久しぶりによく晴れた日になり、朝から窓を開け放ってベートーベンの交響曲を流しながら掃除に精を出した。あるラジオ局から出演の依頼があって、どうしようかと考えていたが、結局、企画の趣旨がどうも自分のあり方とは異なっている気がして、今日、お断りした。担当者が丁寧に対応してくださったので、なんだか悪いような気もしたが、節は曲げたくない。
大学で政治学か国際関係学を教えているM教授から久方ぶりでニュースレターを受け取ったが、彼は、このままだと日本の国際的な地位が下がって、ますます四面楚歌になってしまうことを憂えていた。論旨を読みながら、日本の国際的地位や国力が下がると外交や経済で発言力が低下して、どうにもならないところに追い込まれるかもしれないが、果してそれがどれほどの意味があるのだろうかと考えていた。「ミミズのたわごと」かもしれないが、弱くて小さな国でもいいんじゃあないかな、と思ったりもする。
土曜日の夜と日曜日の夜にかけて、内田康夫『棄霊島(上・下)』(2006年 文藝春秋社)を読んだ。これは時代小説ではなく、心優しい名探偵「浅見光彦」が活躍する探偵小説で、以前に推理小説や探偵小説をずい分と読んでいる頃から彼の作品を読んでいて、内田康夫の作品はほとんど読んだように思っていたが、調べてみると、2003年あたりから歴史・時代小説が枕本の中心となっており、図書館でこの本を見つけて借りてきた次第である。
探偵小説は、著名なドイルのホームズやクリスティーのポアロ、ミス・マープル、チェスタトンのブラウン神父などを始め、明智小五郎、金田一耕助はもちろんのこと、様々な名探偵が活躍する小説や、トリックに凝った島田荘司のものや東野圭吾の作品もたくさん読んだが、内田康夫が描き出す浅見光彦は、とりわけ心優しい。文章も柔らかく、内実もある。論理の組み立てよりも、彼の人間性がいい。シリーズが進むにつれて、いくぶんデフォルメされて理想化されていったきらいはあるが、ひとつの事柄の歴史的背景の中で物語が展開するので、ほかの探偵小説とは異なった独自の世界がある。たくさんテレビドラマ化されているので、いくつかのものはテレビドラマでも見たが、ドラマの方は、原作で最も大事にされている事件や事柄の歴史的な背景の掘り下げがもう一つのような気がして残念な気もする。
『棄霊島』は、長崎半島の南西海上に浮かぶ通称「軍艦島」と呼ばれる「端島」を舞台にしたもので、「端島」は、元々は小さな瀬に過ぎなかったが、江戸末期ごろから石炭の産出地として知られ、燃料としての石炭の需要が増加するにつれて埋め立てられて坑道が広げられていったが、度々の大風被害のために本格的な採炭には至らなかった。しかし、1890年(明治23年)に三菱が鍋島家(佐賀)から買い取って、以後、2001年まで三菱の私有地で(現在は無償譲渡されて長崎市が所有している)、周囲を高い護岸堤防で覆われた炭鉱の島となったところである。
1916年(大正5年)に日本で最初の鉄筋コンクートの高層集合住宅が建設され、人口密度も高く、島内でほぼ完結した都市機能が整備されていく中で、その姿が「軍艦」のような所からこの呼び名がついたが、石炭産業の衰退と共に、炭鉱が閉山され、現在は廃墟となっている。
軍艦島での炭鉱の労働は、待遇はまあまあではあったが、苛酷であることに変わりはなく、特に、第二次世界大戦中に行われた朝鮮人の強制連行による強制労働は過酷を極めたと言われている。
『棄霊島』は、その朝鮮人の強制連行と強制労働を背景にして、学徒動員で労務管理者として派遣されていた男が、戦後、教育界の指導者として尊敬されるようになり、その男に絡んだ殺人事件の真相を、本業である雑誌の取材で知り合った五島列島の元刑事の死と関係した浅見光彦が暴いていくというものである。
ここには、そうした朝鮮人の強制連行と現在の北朝鮮による日本人拉致問題、靖国神社をめぐる問題、教育行政の問題などの現在の焦眉の問題が意図的に取り上げられているが、社会の中で自己を守るためにどうしようもなく罪を犯さなければならなくなっていく人間の姿が克明に描かれている。
犯罪の社会的背景を浮き彫りにする手法を用いたのは松本清張であるが、松本清張の地を這うようにして犯罪の真相を暴いていく刑事たちと異なって、名探偵浅見光彦は颯爽としているし、何よりもさらに歴史的背景が描かれるのである。そして、彼の立場は、それが政治的な問題であれ、いつでも非政治的である。人間を個人として包もうとする。それが作者の主眼でもあるだろう。
内田康夫の作品の中に登場する犯罪者たちは、そのほとんどが、どうしようもなく罪を犯さなければならなかった人間たちであり、そのどうしようもなさが背景として掘り下げられ、名探偵浅見光彦は、鋭くその犯罪の真相を暴きながらも、それを優しく包んでいく人間なのである。推理の展開や作品のプロットに幾分の無理も矛盾もあるが、主人公のその優しさで救われている。彼が優秀な兄に頭が上がらない居候で、その兄を心から尊敬し、しかも、女性に対して臆病であるのも、人間を個人として優しく包むという作者の姿勢を具現化するものだと言えるかもしれない。
「浅見光彦倶楽部」というのもあり、内田康夫は長者番付に名前が載るくらいのベストセラー作家であり、作品も本当に多いので、その作品について書き始めるときりがないが、こうした形で、人間の優しさや思いやりが世の中に浸透していくのは良いことだろうと思う。
それにしても、わたしは普段でも体のあちらこちらを机の角や柱の角でぶつけて、自分で痛い思いをすることがよくあるが、今日は、台所の掃除をしていて、シンクの上にある棚の扉を開け放しにしていたのだろう、その扉に思いきり頭をぶつけて、前頭葉を切ってしまったようだ。今、何か痛いなあと思ったら、かなりの長さで血痕が付いていたので自分で驚いてしまった。この傷は後に残るかもしれないが、愚かさのしるしのようなものだろう。
突然のコメント、失礼します。
返信削除大学のレポート「隠された歴史について」の、ネタ探しで閲覧させていただきました。長崎にいるので、軍艦島について書こうかと漠然と考えていたのですが、小副川さんの記を見て書くことが浮かびました。参考にさせていただきます。自分も探偵小説は好きで、赤川次郎や山村美沙、西村京太郎(探偵小説というよりサスペンスですが)をよく読みます。今後も読書の参考にさせていただきます。更新、頑張ってください。
コメント、ありがとうございます。
返信削除よい「レポート」が書けることを祈念しています。
今は廃墟となった軍艦島に立つと、その盛衰が思い浮かんでしまいますが、「隠された歴史」という視点は、とても大事な視点だと、歴史小説を読むと思います。
このブログは「忘日録」のようなものに過ぎませんが、読んでくだされば大変嬉しく思います。