2010年4月5日月曜日

多岐川恭『暗闇草紙』

 雨が降り始め気温も下がってひどく寒い四月の月曜日になった。気温がジェットコースター並みに変動しているが、今日はまことに寒い。

 昨日から多岐川恭『暗闇草紙』(1982年 講談社 1992年 新潮文庫)を読んでいたが、これは「草紙」と表題にあるように、一昔前のとてつもなく面白い冒険・推理・時代小説であり、推理作家でもある作者が意図的に娯楽時代小説として書きあげたもののように思われる。

 物語は、妻恋坂の裏通りにある通称「暗闇小路」の裏店に住む手習い所の師匠で剣術道場の代稽古をしながら糊塗をしのいでいる浪人が、その裏店に越してきた若い娘と乳母と思われる女の家に入った押し込み強盗の事件をきっかけに、隠された財宝を探し出していくというもので、同じ裏店に住む岡っ引きとその出戻り娘、浪人が惚れて通っている馴染みの女郎、精神的な安らぎを覚えて慕っている尼僧、彼に思いを寄せて迫る剣術道場の妻などとの恋模様あり、隠された財宝が長崎における抜け荷や海賊からの略奪品であり、裏切りの繰り返しで狙われ続けたものであることなどの人間の欲の深さありで、それらが巧みに織り混ざって、物語の山場を迎えていく。

 主人公の浪人が、貧乏手習い所の師匠を続けようとするところもいいし、気性がさっぱりして頭のいい女郎のもとに通いながら、一方で清楚で頭脳明晰な尼僧に魅かれつつも、ついに色香を振りまいて迫って来る剣術道場の妻の誘いに負けて、その夫と話し合って、彼女と夫婦になるようになる、いわゆる凡夫として描かれているのもいい。女郎も尼僧も、境遇は正反対だが、物事の真実を見通す目をもっている女性として描かれているし、岡っ引きの出戻り娘の恋心も綾を添えていく。また、欲に固まった長崎奉行と商人との結託と裏切りの繰返しによって隠されてしまった財宝の顛末も、いかにも娯楽小説としての筋立てがきちんとしている。

 物語の大円団は、財宝が隠されていた高尾山の山頂で起こるが、そこに財宝を狙う元長崎奉行の手の者とそれを争っていた商人の手の者、そして、鍵を握る若い娘と乳母、真実を暴こうとする主人公の一団がすべてそろって争いとなり、尼僧の昔のつてである大身の武家と火消し仲間の手によって争いが鎮められ、若い娘や乳母の正体も暴かれ、隠されていた財宝は結局誰の手にもならずに円団を迎えていくというものになっている。

 そして、最後のところで、女郎は女郎屋を買い取って彼女を慕う下働きと、岡っ引きの出戻り娘は自分の恋心を胸にしまって父親の手下と、尼僧は変わらず静かに、そして主人公は剣術道場の主となって尻に敷かれていく。尼僧の境遇が最後に明かされるが、それも精彩を放っている。

 こうした作品は、肩の凝らない「草紙」-読みもの‐として面白いし、直木賞や紫綬褒章までも受賞している作者の技量は改めていうまでもない。なぜか、松本清張の隠し金山を舞台にした長編の時代小説『西海道談綺』を思い起こしたりした。『西海道談綺』も、本当に面白く、こちらは以前住んでいたところの近くの九州の日田や鯛尾金山などが舞台であったので、よくそこに出かけたりした。今でも、九州に行った折には日田の筑後川に鮎を食べに行ったりする。多岐川恭『暗闇草紙』の最後の舞台となった高尾山にも思い出がある。

 こうした地名の出てくる時代小説を読むと、その場所を思い出したりするのも小説の効用だろう。

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