昨日は重い雲に覆われて「春の嵐」と呼ぶにはあまりにも強い風が吹いて、道を歩く時も吹き飛ばされそうな気がしていたし、お風呂の天窓がカタカタと音を鳴らし続けていた。この不順な天候で農作物があまりうまく育たないと聞いて、それでなくても高い野菜の値段がまた上がるかもしれないとおもったりもする。ここではトマト1個が200円近くもする。
しかし、「強い風の吹く日には、誰かの罪がゆるされ、冷たい雨の降る日には、誰かの悲しみがいやされる」と思ったりもする。
宮部みゆき『天狗風 霊験お初捕物控(二)』を予想した通り面白く読み終えた。物語の途中では、「神隠し事件」とからまって、「阿片の密売」に絡んだ事件が明るみに出ていったり、「神隠し」を利用した「誘拐・脅迫事件」が明らかにされていったりして、それぞれの事件に関わった人物も丁寧に描写されているが、すべてが大円団を迎え、女の執念の化身である「天狗」も、真の美しさが人の心の中にあると信じる主人公のお初の手によって解決されていく。
お初は、神隠しを起こした女の執念と対決する時に、友人の古沢右京之介の丸眼鏡をかりて、それで正体を見極めていく。右京之介は、お初がどんな姿形でも(お初は美貌の持ち主ではあるが)「美しい」と思う時があるといい、本当の美しさは、それを感じる人の心にあるという。その丸眼鏡の助けを得て、「神隠し」をおこなう女の執念に立ち向かうのである。
それは決して深い思想の開示ではないかもしれないが、こういう素朴で当たり前のことを、ひとつの物語として展開していくところに作者の作家としての「面白く読ませる」という豊かな技量がある。また、お初と右京之介の恋心や、算術を志したために勘当した右京之介の父親の、温かく見守りながら息子を認めて助けていく姿なども描かれていくし、根岸肥前守のすべてを包み込むような姿もよく描かれている。こういうところは、人間への姿勢という点で、優れた作家である平岩弓枝の作風を思わせるものがある。読みやすさとストーリーの展開で、宮部みゆきは群を抜いていると言えるかもしれない。
作品に思想的な深みを求めているわけでないから、少なくともわたしには、この類の作品は、あまりにも奇想天外なファンタスティックなところは除いても、何か精神的な疲れやつらさを覚える時に読むのによい作品のように思える。現実離れした話がしっかり現実に根をおろしているので、話が荒唐無稽に思われないようにできているのが好ましく思えるのである。
明日は、今年のイースターで、希望の到来を告げるイースターが春を思わせる日になればいいと思ったりする。ずいぶん以前に、スザンナ・タマ-ロの「一人で生き抜く力」というのを考えたことがあるが、ひとりで天に向かって手を伸ばす日であればいいと思う。
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