穏やかな秋晴れになった。今日は一切の仕事をお休みしてゆっくりしようと思っていたが、明日の講義の準備などがあるなあと思うと、つい、朝からパソコンを開いていた。貧乏性というか、暇人というか、結局いつもと変わらない月曜日になった。
週末にかけて、上田秀人『竜門の衛(りゅうもんのえい)』(2001年 徳間文庫)を読んだ。作者は、1997年に『身代わり吉右衛門』が第20回小説クラブ新人賞佳作に入選して作家デビューをし、本書が初の書き下ろし長編時代小説である。本書は一話完結で書かれているが、おそらく好評だったからであろうが、後に主人公の名前をつけて「三田村元八郎シリーズ」としてシリーズ化され、第二作以降は『狐狼剣』(2002年)、『無影剣』(2002年)、『波濤剣』(2003年)、『風雅剣』(2004年)、『蜻蛉剣』(2005年)といういささか無骨な表題がつけられている。
ただ、この『竜門の衛』という表題は、なかなか含蓄のある表題で、「竜門」というのは「登竜門」というよく使われる言葉が示すように、元々は中国の黄河流域の山岳地帯にある場所で、山がせり出して険しく、魚もここを登れば竜になると言われるような「狭き門」を指しており、中国の天子(皇帝や王)が自らの権勢を好んで竜になぞらえたことから、「竜門」は天子の王城の門を意味するものでもあった。「衛」は「まもる」という意味であるから「竜門の衛」は「天子の王城を護る」ということを意味するのである。
江戸時代の初期、徳川家康と二代将軍徳川秀忠は、慶長20年(1615年)に「琴中並公家諸法度」を制定して、天皇と公家の行動を厳しく制約した。江戸時代全期間を通じて、この法律は一度も改定されずに、天皇の権限を幕府の下に置いてきた。元々、将軍位というものは天皇から付与されるものであったが、これによって江戸幕府は公家の上部に位置するものとなったのである。歴代の天皇は、たとえば後水尾天皇などはこうした幕府の態度に強く反発したが、結局は幕府の統制下に置かれた。だが、公家の不満はくすぶり続け、幕府とのあいだの緊張関係が常にあったのである。
『竜門の衛』という本書の表題は、こうした江戸幕府と天皇や公家たちとの緊張関係を示しているのである。もっとも、本書では「竜門」というのが、「天子の王城」だけでなく徳川幕府の将軍位も指し、江戸南町奉行所同心に過ぎない主人公の三田村元八郎が、その両方を護っていくという設定になり、元八郎の家族の秘密や彼の恋が絡んで面白い展開になっている。また、また、三田村元八郎は、同僚の同心仲間たちからは少し浮いた存在であるが、宝蔵院一刀流という一子相伝の秘剣を伝授されたものとして、権力を掌中に握ろうとする者たちが放つ刺客たちとの死闘を繰り返していく。だから、政治抗争あり、剣劇ありの硬派のエンターテイメント性が満載の作品になっている。もちろん、恋もあるし、物語のどんでん返しもある。
物語は、第8代将軍徳川吉宗の治世の後期、南町奉行所定町廻り同心の三田村元八郎が、すれ違った「伽羅(から)」という柳橋芸者から父親の家が危険にさらされているということを告げられるところから始まる。それを告げた「伽羅」に不可思議なものを感じるが、彼が急いで一親の隠居所に駆けつけてみると、その言葉通り、賊が父親を囲んで斬り合っているところだった。元八郎の父親の順斎は、元南町奉行所隠密廻り同心で、家督を息子に譲って隠居していたのである。この父親の家がなぜ賊に襲われたのかの謎は、物語のずっと後の結末部分で明らかになるというミステリー仕立ての構成になっている。
それはともかく、一応は賊の襲撃は撃退し、三田村元八郎は、彼の片腕として働く岡っ引きの貞五郎らと凶悪な押し込み強盗などを捕縛したりしていく。貞五郎は相撲取り上がりの巨漢で、元八郎から生きる道を与えられて、彼のためには命さえ惜しまないほど元八郎に惚れ込んでいるし、元八郎も貞五郎やその妻への配慮も欠かさない。元八郎はそういう人物なのである。
