「奥羽越列藩同盟」に加わり、明治政府の討伐軍と対峙することになる。しかし、「奥羽越列藩同盟」に加わっていた越後の新発田藩がこれを裏切って政府軍についたために状況が一変し、村松藩では、尊王攘夷思想と結びついて藩政改革を訴えていた人々が「正義党」と称して、藩の首脳部に反旗を翻し、先代藩主の弟の堀直弘を新藩主として擁立し、新政府軍に降伏したのである。

 こうした歴史背景の中に、作者は、欅一十郎という主人公を登場させる。欅一十郎は。わずか六十石の下級藩士である。彼は、剣の腕では天賦の才をもちながらも、人と争うことが嫌いで、剣の試合などでは必ず自分から「参りました」と身を引き、自己主張もせずに、立身出世などは考えたこともなく、若いのに盆栽作りなどを愛でるような人物である。

 彼の剣名は上がっていくが、日常は平穏に過ぎていく。しかし、文久二年(1862年)に参勤交代制度が改められて藩主がほとんどの藩士を連れて国元に帰ることになり、江戸生まれの江戸育ちだった欅一十郎も越後村松に行くことになり、村松での生活が始まる。

藩主の堀直賀は、決断力も実行力もあまりない人物で、慶応元年(1865年)に国元に帰って以来、藩政は全て家老たちにまかせて、自らは美貌の側室である「お蘭」に耽溺する生活を送っていた。「お蘭」は商家の娘であったが、その美貌に目をつけられて側室となり、慶応2年(1866年)には、直賀の子(千代丸)を産んだ。この時、「お蘭」、十七歳である。村松藩では既に継子として先代藩主の弟の直弘が幕府に届けられていたために、ここに改めて継子問題が浮上したりする。しかし、欅一十郎はそうした藩内の勢力争いには無関心で日々を過ごしていく。

だが、慶応2年に若君誕生の祝賀会が催され、剣士として知る人ぞ知る者であった欅一十郎が極めていた「畳返し」という奥義を披露することになったことから彼の人生は一変していく。彼は、その奥義を披露する際に間近で「お蘭」を見て、その美貌に神々しさを感じて虜になってしまうのである。

彼の「お蘭」に対する想いは、決して邪なものではなく、むしろ雲上人を崇めるような想いであるが、彼の頭の中は「お蘭」一色で埋め尽くされ、「お蘭」が住む御殿の警護を任されるようになってからは、ますますその想いが強くなるのである。そして、さらに、いよいよ新政府軍の征伐が始まった時に、会津へ向かう堀直賀から「お蘭」と千代丸の行く末を一任され、二人を連れて逃避行を重ねるに従って、彼の想いは一層深くなるのである。彼は、ただ「お蘭」に仕えることが出来るだけで満たされるのである。

彼らは、とりあえず大阪に借家を借りて落ち着くが、しばらくして用人として一緒に逃避行をしていた藩士が「お蘭」の色香に狂って乱暴を働こうとしたためにこれを追い出し、その際に有り金を持って出て行ったために、たちまち生活に窮しはじめる。一十郎は、築港の人足としての日雇い仕事をしながら生活を支えていく。加えて、連れていた侍女たちも去り、一十郎は「お蘭」の日常生活の面倒からすべてを見ることになるが、「お蘭」にとっては、それは家臣が主君に忠実に奉仕することぐらいにしか思われていなかった。「お蘭」と一十郎の関係は、ずっと主従関係のままであり、その中で一十郎は懸命に「お蘭」に仕えていくのである。

やがて大阪での生活を切り上げて、刀を売って路銀として彼らは明治5年に東京へ移る。旧藩主であった堀直賀は、明治政府軍に下って、その罪を赦免されたとはいえ、その行くへはわからないままで、なんとか主君を探し出そうとしたのである。明治4年に廃藩置県が実施され、堀直弘も東京に居を移していたので、それを訪ねて堀直賀の行くへを探し出そうとしたのである。だが、直賀は精神錯乱のために保護されて一般の面会は許されないという返答しかもらえず、直賀の行くへはようとして知れなかった。欅一十郎は、昼は植木屋で働き、夜は車曳きをして生活を支える。

そういう中で、旧村松藩の家老で、伊藤博文の下で工部省の役人をしている瀬谷権之進と出会う。この瀬谷権之進は「お蘭」のことを聞き、息子の千代丸の海外留学を餌に、伊藤博文に「お蘭」を世話する。長い間苦労して「お蘭」たち親子の面倒を見てきた欅一十郎には、一切の相談もなく事柄は進められ、「お蘭」は瀬谷権之進に身を任せ、ついで好色家の伊藤博文の愛妾となるのである。「お蘭」には、そういうことに対する抵抗は一切なく、しかも、心配して伊藤邸を訪ねていった一十郎に対して、「一十郎、言いにくいことですが、そなたのような年配の、それも独り身の男が、度々この邸に訪れては、人の口がうるさいのです」(142ページ)と追い払われてしまうのである。「お蘭」は一十郎を一顧だにしないのである。

それでも、一十郎は「お蘭」を心配して、その様子を知ろうと世話をした瀬谷権之助を訪ねるが、そこで瀬谷から「お蘭」と寝たということを聞いて激高し、瀬谷を斬りつけてしまうのである。そして、その罪によって一十郎は十年の刑を受けて収監される。

