2012年3月30日金曜日

田牧大和『身をつくし』

快晴だった昨日と一転して、重い雲が広がっている。春の天気の変わりやすさはおなじみのものだが、気温も上下するので意外と体調を壊しやすい。まだまだ暖房機のお世話になっている。だが、昨日、熊本からの便りで桜が七分ほど咲いたという。春本番まであと少しだろう。

 昨夜は、田牧大和という人の『身をつくし 清四郎よろず屋始末』(2010年 講談社)を読んでみた。巻末の著者紹介によれば、1966年東京都の出身で、会社勤務の傍らにインターネットで時代小説を発表し、おそらくそれが編集者の目に止まって、2007年『色には出でじ 風に牛蒡』(『色合せ』講談社)で第2回小説現代長編新人賞を受賞されて作家デビューされた方らしい。おそらく、こつこつと仕事が終わって夜に書き綴られてきたのだろうと思う。

 本書がこの作家の何作目に当たるのかはわからないが、文章はこなれて読み易い。ただ、現在たくさん出されている時代小説と同じような類の作品で、歴史考証や人間理解に若干の安易さを感じざるを得ないのが残念だった。

 本書は、南町奉行の榊安房守(これが誰をモデルにしているかは不明。歴代の南町奉行に榊姓はないし、安房守ではなく阿波守なら有馬則篤がいるが、彼が南町奉行であったのは転変急を告げる1866年である。また、1681年から1693年まで北町奉行を勤めた北条安房守氏平がいるが、彼とも異なり、もちろん、作者の創作だろうが、時代背景が不明)の筆頭内与力であった杜清四郎が、身をもって金座の不正を暴露するために自刀した奉行の内意を受けて自ら告発者となり、そのために武士を捨てて「よろず屋」稼業を営む者となり、友人である南町奉行年番与力(筆頭与力)の小暮涼吾とともに、彼の周囲や市井で起こる事件を自らのあり方を悩みながら解決していくというものである。
 主人公のこうした背景は謎めいたまま物語が展開していき、最後に明かされる構成が取られているが、彼がなぜ「よろず屋」稼業をしているかがあちらこちらで謎として書かれ、またいくつかの事件に関わる中でそのことが大きな要素になっているから、わたしとしては、むしろそのことが最初に明記された方が物語の展開と描かれる人間像が深まるのではないかと思ったりした。

 最初の出来事は、清四郎が営む「よろず屋」に簪の販売を依頼している飾り職人の恋の話で、乾物問屋の相模屋から依頼されて丹精込めて作った簪がことごとく返され、あげくの果てには相模屋の女中に無理やり言い寄ったということで奉行所に訴えられて捕縛されてしまった男を、清四郎が相模屋の真意を探り出して助け出していくというものである。

 この飾り職人と病弱だった相模屋の娘が、かつて互いに想いを寄せていたが、娘は相模屋の窮状を救うために他家に嫁に出てき、飾り職人は娘がただ自分の前から消えてしまったことしか知らず、ずっと娘のことを思って桜を意匠にした簪を秘かに作り続けていたのである。他家に嫁いだ娘は亡くなってしまったが、相模屋は娘の恋を知って、彼がまだ娘のことを思っているかどうかを知りたくて簪の作成を依頼していたというのである。こうしたお互いの思惑の齟齬がこの事件の背後にあることを清四郎は明らかにし、飾り職人を助け出すというものである。人を変わらずに恋し続けることへの憧れが作者にあるのかも知れないとも思う。

 第二話「正直与兵衛」は、茶店で間違えて大金の入った箱を持ってきてしまった振り売りの与兵衛が、もとの持ち主を捜して、自分の女房が中根死なけなしの金で買ってくれた煙草入れを探し出して欲しいという依頼を清四郎が受け、そこに、ある旗本家の姫が家臣との間に作った子どもを秘かに里子に出すという武家の体面を守ろうとする姿勢があったことを明らかにして、赤ん坊の父親が武士を捨ててその子を育てていくようになる結末を迎える話である。

 第三話「お染観音」は、清四郎と小暮涼吾が馴染みとして行き着けている煮売り家の女将の「お染」にまつわる話で、「お染」は、遊女であったところを旅芝居の女に助けられ、しかも煮売り家を開くようにしてくれた恩義のある女の依頼で、殺人のアリバイを証明するようになってしまうのである。しかし、女はかなりの破天荒な人間で、商家の後妻になっても遊ぶ金欲しさに主を殺し、「お染」を助けたのも「お染」に対する単なる人間的なことでの嫉妬心からに過ぎなかったが、清四郎はその真相を知ると同時に、恩義のある者にそれが悪と知りつつも尽くそうとする「お染」の姿から、自らの姿を顧みていくというものである。

 本書はこの三話で構成されているが、どうもあまり現実味のない「善意」が前提とされて物語が展開されているようで、主人公も美男であり腕も立つが、すこぶる内面的で、物語の「善意」と主人公の内面の葛藤に齟齬を感じるところがあるような気がした。奉行所の筆頭与力が供も連れずに煮売り家に出入りすることはまずなかったし、主人公の内面の葛藤が極めて政治的な事柄にも絡んでいるのだから、もう少し歴史の背景があってもいいような気がした。本書で重要な役割を果たしている「お染」が、元遊女であるが、どこか武家の女性のような感じで描かれているのも気にかかる。

 とはいえ、こうした作品に文学性や人間観の深みを求めるのはできないのだから、数多ある女流の時代小説の気楽に読める一冊ではあるだろう。小説現代長編新人賞を受賞した『色合せ』は、ちょっと読んでみたい気もする。

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