2010年5月12日水曜日

出久根達郎『御書物同心日記』

 昨日、静かに雨が降った。古の人々は今日のような雨を小糠雨と呼んだ。早朝から起き出して、雨の雫が流れ落ちるのをぼんやりと眺めたりしていた。「対立」で始まった20世紀が、その構造を引きずったまま「批判」という姿を変えて人間の精神を蝕んでいるが、「受容」と「共生」へどうしたら向かうことができるだろうか、などと大それたことを考えたりしていた。「正-反-合」の弁証法を駆使したヘーゲルは、やはり間違っていたのかもしれないとも思う。

 深い理由もなしに、何気なく図書館の書架で目についたというだけの理由で借りてきた出久根達郎『御書物同心日記』(1999年 講談社)を読んだ。この作者のことは全然知らなかったが、本の奥付によれば、1944年生まれで、1992年に『本のお口よごしですが』で講談社エッセイ賞を受賞し、1993年に『佃島ふたり書房』で直木賞を受賞している。中学を卒業して集団就職で上京し、古書店に努め、1973年に独立して杉並で「芳雅堂」という古書店を営む傍ら作家活動を続けておられるらしい。

 そのためだろうが、書物そのものについての関心と含蓄が深く、本書も、「紅葉山文庫」と称される徳川家の蔵書を管理した「御書物奉行」、特にその配下であった「御書物方同心」の姿を描いたものであり、主人公も古書に強い関心をもって、養子となって「御書物方同心」として勤めることになった青年御家人である。

 実は、昨日、上記のところまで書いていた。そして、先週の金曜日に召天されたT夫人の葬儀に向かったので、以下は今日改めてその続きから書くことにする。曇って、すこし肌寒い。

 『御書物同心日記』は、その青年御家人が「御書物方同心」として出仕するところから始まるが、当時の「御書物方同心」がいかに細心の注意を払って「紅葉山文庫」を管理していたのかが詳しく述べられ、秘蔵であるはずの蔵書の写本が流出する事件や嫁探し、そこに務める者の人間関係などが小さな山場として描かれ、特に書物の虫干し作業で苦心していく姿が軽妙な文体で語られている。

 作者自身の「あとがき」で、「書物方同心にとって、最大の行事は、土用の虫干しであった。もしものことがあるとお咎めを受けるので、緊張の連続だったろうが、一方、本好きの同心たちにとって、秘蔵の珍本を拝める機会であり、大いに楽しみであったろう。・・・わくわくと胸をはずませながら、書物を陰干ししただろう。むろん、中には、こんな仕事を苦にする者もいただろう。世襲ゆえ、仕方なくつとめていた者もいたはずだ」(265ページ)と述べられているが、本好きの同心、仕方なくつとめている同心などが、本書の登場人物たちである。

 物語の展開の中で、いくつかの小さな山場はあるが、何か大きな事件が起こるわけでもなく、日常の姿が語られていく。人の生涯の中で、それこそ「映画や小説のような劇的な出来事」が起こることは稀で、むしろ、多くは淡々と日常が織りなされているわけだから、その意味で、作者が「物語の面白さ」への欲求を抑えて、ごく普通の日常を描き出そうとしていることはよくわかる。

 しかし、そうだとしても、読者として少し物足りなさも感じる。途中で、「なんだかこのまま終わりそうだな」と思っていたら、そのとおりで、私見ではあるが、もう少し人間が深く描かれていて欲しいとも思う。小説に代表される文学は、思想性を深めていくというのでは決してないが、何よりも生きた人間を描くもので、作中に描かれる主人公たちの姿が、もう一つ鮮明に浮かんでこないような気がしたのである。この作品が決して優れていないわけではないが、優れた時代小説は、情景を表わす言葉ひとつにも、ただ単に情景描写に留まらずに、万感の思いが込められている。

 もたれている古書に関する知識や「御書物同心」という職務に関する知識が駆使されて、それが物語の構成要素となっているが、わたしが好む「情の展開」はあまり見られない。もちろん、こうした作風を好む方もおられるだろうし、それはそれで意味のあることだとは思う。この作者の他の作品も読まずに言うことは、もちろん、できないことではあるが。

 今日は、少し疲れを覚えて、頭脳が半分しか機能していないような気もする。こんな日はきっとぼんやり一日を過ごしてしまうだろう。「あれも、これも」とただ思うだけかもしれない。フルートの高音域の音がどうしても鮮明に出せなくなっているので少し練習しよう。いくつかのところに連絡を入れることも忘れないようにしよう。

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