昨日は雨が降りしきる中を小平霊園まで出かけ、戸外での催しだったので傘をさしてはいたがほぼずぶ濡れになってしまった。しかし、U先生というわたしの恩師ご夫妻に久しぶりにお会い出来てよかった。
先日、図書館に行った折に犬飼六岐『囲碁小町嫁入り七番勝負』(2011年 講談社)という書物を見つけ、囲碁について少なからぬ関心もあるので、表題に惹かれて借りてきて読んだ。以前、六段の方と打って、どうしても勝つことができずに、密かに「囲碁将棋チャンネル」という衛星放送を見たりしていたし、江戸時代の最高峰と言われた本因坊秀策の棋譜を並べたりしていた。
犬飼六岐(いぬかいろっき)という作家の作品も初めて読むのだが、本書の奥付では、1964年に大阪で生まれ、大阪教育大学を卒業して公務員をした後、2000年に『筋違い半介』(2006年 講談社)で小説現代新人賞を受賞されて作家デビューされたようだ。これまで剣豪物や時代小説ミステリーのような作品を書かれているようだが、本書は、「囲碁小町」と呼ばれる若い女性を主人公にして、その表題のとおり、自分の嫁入りを賭けて囲碁の七番勝負をするという少し毛色の違った作品である。
薬種問屋の娘「おりつ」は、幼い頃に祖父が残した碁盤と碁石で弟とおはじきのようにして遊ぶくらいだったが、父親が祖父の知人を招いて囲碁を教えてもらうようになり、その囲碁の師の飄々としながらも温かみのある人格もあって、囲碁に魅了され、囲碁小町と呼ばれるほどになった。自分では実力は初段くらいと思っている。その彼女に、御典医で囲碁好きな筧瑞伯が、負ければ孫の嫁になれと言って七番勝負を挑むのである。「おりつ」は、初めはそれが自分の嫁入り先を決める勝負とは思わずに勝負を引き受けるのだが、筧瑞伯の孫は、長崎で蘭医を学んで帰ってきたとはいえ、どこか軽薄でチャラチャラした男に見え、「おりつ」は何が何でも勝負に勝って、この縁談をなしにしようと決心する。
瑞伯が「おりつ」の囲碁の相手として選んだ人物たちは、それぞれに特徴があり、それが棋風にも現れていく。「おりつ」は、初めは2勝するが、自分の心の乱れもあって、やがて負けがこんでいく。「おりつ」の家族や天真爛漫な友人に支えられ、また囲碁の師匠である宇平衛のさりげない助言なども受けていく。こうして、「おりつ」は少し持ち直す。だが、敬慕していた宇平衛が流行の麻疹で亡くなってしまい、「おりつ」はその悲しみ見浸る。宇平衛は、実は囲碁家元四家のうちの安井家の分家である阪口家の息子で、事情があって幼い頃に大阪に預けられて阪口家を継ぐことができなかった人物であった。だが宇平衛には、この世の名声や栄達には全く関心がなく、ただいい碁を打つことが望みのような人で、飄々と生きていた人だった。
「おりつ」は残された宇平衛の棋譜から囲碁の本当の楽しさを取り戻していき、勝負を3勝3敗の5分に戻すことができたのである。そして、最後の相手は最強の棋士と言われた本因坊秀策であった。「おりつ」は本因坊秀策に憧れていた。だが、その勝負の日には本因坊秀策はコレラに罹ってしまい、結局、最後の勝負は嫁取り七番勝負を持ち出した筧瑞伯とうち、「おりつ」は嫁取りの呪縛から逃れるのである。
だが、「おりつ」は、流行の麻疹にかかった患者を見るうちに次第にしっかりとした人物に変わっていった瑞伯の孫を見直していたし、瑞伯の孫も「おりつ」に想いを寄せるようになっていく。
「おりつ」は、最後の勝負ができなかった本因坊秀策を見舞い、彼と障子越しに、諳んじて打つ(碁盤なしに、頭に描いた状態で打つ)のである。秀策は、約束通りに対局してくれたのである。だが、それは秀策の病のために二十手で打ち掛け(中止)となる。
時は、ペリーの黒船が1853年に浦賀沖に現れて以来の騒然とし始めた時代であり、その時代の影も本書の中で丹念に描かれている。ちなみに、本因坊秀策が34歳の若さでコレラのために死去したのは、1862年であった。
囲碁には棋風というものがあって、その人物の人格や人生観を表すものでもある。本書では、それぞれの人物に合わせた囲碁の勝負が記されて、囲碁を知る者には面白いし、囲碁を知らないものにも、その情景がわかるように記され、「おりつ」や彼女を囲む人々の温かさも伝わる。
欲を言うなら、囲碁は勝負事であると同時に哲学でもある。碁盤を宇宙になぞらえることはよく知られているが、そうしたことが囲碁を打つ人々の姿勢として表されると物語に深みが出るような気もした。しかし、たいへん読みやすくて面白く読めた一冊だった。
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