2012年8月10日金曜日

千野隆司『恋の辻占 槍の文蔵江戸草子』


 このところ僅かではあるが朝晩の暑さが和らいできたような気がしている。湿度が低くなったので、その分、暑くても過ごしやすくなっているのかもしれない。オリンピックも放映されているし、しばらくは読書量も落ちているのだが、思考力も確実に減退している。しかし、ぼ~っつと過ごすのも悪くはないだろう。

 それにしても、「近い将来」ではだめで、「近いうち」ならいいというこの国の政治のトップの誤魔化し感覚には恐れ入った。しかもその誤魔化しが「したり顔」で行われるのはどういう感覚なのだろうかと思ったりする。こういうことが通用するようになっていく社会が恐ろしい。

 それはともかく、比較的気楽な感じで書き下ろされている千野隆司『恋の辻占 槍の文蔵江戸草子』(2010年 学研M文庫)を気楽に読んだ。書き下ろし作家の中でも、千野隆司は、文章や情景描写、あるいは人の切なさや悲しみを描くのに比較的優れた力をもった作家だと思っているが、本作はさらに読みやすく構成されている。

 本書のカバー紹介に、シリーズ第一弾とあるから、これはシリーズ化されていく企画で始められたのだろう。主人公は、播磨林田藩一万石(作者の創作)という小藩の二十俵二人扶持という下級の藩士で、馬の口取り役(藩主が馬に乗るときに世話をする役で、馬の世話もする)という端役についている新見文蔵で、太刀ではなく槍術に長けた二十三歳の青年武士である。

 彼が藩命によって藩主の江戸出府に伴って、いわば江戸勤番となって江戸に出てきたところから物語が始められ、彼が物見遊山で大塚の護国寺の灌仏会に出かけた時に、若い娘が浪人から財布を掏摸取るのを目撃し、その娘のあとを追いかけたところ、今度はその娘が町のごろつきに絡まれ、その娘を助け出すところへと展開される。

 娘の名は「おけい」と言い、父親は「おけい」が小さい頃に女を作って出ていき、母親は病死して、ひとりで裏長屋に住んで、恋の辻占(恋占いのおみくじ)を売って生計を立てながら、ときおり掏摸も働くという十五・六の娘であった。「おけい」が浪人から財布を掏摸取ったのは、浪人が老婆を突き倒しても素知らぬ顔で行ってしまおうとしたからで、「おけい」は、掏摸をするとはいえ、典型的な江戸っ子気質を持つ正義感の強い情のある娘なのである。この「おけい」が、本書を彩る人物になっていく。

 文蔵の勧めで、掏摸取った財布を持ち主に返すために、その財布の中身を調べたところ、浪人の風体には似つかわしくない大金と一枚の書付が出てきた。その書付には三人の名前が記されていたので、それを手がかりにして文蔵と「おけい」は財布の持ち主を探すことにする。しかし、最初に名前のあった旗本の鷲尾多左衛門は、数日前に鉄砲で撃ち殺されており、次に名前があった米屋の志摩屋五郎兵衛も何者かに襲われ殺されていた。文蔵と「おけい」は、三番目に名前のあった日本橋の醤油問屋の越前屋彦太郎を訪ね、彦太郎はまだ二十代半ばの商人であるが、これまでの経緯を話して、用心するようにいって引き上げる。

 文蔵と「おけい」は、掏摸取った財布は、拾ったことにして、「おけい」の住む長屋を縄張りにしている岡っ引きの丹治に届ける。丹治は、小料理屋である「かずさ」の息子で、父親の跡を継いで岡っ引きとなった人物で、軽妙で少し威張ったとことがあるが、好人物でもあり、母親の「お蝶」の小料理屋の板前でもある。この丹治も本書の重要な役割を果たす取り巻きとなっていく。彼に岡っ引きの手札(許可)を与えているのは定町廻り同心の澤所太左衛門で、彼もまた文蔵が関わっていく事件で文蔵を助ける者となる。

 文蔵は江戸に出てきた時から、小さな廃寺を利用した宝蔵院流の槍道場に通っていたが、その道場主の細沼長十郎と彼の息子の嫁で「早苗」とも懇意になっていく。「早苗」は、夫が亡くなっても義父とともに暮らして、午前中は寺で子どもたちに文字や礼儀、裁縫などを教える文字通りの寺子屋の師匠をしながら、午後はその場で開かれている槍の稽古を見守っている妙齢の女性で、岡っ引きの丹治は、この「早苗」に惚れて、ここに通ってきている。その細沼長十郎が、生計のために用心棒稼業もしており、三番目に名前のあった越前屋彦太郎の用心棒として雇われるのである。この細沼長十郎と「早苗」も本書を彩どる人物たちである。

