2010年4月29日木曜日

佐藤雅美『向井帯刀の発心 物書同心居眠り紋蔵』

 二日間降り続いた雨も上がって、今日は気持ちの良い良く晴れた日になった。一昔前は昭和天皇の「天皇誕生日」として祝われ、今は「みどりの日」となった今日は、父の命日でもある。そのせいかどうかは分からないが、昨夜、老いた父と母が遠方の大学に転勤するというわたしを心配している夢を見た。夢の中でわたしは老いた父と母の食事のことを心配していた。そして、時間がなくて飛行場に向かうバス停で老いた父と母を振り返りながらバスに乗り込む所で目が覚めた。

 こんな夢にもちろん意味はない。フロイトを用いた心理学的判断もあまり信用していない。最近は眠りが浅いのでこんな夢を見たのだろうが、あまり親孝行もしなかったわたしの幾分の後悔があるのかもしれないと思ったりはする。

 それはともかくとして、先ほど気持ちの良い日差しの中で、佐藤雅美『向井帯刀の発心 物書同心居眠り紋蔵』(2007年 講談社)を読み終えた。これは全部で九作あるこのシリーズの八作目で、三作目『密約』、四作目『お尋者』、五作目『老博奕打ち』、そして七作目『白い息』は前に読んで、ここにも記したとおりで、『向井帯刀の発心』は、「与話情浮貸横車(よはなさけうきがしのよこぐるま)」、「歩行新宿旅籠屋」、「逃げる文吉」、「黒川静右衛門の報復」、「韓信の股くぐり」、「どうして九両(くれよう)三分二朱」、「旗本向井帯刀の発心」の7作からなる連作である。

 ここに収められているのは「居眠り」という奇病をもつ例繰方同心(判例を調べる同心)である紋蔵の身内、とくに子どもたちにまつわるやっかいな事件を、紋蔵が、父として、その知識と知恵を駆使して収めていく話が全体を貫く筋として置かれ、例によって当時の判例集を基にした江戸市井の公事事件(民事)が描き出されていく。

 紋蔵には妻里との間に、紋太郎、紋次郎、稲、麦、妙の五人の子どもたちの他に、父親が旗本の用人で事件を起こして遠島になったためにひとりぼっちになってしまった文吉という子どもがいる。この文吉の養い親になる事情は『密約』ですこぶる感動的に描かれている。長男の紋太郎は、与力の婿養子に出し、長女の稲は、上役の次男と相思相愛となり嫁に出している。そして、今度は学問塾で優秀な次男の紋次郎が、老いて引退を考えている養子にと請われ、これを断ることができずに養子に出すことになる。また、残った男の子の内、文吉は、男儀のある子どもで、江戸の演劇界の顔役である博徒のところへ行くと言う。次女の麦も紋蔵の義父・義母がやっているお茶問屋の跡取りとして婿を迎える話が進んでいく。紋蔵は寂しさを隠しきれない。

 そういう中で、火事や風水害が続いたために借金をして悪事に走ることがないように奉行所の与力や同心の内情を探るように密かに命じられ、ふとしたことから、町会所の金を浮貸しして利を図っていた与力のことが発覚していったり、罪を犯した相撲取りの身分を巡っての調べに関わったり、与力の養子となった紋次郎を妬む子どもによるいじめ事件が起こったり、それを巡っての切れ者と噂される与力との確執が起こったり、隠し金のねこばば事件が起こったり、お金がつけられていた捨子をお金目当てで引き取った親が、その子どもに手ひどい仕打ちをして、紋蔵がその子を預かることになったが、その養父母が何者かに殺される事件が起こり、それに重ねて、父親が盗人だったことを知っていた旗本が、何気なく飾っていた掛け軸が盗品であったことがわかって、発心(武家を捨てて僧になること)したが、昔の父親の手先で下男として匿っていた老僕が、実はその子の父親で、安ない親のあまりの仕打ちに腹を立てて殺したことが分ったりして、紋蔵の身辺は大忙しである。

 藤木紋蔵は、決して我を張ることはしない。曲げられないことは曲げないし、相手が信じて打ち明けた秘匿しなければならないことは、自分がお役御免になろうとも貫くが、子どもたちにも自分の思いを強制するということはない。「向井帯刀の発心」では、旗本向井帯刀が紋蔵に打ち明けたことを秘匿したために紋蔵の立場は悪くなり、そのためにあれこれと今後のことを悩むが、「知らない」と通し続ける。結局、息子のことで確執していて、紋蔵を窮地に追いやった上役は、文吉を世話することになった演劇界の後ろ盾の博徒に身から出た錆を脅され、閑職に着かされることになるが、紋蔵は、子どもや弱いものを守るためには奔走するが、自らを守るためには決して自ら手を下さない。紋蔵は、損な、不器用な生き方をしている。しかし、紋蔵は飄々と生きていく。

 こういう主人公が、魅力がないわけはない。お金に苦労し、役所で仕事上の苦労があり、人間関係での苦労があり、家庭での重荷がある。紋蔵は一つ一つその苦労を彼なりに処理していこうとする。しかし、子どもや家族を思い、捨てられた者を助け出し、愛情を注ぎ、筋を通していく。決して「ずる」をしない。そして、飄々と日々を過ごす。

 だから、事件の判例の説明に少し煩わしいところもあるが、このシリーズは面白い。春の気持ちの良い陽だまりの中で読むには最適である。

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