2012年4月16日月曜日

中村彰彦『若君御謀反』


 雲が重く垂れ込めて花冷えのする寒いに日になった。まだ暖房がいる気もするが、その花曇りの空であったとしても、空を仰いで、「ああ、春」と思う。どこからか遅咲きの桜の花びらが一枚飛んできてひらひらと舞う。その風情がたまらなくいい。

 この空気の中で、中村彰彦『若君御謀反』(2003年 角川書店)を面白く読んだ。これは、「若君御謀反」、「母恋常珍坊」、「二度目の敵討」、「おりん小吉 すかしの敵討」、「おとよ善左衛門」、「紺屋町の女房」、「堀部安兵衛の許嫁」の7編が収められた短編集である。

 作家には、それぞれに作品に取り組むときの姿勢(思想)のようなものがあり、特に歴史時代小説ではそれが顕著に表れ、人物を歴史的な事象の中で生きた人間として描き出そうとするときには、その歴史的背景や社会的背景をきちんと盛り込んだり、他の人との関わりの中で描き出そうとしたり、あるいは情景描写一つにしても、人が感じる情景がその人の心情を表すことを必要とする。それを意識する良心的、かつ意識的な作家は、そのためにそれが大きな事件や出来事を描かなくとも、勢い長編にならざるを得ないところがある。

 中村彰彦は、これまで読んだ理解では、歴史的な背景を可能な限り踏まえて描き出そうとするから、作品が長編になる作家だと思っていた。短編には短編としての別の切れが必要で、文外や行間の余韻、結末に俳句の余韻のようなものが必要であり、人間の一断面を鋭く切るほど味わい深い作品になり、その場合、歴史的な背景などは、それが踏まえられていればいるほど言外になるからである。

 しかし、この短編集に収められている作品は、その短編の切れが十分に発揮された作品だと思った。本書の巻末に「あとがき」があり、作者自身によるそれぞれの作品の解題のようなものが記されているが、この中で一番完成度の高い作品は、やはり、表題作となった「若君御謀反」だろうと思う。

 これは、戦国の名将と言われ、名城の熊本城を築いて豊臣秀頼を守ろうとした加藤清正の後を継いだ加藤忠広の凡愚さと嫡男で清正の孫に当たる加藤光正の愚かさの話である。加藤家はこの三代で潰れたが、その潰れたいきさつを記したものである。

 加藤清正は、豊臣秀頼を庇護した後、大阪から熊本に帰る船中で急に病を得て死亡したが(一説では
清正を恐れた徳川家康か徳川秀忠の影の手が伸びたともいわれるが真相は不明)、石田三成と反目していたために関ヶ原の合戦では徳川方について、家康の天下平定の後も、加藤家はその子である加藤忠広が継いで、肥後五十四万石の藩主となった。有力な外様大名だったのである。

 しかし、忠広は凡愚だった。そして、その子の光正ともなれば、愚かを二乗しても足りないほどの人物でしかなく、贅を好み不遜で、単に知り合いを貶めて笑い飛ばそうとして、時の老中土井大炊頭利勝の名を使って謀反の計画書を作り、それに右往左往する知り合いたちを眺めて笑おうとしたのだが、それが発覚し、飛騨高山に配流され、父親の忠広も庄内藩に蟄居されるのである。この時、光正十五歳である。

 徳川幕府は三代将軍の徳川家光の時代に入り、参勤交代や武家諸法度などの諸制度を制定して戦国武将たちの影響を払拭しようとしていたころで、隙あらばお家断絶にもちこもうとしていた状勢で、光正のいたずらを、事柄が謀反に関わるだけに見逃すはずがないのである。ことに知恵伊豆とまでいわれた松平信綱は、こうしたことには手厳しい手段を執った。九州には最も有力な島津家が鹿児島にあり、肥後熊本はその島津家を押さえる重要な要で、肥後に加藤家を置いておくこと自体に危惧があったのだから、徳川幕府はこれを幸いに、細川家を加藤家に代わって肥後に置くことにするのである。こういうところは、江戸幕府初期の頃の人たちに抜かりはなかった。加藤清正の子の加藤忠広も、その子の光正も、こういう自覚はなかったし、情勢を分析していく才覚もなかった。

 この光正の愚かさは、昨今の青少年の愚かさと通じるところがあり、自分の行為がもたらす結果を考えることができない愚かさの典型と言えるだろう。加藤清正はその死後も現在まで名将と言われ、慕われるが、その子と孫はひどいものだったのである。光正に仕えた家臣も主と同様にひどかった。

 本書は、その愚かさの極みの姿が、よく描かれていて、光正が飛騨高山に配流される途中の駕籠の中で自害したことを伝えて終わる。「うつけもの」の短い生涯である。

 その他の短編もそれなりに面白く、特に「紺屋町の女房」は、高潔な人として生涯を全うした名奉行の矢部定謙の名奉行ぶりを描き出した作品で、先に読んでいた『天保暴れ奉行 気骨の幕臣矢部定謙』の中にも取り入れられていた。

 7作目の「堀部安兵衛の許嫁」は、赤穂浪士として著名になった堀部安兵衛の許嫁だったと語っていた老婆の話で、この稀代とも言える詐欺師の姿を描いたものである。これは、どちらかと言えば、歴史を資料で解説するような司馬遼太郎の方法に近い展開がされている。その他の作品は、敵討ち物が3編で、定説をくつがえすような解釈もなされているし、親孝行の一つの典型といわれた話を覆すような「母恋常珍坊」も味わいのある作品になっている。

 個人的には、短編よりも長編を好むので、最初の「若君御謀反」のような作品を良いと思うのだろうが、短編には短編の良さがあり、本書はそうした良さを味わうことができる作品群である。

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