 物語は、書付に記された三名の繋がりがなかなか見いだせなかったのだが、鉄砲で殺された旗本の鷲尾多左衛門が数年前に御鉄砲箪笥奉行(鉄砲の管理)をしていた頃に、鉄砲の持ち出し事件というのがあり、ほかの二人の商人(越前屋彦太郎の場合はその父親)もそれに関連していたことが次第にわかっていき、そのときに鉄砲紛失の責任を負わされて詰め腹を切らされた武家があることが分かっていく。そして、詰め腹を切らされた武家は、一家離散となり、その妻は病死、姉は借金で遊女に売られ、その弟が恨みを晴らすためにそれぞれを襲っていたことがようやく分かっていくのである。

 文蔵と細沼長十郎は、槍を下げて越前屋彦太郎を守り、ようやくにして犯行を防ぎ、越前屋彦太郎は事情を鑑みて、遊女に売られていた姉を身請けして自由にしてやることで事件が解決する。それが第一話「恋の辻占」であり、こうして江戸勤番で田舎から出てきた新見文蔵の江戸暮らしが始まっていくのである。

 第二話「おけいの涙」は、「おけい」が住む長屋の一帯を取り仕切っている地回りと隣接する牛込あたりの地回りの縄張りをめぐる抗争事件で、岡っ引きの丹治が斬られてしまい、その抗争事件を文蔵、長沼長十郎、同心の澤所太左衛門が、両者を戦わせるという方法で解決していくものである。この事件で「おけい」が捕まってしまい、あわやというところで助けられていく。「おけい」は、次第に文蔵に心を寄せるようになっていく。そういう過程が織り込まれていく。文蔵は槍だけでなく、料理もうまく、その料理の腕を使って、細沼家や丹治の家の小料理屋に自然と馴染んでいき、彼の江戸暮らしは、これらの人々との交情で温かく織り成されていくのである。

 第三話「雨後の神隠し」は、「早苗」の手習い所に通ってきている商家の息子が行くへ不明となり、みんなで手分けして子供の行くへを探しているうちに、商家の姑とおりが合わなくなって婚家を出された子どもの母親や、それを利用して子どもを拐かして商家の乗っ取りを企む男女の姿が明らかになり、みんなで協力して子どもを救出していくというものである。

 全体的な構成や展開などは、主人公が田舎侍で、槍を使うということ、料理が得意で、自分が田舎侍であることやお役らしいお役もないことなど少しも気にかけずに、日々を愉しむ才をもつことなど、面白味のある構成になってはいるが、作品としての独自性があるわけではない。しかし、物語の展開の仕方や流れるような文章、描写には作者の力が円熟してきているのを感じたりもする。

 ただ、気になる箇所が二箇所あって、どちらも誤記ではないかと思う。一箇所は、第二話「おけいの涙」で、いよいよ地回りの凄腕の用心棒たちと文蔵や細沼長十郎が立ち回りをする場面で、次のように記されている。

  「とうっ」
  長沼はさっそく、突き出してきた突く棒を闇の空に払い上げた。
  「この野郎」
  長脇差の金次が、長沼に向かい合った。(202ページ)

 この「長沼」とは誰だろう。おそらく「細沼」の間違いではないだろうか。

 二箇所目は、第三話「雨後の神隠し」で、これも誘拐犯人と丹治が対峙する場面で、丹治が子どもの監禁されている神輿倉に飛び込み、文蔵が外で控えているという設定だが、「文蔵は、まだ倉の外にいた。出てきたところでひっ捕らえるつもりである。常次郎もお衣も(誘拐犯人)、常次郎の他には人がいないと考えている気配だ」(278ページ)とあるが、これは、「常次郎の他には」ではなく「丹治の他には」であろう。

 こういう間違いは、たいていは編集の段階で修正されるのだが、場面がどちらも緊迫した場面であるだけに、「?」と思い、少し残念な気がする。

 とはいえ、熟れた物語の展開は面白く、登場人物たちがこれからどんな事件に関わっていくのか、恋も芽生え始めており、興味がわく要素はたくさんある。千野隆司はシリアスに描くのもいいが、こういう作品も悪くないのである。

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