このところ気温が高速エレベータに乗っているように上下しているが、今日は暖かな春の青空が広がっている。桜の開花まであと少しというところだろうか。
昨夜は、震災2周年の支援活動の報告会を兼ねた集まりに出かけてきた。「行為と存在」ということを強く感じながら、行為から存在に移行するしんどい作業が必要なのだろうと思ったりする。これがなぜしんどいかといえば、人の判断がもっぱら行為にしか基づかないからで、「何をしたか」ではなく「どうあったか」、あるいは「どうあるのか」を大事にしたほうが良いと思っているからである。
まあ、それはともかく、乙川優三郎『さざなみ情話』(2006年 朝日新聞社)を読む。これは、 時代小説というよりも純文学作品と言ってもいいような作品だった。物語は、利根川で高瀬船を操りながら荷運びをする男と、彼が想いを寄せる松戸の平潟河岸で食売旅籠の売笑(娼婦)をしている女の情話で、共に貧しさを抱えながら、なんとか希望を見出そうとしていく話である。
修次は、銚子沖のイワシ漁で父親と兄を失い、老いた母親と妹の生活を支えるために、小さな中古の高瀬舟を借金をして買い、銚子から利根川を上って醤油や魚油などを運ぶ仕事をしている船頭である。彼の妹は、幼い頃に彼の不注意で身体に火傷を負って、その痕が身体に残っているために、嫁にも行けずに鬱屈した日々を過ごしているし、彼の肩には、一家の生活が重くのしかかっていだけでなく、妹に対する負い目もある。
二十三歳のころ、少し自由になる金もできて遊び盛りだった彼は、松戸の平潟でひとりの売笑を買った。それが「ちせ」で、「ちせ」は越後の貧農の生まれで、十三歳の時に売られ、下女奉公から初めて十五歳で客を取らされた。彼女が修次と会ったのは十六歳の時であったが、まだ年季が四年ほど残っていた。また、年季が明けたからといってそのあいだに借金ができる仕組みになっていて自由になれるわけではなく、悪くすればまた別の宿に娼婦として売られるだけであった。
仕方なく男を受け入れす仕草にぎこちなさがあって、修次は罪深さを覚えつつも、「ちせ」に惹かれていった。「ちせ」は、どうあがいてもどうにもならない境遇の中で、ほかの女たちとは違う素直さや素朴をさもった女だった。
そして、「ちせ」もまた、修次に安らぎを見出すようになり、二人は互の想いを交わす仲になったが、二人ともどうにもならない境遇にいることは変わりなかった。修次は、彼女の年季が明けたら、なんとか借金を払って身請けして夫婦になりたいと思っていたが、頼りない中古の小さな高瀬舟を操るだけでは金が貯まらなかった。
修次の船で働く男や「ちせ」の同輩たち、いじけた修次の妹、そういう人間が渦巻く中で、出口の見えない希望だけが二人を繋ぐ日々を過ごしていく。その間の二人の心情がそれぞれに情感的に描かれていく。
そうしているうちに、「ちせ」の身請け話が起こってしまう。相手は大店の醤油問屋である。修次は何とかしようとするが、金の力に負けそうになる。だが、彼は決断して、「ちせ」を足抜けさせ、高瀬舟で海に出て、心中を装って、二人でその苦境から脱出していくのである。
そういう顛末が描かれているのであるが、貧しさのために売られて売笑(娼婦)として生涯を過ごさなければならない女の悲しみや苦労、重荷を抱えて生活に追われていく男のやるせなさ、そういうものが溢れて、作品を仕上げている。
最後は、誰も知らない九十九里浜で二人は漁師として生きていく道が開かれて行くのだが、希望は決断によってしか生まれないということを思いながら読み終えた。ただ、こういう「情話」は、今ひとつわたしの好みではなく、少し読むのに時間がかかった作品だった。
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