その元八郎の上司は、大岡越前守忠相である。奉行所内では孤立しがちな元八郎を大岡越前守忠相は目をかけていく。そうしているうちに風呂屋(蒸し風呂)で元八郎は芸者の「伽羅」と会い、「伽羅」から彼に賄賂を贈ろうとしている出入りの「出雲屋」という店の主が、元八郎の父親の襲撃に絡んでいるという話を聞く。そこで「出雲屋」を探ってみると、疑わしいところが山ほど出てくるのである。「出雲屋」の手代は行くへ不明であり、昔から勤めていた者たちは全て辞めさせられ、商売もしていないのに金があるようなのである。その探索の途中で、元八郎は、示現流の達人の菊池主馬之助と名乗る侍に襲われ、かろうじて難を逃れたりもする。
元八郎の父親の順斎は、襲撃されたことの裏には、将軍吉宗の落胤をめぐって起こった「天一坊事件」(1729年)に関係があるかもしれないと語る。彼は大岡越前守忠相から密かに密命を受けて、吉宗のご落胤を探し出したというのである。そして、捕縛されて死罪となった天一坊改行は、実は、騙り(偽物)で、本物のご落胤である改行は密かに殺されていたと告げる。そのことを知っているのは大岡越前守忠相と順斎だけだから、その事件に関連して自分が狙われたのではないかと言うのである。
この辺りの作者の仕掛けは実に巧妙で、歴史的には大岡越前守忠相は「天一坊事件」には一切関係がなく、後の講談や歌舞伎の中で『大岡政談』として取り入れられたに過ぎないとされているが、大岡忠相が南町奉行になったのは1717年で、以後1736年まで町奉行職にあり、「天一坊事件」は彼の任期中の出来事である。だから、大岡越前守忠相が密かに隠密を派遣したという設定は無理がなさそうにも見えるのである。もっとも、奉行所同心が江戸の町から出ることはなく、奉行の命を直接受けて働く隠密廻り同心であっても、順斎が紀州にまで出向いて真相を探るというのはありえないかもしれない。だが、そうした歴史的な齟齬を弾き飛ばすほど物語は面白く進んでいき、このことがパズルの一片のように働く仕掛けになっているのである。
三田村元八郎は、不審に思った「出雲屋」を見張り、「出雲屋」が旗本の松平竹之丞と繋がり、松平竹之丞が老中の松平乗邑(のりさと 1686-1746年)に繋がっていることがわかっていく。
松平乗邑は、後に吉宗の後の将軍位後継問題で、幼少の頃に病を得て言葉が不自由になった継子の徳川家重ではなく、聡明と謳われた次男の宗武(田安家として別家を建てられた)を将軍に擁立しようとして失敗し、1945年に家重が第9代将軍に就任するときに老中を解任されて隠居を命じられている。彼は大岡越前守忠相と反目し、老中職にあるときはことさら忠相を無視して、今で言う「いじめ」を行っている。
だから、彼の名前が出てくれば、物語が将軍の後継問題をめぐる政争に発展することが予測され、本書では、継子である家重が吉宗の名代として増上寺に参詣する際に、家重を害する計画を、彼の意を受けて「出雲屋」が実行しようとするという展開になっていく。そして、そのことを察した三田村元八郎が「出雲屋」の計略を阻止していく展開となる。
そして、元八郎の働きで「出雲屋」の計略が発覚し、家重の参詣は滞りなく行わわれるが、「出雲屋」はいち早く霧散してしまうのである。
計略が失敗した松平乗邑は、大岡越前守を江戸町奉行から罷免させようとする。だが、こうした裏の事情を知った徳川吉宗は、大岡越前守を町奉行から寺社奉行へと移し、将軍位継承問題に絡んで起こってくる京都の天皇家との確執問題に当たらせるのである。
このとき、なるほどと思ったのは、寺社奉行となった大岡越前守は松平乗邑をはじめとする幕閣から「いじめ」を受けるが、大岡越前守がその「いじめ」の中を平然と、坦々として過ごしていく姿が描かれている点である。こうしたところが本作の心憎いところでもある。
そして、大岡越前守は、孤立してはいるが優れた働きをする三田村元八郎を町奉行所から引き抜いて、自分の部下とし、彼を将軍継承問題の裏で行われている天皇と公家を巻き込んだ工作の真相究明のために京都へ派遣するのである。将軍宣下をするのは天皇であり、松平乗邑は、吉宗の次男の宗武に将軍宣下がなされるように画策していたのである。
こうして物語は、東海道から京都へと移っていく。その後の展開については、次回に記すことにする。最近は、なかなか一回でまとめることができずにいるが、これを記す時間があまりなくて、それもやむを得ないと思っている。
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