2010年4月23日金曜日

諸田玲子『めおと』

 「菜種梅雨」という言葉があるが、今日も降り続く冷たい雨にぬれそぼるような光景が広がっている。新緑の薄緑色をした木々の葉から、雨が滴り落ちる。

 昨夜、諸田玲子『めおと』(2008年 角川文庫)を読んだ。この作品には、珍しく作者の「あとがき」が記されていて、ここに収められている六編の短編が作者の初期のころの作品であり、それなりの思い入れがあることが述べられている。

 読み進めていくうちに、作者にしては少し表現も構成も荒いような気がしていたし、無理やりまとめようとしているところを感じていたが、「あとがき」を読んで、なるほど、と思った。そう思って改めて見ると、後に作者が展開していくような人物像や物語の萌芽とでも言うべきものが随所に見られて、この作者が抱いているテーマのようなものが見えてくるような気もする。

 『めおと』は、表題のとおり、それぞれ六組の夫婦の姿を描いたアンソロジーになっており、藩の政争で義理の妹を装って送り込まれた美貌の女(忍び)に嫉妬心を燃やす妻を描いた「江戸褄の女」、病気の夫と生計のために密かに体を売り、自分のことが夫に知られないかと不安に思いながらもそのことに馴染むうちに、夫の病を引き起こしていたものが、夫を手元に置いておきたいと願う老僕の仕業であることがわかって、老僕と死に物狂いの争いをして夫の元に帰っていく妻を描いた「猫」、浪人となって辻斬りをする夫と、昔の男と逢瀬を続ける妻、そしてその夫と妻の姿が交差するところで二人とも死んでしまう「佃心中」、駆落ちして旅館を営むようになった夫婦が、同じように駆け落ちしてきた若い武士と女を助けようとして奔走するうちに、互いの絆を確かめ合うようになる「駆け落ち」、今川義元と織田信長の桶狭間の合戦に雑兵として駆り出された百姓が、迎えたばかりの自分の妻の尻軽さを知り、その報復として強烈な下剤ともなる薬を仕込んだ酒を今川義元らが飲んでしまって、結局、桶狭間で休息を取らざるをえなくなり、織田勢に敗れたという「虹」、ひとりの女性を思い続けて盲目にまでなった戦国武将の工藤泰兼を描いた「眩惑」。いずれもが、男と女、あるいは夫婦の間の微妙なバランスを描いたものである。

 これらの作品のうち、「駆け落ち」は、駆け落ちして苦労し、ようやく旅館を営むようになったが、それによって腑抜けのような生活をしていると思っていた夫が、若い男女の駆け落ちを命を賭して助けようとする姿を見て、今の夫との生活を「ありがたい」と思い直していく旅館の女将の姿を描いたもので、これは後の、たとえば『お鳥見女房』に出てくる夫婦の姿などを彷彿させるものがある。あるいは、『あくじゃれ瓢六』で描かれる男女の姿も彷彿させる。

 普段は腑抜けのようにしていて、いざとなったら立ちあがって守ってくれたり、義を通したり、そういう男が、ある意味で作者の理想だったのかもしれないと思ったりする。男と女の関係は人間の分泌されるホルモンの作用かもしれないが、そこに「情」が絡み、特に嫉妬は毒にも薬にもなる。そういう絡んだ「情」や嫉妬が毒になったり薬になったりする姿を、初期の頃の作者は描いていたのだろうと思う。

 ともあれ、『めおと』は、諸田玲子という優れた作者の出発点とも言える作品である。

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