2012年4月2日月曜日

風野真知雄『耳袋秘帖 赤鬼奉行根岸肥前守』

卯月になって、まだ気温は低いのだが、やはり春を感じるようになってきた。窓を開け放ち、掃除や洗濯などの家事に勤しむとなんだかゆったりした気分になるから、春は不思議だ。


 昨日は少々忙しくて疲れを覚えていたが、風野真知雄『耳袋秘帖 赤鬼奉行根岸肥前』(2007年 だいわ文庫→2011年文春文庫)を気楽に読んだ。文春文庫カバー裏に、これが「殺人事件シリーズ」第一弾とあり、今までの「耳袋秘帖シリーズ」とどこが違うのだろうと思っていたが、出版社の変更などの理由があったらしい。ただ、こういう変更は普通の読者にとっては紛らわしく、これまでにも『王子狐火殺人事件』とか『佃島渡し船殺人事件』とかいうふうに「殺人事件」を冠した作品が出されているのだから「?」と思ってしまう。

 しかし、そのことと作品の質は無関係で、内容的には、むしろ、これが根岸肥前守の『耳嚢(耳袋)』を題材にした作品の最初に当たるものになっており、根岸肥前守鎮衛が勘定奉行から南町奉行になるところから始められている。

 根岸肥前守が南町奉行になったのは62歳で、このシリーズで登場する根岸肥前守と想いを交わしているちゃきちゃきの深川芸者の「力丸」が28歳とされ、ここで根岸肥前守が年の差恋愛で頑張る姿が描き出されるなどしているところや、若いころの無頼の証しとして肩に赤鬼の刺青があることなど、人間味豊かに描かれるところがひとつの味となっている。

 刺青奉行というので北町奉行だった遠山金四郎景元(1793-1855年)が著名だが、実際に、彼以前の根岸肥前守鎮衛(1737-1815年)にも赤鬼の刺青があったことが知られている。

 本書は、その根岸肥前守が、そろそろ隠居をと考えていたにも拘わらず、思いもかけずに南町奉行の職を任命され、信頼できる家臣の坂巻弥三郎を内与力とし、また臨時廻り同心の栗田次郎左衞門を特別に選び出して、事件の解決に当たっていくというもので、背後には老中であった松平定信と復権を画策する旧田沼派との確執を胎みながら、市井の事件の解決を行っていくというものである。

 根岸肥前守が信頼して使っている坂巻弥三郎と栗田次郎左衛門という人物の設定もおもしろく、坂巻弥三郎は優男で、どこか飄々としたところはあるが剣の腕はそうとう達つ。また、彼と好対照の栗田次郎左衞門は武骨で奉行所内でも腕の立つ一刀流の達人であるが、人情家で、もちろん袖の下と行った賄賂などもとらないために貧乏暮らしをしているのである。

 この二人を根岸肥前守が選び出したのは、どうやら、それぞれに欠点があるからで、根岸肥前守が欠陥をもつがすこぶる好人物である人間を愛する者として描かれるのである。根岸肥前守が清濁を併せ呑むおおらかな人物として描かれているのが、このシリーズの大きな魅力だと思っている。

 本書には、「第一章 もの言う猫」、「第二章 古井戸の主」、「第三章 幽霊橋」、「第四章 八十三歳の新妻」、「第五章 見習い巫女」の五話からなる五つの事件が描かれるが、背後に旧田沼派で根岸肥前守を陥れようとする旗本の陰謀が渦巻きつつ進められていく連作である。それぞれの事件では『耳嚢(耳袋)』から取られた題材もあるし、それを材料にした作者の創作した題材もある。

 それぞれの事件で根岸肥前守の慧眼が光って行くのだが、いいと思っているのは、彼の器の大きさが描かれていて、自分を陥れるためにスパイとして使われた女中をそのまま大事に使い続けたり、あるいは政争が絡んだ旗本と商家の陰謀を解決するにしても、「一つの流れが主流になれば、必ず、それに反対する流れも生まれる。それが人の世の常で、しかも、そっちにも一理あったりする.そこから、次の時代が生まれたりもする」(273ページ)というような大きな歴史観で物事を見ていったりするところが描き出される点にある。

 彼は、極めて合理的な精神の持ち主だが、だからといってもの不思議を知らないわけでもない。そうした人間味溢れる姿が本書で描き出され、なんとなく「ほっこりする人物」になっているのである。若い恋人のために体力や精力をつけようとするのもご愛嬌である。それは、彼が事実をありのままに事実として受け止めようとするところなのである。

 人は、その心根のあり方でいかようにも大きな器をもつことができる。本書を読みながら、ふと、そんなことを思ったりした。

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