その十年の間、「お蘭」は伊藤博文から板垣退助、三条実美、渋沢栄一と男を渡り歩いて、静岡にいた徳川慶喜の愛妾となっていた。千代丸は育太郎と名を変え、海外留学から帰り、俊英の官吏として成長していた。刑期を終えて出所した欅一十郎は、「お蘭」のことを知ろうとして、その育太郎のもとを訪ねるが、そこでも立派になった育太郎から「以前、母と共に色々世話になったことはよく覚えている。しかしー前科のある者に訪ねてこられては、官吏としての私の立場上、少々困るのだ。諒解して欲しい」(161ページ)と言われるのである。酷い仕打ちだけが彼を待っていたのである。

欅一十郎は、「お蘭」と育太郎からその糸をプツンと切られ、一心に思って世話をしてきただけに抜け殻のようになって日々を過ごす。そんな中で、最後の剣客であった榊原鍵吉と出会い、彼の推挙で、茨城県警察署の剣道師範として採用されていく。彼の人柄も勤務も評判がよく、警察署長は彼に嫁を世話しようとするが、欅一十郎の中には「お蘭」がどっしりと腰を据えてあり、彼は縁談を断って警察をやめ、松村に帰り、そこで藩史編纂の仕事をすることになる。

その藩史編纂の仕事の中で、ようやく行くへが知れなかった旧藩主の堀直賀を見つけるが、直賀は呆けたようになって女の尻を追い回すだけの人間になっていた。ここで、武骨なまでにただひたすらに主君を仰ぎ、主君のために命懸けで方向していくという道を歩み続けてきた欅一十郎の思いは、全て断たれてしまうのである。以後、一十郎は、村松で仕事と読書と散策の日々を過ごしていく。だが、彼の中には「お蘭」への想いがいっぱいつまり、それを消し去ることはできなかった。

そうして歳月が流れ、一十郎がもう五十歳に手が届く頃、「お蘭」が松村にやってくる。「お蘭」も四十歳近くになっていた。愛妾として様々な男を渡り歩いてきた「お蘭」は、最後の徳川慶喜が東京復帰のために身辺整理をする時に解雇されて、息子の育太郎のところに戻ったが、その育太郎がロンドン出向することになったことと、母親のこれまでの行状を恥じたことから、村松に移り住むことになったのである。

欅一十郎は、その「お蘭」と再開する。彼は喜び踊るような気持ちになるが、その関係は相変わらず主従関係のままであり、「お蘭」は片膝をついて話す一十郎を立ったまま上から見下ろしていくのである。しかし、一十郎は、それからまるで使用人のようになって「お蘭」に仕えていく。「お蘭」は一銭の報酬も払うことなく、当然のようにこき使うのである。そして、肩を揉ませ、腰を揉ませ、これまでの男遍歴をとくとくと語り聞かせたりするのである。

そうしたある夜、「お蘭」はわざと自分の肢体を見せて、一十郎を引っぱり込む。「お蘭」にとって一十郎は単なる性欲の対象でしかなかったのであるが、一十郎は夢にも昇る気持ちで夢中になり、もはや彼の生活はそれでけになっていく。ようやく念願が叶ったことを一十郎は実感し、満足していくが、「お蘭」にとっては、閨でも主人関係のままで、単なる肉体的快楽の手段であり、性欲のはけ口に過ぎなかったのである。

だが、「お蘭」との情欲の日々が続いていく中で、東京から「お蘭」に一通の手紙が届き、「お蘭」は一十郎を全く無視した形で上京する。「お蘭」は三条実美の愛妾になっていた時に、その妾腹の子である三条実安とも関係を持ち、それがバレて三条家を出ることになったのだが、その三条実安からの呼び出しの手紙だったのである。「お蘭」の一十郎に対する仕打ちはあまりにひどいものだったが、家臣、あるいは下僕としてしかみていない「お蘭」には少しも悪びれたところがないのである。

こうして「お蘭」は三条実安のもとでしばらく暮らすが、やがて飽きられて捨てられ、再び村松に帰ってくる。だが、その時の「お蘭」は、糖尿病と肥胖病を併発しており、見る影もない姿だった。だが、一十郎はその「お蘭」に再び主従の関係で仕えていき、その死を看取っていくのである。

そして、「お蘭」の死後、一十郎は「お蘭」の面影だけを抱いて、再び盆栽作りなどをして平穏に暮らすのである。

「お蘭」という女性は、「女」を武器にして権力者の間を渡り歩いていった女である。一十郎は、その「お蘭」にひたすら仕えることによって、むしろマゾヒスティックとよべるような愛を全うしようとする。「お蘭」という女性には、肉欲はあっても愛はない。そして、愛の無い女はいつも哀れである。しかし、一十郎のような愛の形はあるかもしれない。だが、彼の愛は、姿形への愛着のようなもので人格的なものではないように思えてならない。そして、人は愚かにも愛着で一生を生きたりもする。彼は「お蘭」によって一切の人格の交流を拒否され、それでも「お蘭」を想っていたのだが、わたしのような人間にはどうにも理解しがたい姿ではある。愛を求めるあまりの人間の愚かさというのを感じながら、ようやくにして本書を読み終わった次第である。

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