暑さを感じるほどの日々が続いた。気の重い日々の中で、つくづく孤独を感じたりもしたが、アメリカのテレビドラマシリーズの「Dr. House(ハウス)」のラストシーンで、自ら招いたことであるとはいえ真意が理解されずに、彼が信頼したすべてのスタッフが彼のもとを去り、「自分は平気だ」と言いつつも、独り、新しく購入したギターを抱えている場面を、ふと思い起こしたりした。
最近は、この秋に予定していた「カフカ論」の話を、急遽、6月にすることにしたので、「カフカ論」に取り組んでいるが、F.カフカという人は、父親との確執があったとはいえ、あるいはまた、病を抱えたとはいえ、作品の深みとは別に、けっこう恋多き人であり、それなりに幸せだったのかもしれないと思ったりもする。もちろん、彼の人間の捉え方には非常に深いものがあるし、それが人間の苦悩から出てきているのだから、彼の精神の深みは相当なものだったが。
仕事の往復の飛行機の中で、宮部みゆき『かまいたち』(1992年 新人物往来社)を読んだ。これは、作者の初期の頃の短・中編から表題作の「かまいたち」、「師走の客」、「迷い鳩」、「騒ぐ刀」の四編を集めたもので、珍しく作者自身の「あとがき」があり、それによれば、1986-1989年の作品のようである。
このうちの最後の2編「迷い鳩」と「騒ぐ刀」は、後に『霊験お初捕物控』のシリーズとして昇華されたものの最初の頃の作品で、根岸肥前守の『耳嚢』から採られた題材が、「お初」という、人の怨恨の見えないものが見えるという力をもつ娘を主人公に、自由に、そして物語豊かに展開されているものである。
第1編「かまいたち」は、江戸市中を恐怖に陥れた「かまいたち」という異名をとる辻斬り事件に関連し、町医者の娘が試行錯誤を繰り返しながら真相を探っていくというもので、大岡越前守の「耳」として下働きする男を犯人だと思いこんだり、その男に魅かれていったりして、これが初期の作品であるとすれば、作者の並外れた物語作者としての技量がいかんなく発揮されている。事件の真相に迫っていく人々の心情の中心が「思いやり」であるのも素晴らしい。また、眼光鋭いやり手の同心が事件の黒幕であったり、凡庸に見える同心が「切れ者」であったりするのもよく、作者の構成力は相当なものだと思わせられる。
第2編「師走の客」は、本作品集の中では最も短いものだが、千住でまじめに働く小さな旅籠を巧妙な方法で騙していたが、結局は大損をすることになる男の話を中心にして、つつましやかに生きる人々のささやかな希望と人の良さが、結局は救いとなる話である。
第3編と第4編については前述した通りだが、「迷い鳩」はろうそく問屋の主人が次第にやせ細り、その主人の世話をする女中が殺される事件に遭遇した「お初」が自分の能力に気づき、周囲の次第にそれを認めざるを得なくなっていく中で、岡っ引きをしている兄の六蔵と植木屋になっている次兄の直次が、お初がいう通りに事件を解決していく話で、ここではお初と根岸肥前守との出会出会いが描かれ、連作の序章としては膨らんだ内容をもっている。
「騒ぐ刀」は、『耳嚢』の中の話を元に、夜中に騒ぎだす刀の処理を頼まれたことから、その刀のもつ因縁で、もう一つのついになっている狂刀による殺人の真相を「お初」、六蔵、直次の兄弟が暴いていく話である。人物の設定が実にしっかりしているから、展開に味が深まるし、人間の欲と怨念の凄まじさも良く表わされている。
前述したように、これらは『霊験お初捕物控』として続編が、お初が思いを寄せる青年など、また違った人物が登場して味のある物語として展開されている。
これらの宮部みゆきの作品は、人間のおぞましさや悲しさが取り上げられているし、深められているが、かといって「暗さ」はない。それは、彼女が設定する中心人物たちが実に爽やかな人間たちだからだろう。文章も軽快でいい。彼女は取り扱うジャンルが広いが、少なくとも歴史・時代小説は、どれも味のある面白さが全編に漂っているし、人間の理解もかなりのものがあるように思われてならない。平岩弓枝に似ていると少し思ったりもする。
2~3日留守をすると仕事もたまるし、仕事の電話もお構いなしにかかってくる。しかし、一応の予定が終わったので、気分は別にしても、来週は少し日常が取り戻せるだろう。いつものように気を抜いて時の流れを感じたい。
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