2012年3月16日金曜日

葉室麟『柚子の花咲く』(4)

今朝未明に大きな地震があって、「ああ、かなり揺れているなあ」と思いながら春眠を貪っていたら、吉本隆明の死去が報じられ、「思想」というものを日本の土壌の中で定着させようとした、この人の足跡を思い返したりした。初めに彼の詩集を読んだときの衝撃もあって、「共同幻想」という人間の精神を総括するような概念の広範囲性に驚嘆したりもしていた。「イメージ」という概念を「幻想」としていくところに鋭さがあった。だが、「幻想」で生きるのも悪くはないと思っている。

 それはともかく、『柚子の花咲く』が回復の物語であることは前に記したが、その回復の鍵となる梶与五郎について、井筒恭平は青葉堂村塾でのことを思い起こす。

 梶与五郎は痩せて貧相な体つきをしていたが、子供たちによく相撲を取らせ、自分ももろ肌脱ぎになって子供たちの相手をし、何人かの子どもを相手にすると息も切れ、体格のいい子どもを相手にするとひっくり返り、その姿が痩せ蛙のようだと子どもたちに笑われたりした。川遊びに行っても、深みにはまった子を助けようとずぶ濡れになり、下帯だけの姿で小さなこの手を引いて歩いたりした。自分の弁当は貧しい子どもにやってしまい、いつも腹も空かせていた。

 井筒恭平と穴見孫六の藩校の試験が近づくと、青葉堂に泊めて徹夜で教え、眠気覚ましに灸をすえてやると言い出し、自ら大きな艾に火をつけて、耐えきれなくなって外に逃げ出し、水をかぶってずぶ濡れのままに「眠気は覚めたぞ」と言って笑ったりした。

 梶与五郎は、自分を飾ることもなく、ありのままに、裸で子どもたちと接し、ひたすら子どもたちのために精一杯に生きた人であったのである。彼は自分をよく見せようとすることとは無縁の人であった。わからない人にはわからないが、井筒恭平はその姿に深く心を打たれたのである。

 井筒恭平はその思い出を抱いて「琴」と与五郎の母「吉乃」と会い、覚書を預かり、油問屋の高田屋の寮を出るが、鵜ノ藩の船改めに誰何され、目付の永井勝次郎に船蔵に監禁されてしまう。だが、かろうじてそこを脱出し、海を泳いでようやくのことに青葉村へ帰る。その間に、永井勝次郎は、父親の永井兵部が轟源心を使って息子の梶与五郎を殺したのではないかと源心に尋ねるが、源心は、自分が殺したのではないと答える問答が行われたりする。だが、勝次郎は父親の兵部が与五郎を殺したことを確信していく。

 井筒恭平はようやく青葉村にたどり着いた。何度も海で溺れかけるが、その度に「およう」の姿を思い浮かべていく。だが、そこに「およう」はいなかった。儀平に覚書を渡した後、儀平が、実は、恭平が本当に百姓のために命をかけるかどうかを試すために危険な鵜ノ藩に送り出したことで、「およう」は起こって実家に帰っていることを告げる。儀平は、「おようの気持ちを知っていたからだ」と言う。「およう」は、子どものころ、雷に襲われたときに恭平が「およう」を背負って助け出して以来、恭平に想いを寄せていたと語るのである。そして、自分は「お咲」が好きだったが、自分は逃げるのに夢中で「お咲」をほったらかしにしてしまった。自分はそんな人間だったと語る。そして、「お咲」と結婚しようと思ったが父親が反対し、ついには「お咲」を守ることができなかった。父親が決めたとおり「およう」と結婚し、「お咲」は報われることなく死んでいった。だから、今、、一からやり直したいと思い、「およう」にも好きな道を歩んでもらいたいから、離縁するつもりだと打ち明けるのである。儀平は、「およう」の中に恭平への想いがあることを知り、想う相手と生きることができるようにしてやりたいと語るのである。そして、「およう」が書いた一つの手紙を渡す。

 そんな話をしているときに、恭平は家老の島野将太夫から急な呼び出しを受ける。鵜ノ藩家老永井兵部が日坂藩に来て干拓地の境界をめぐる問題に一気に決着をつけようと、新たな測量を始めたというのである。恭平は持ち帰った覚書を見せるが、そこには測量に基づく絵図がなかった。絵図がなければ測量に対抗することはできない。即刻、絵図を探し出すようにとの命令を受ける。

 その夜、恭平は「およう」からの手紙を開いて読む。そこには儀平と「お咲」のことが記され、「人は思いがあれば生きていける。・・・だが、わたしのことは放念くだされ」と記されていた。恭平の母親は、恭平の「およう」に対する想いを知っていた。恭平は自分が「およう」に対して想いを抱き続けていることを自覚する。「放念してくだされ」と書かれた手紙で、自分が大事なものを失ってしまう気がした。そして、鵜ノ藩に絵図を探しに行けば見つかって殺されるかもしれず、「およう」と大切な話をしないままに死ぬ訳にはいかないと思うのである。

 その夜更け、突然、永井兵部が訪ねてくる。鵜ノ藩行きを止めさせようとするのである。だが、恭平は、自分は師の恩に報いるために探索をしていると断言する。恭平はひたすら師としての梶与五郎を尊敬している。それに報いるのが武士の義だと言う。そして、師である梶与五郎(清助)を殺したのかと直接尋ねるのである。兵部は答えないが、恭平は、兵部は兵部として執政者の孤独があったことを知る。そういう恭平に兵部は心を動かされたのか、梶与五郎(清助)が一貫流の居合いで殺され、その一貫流の業を使うのは鵜ノ藩では二~三人しかいないと教える。

 井筒恭平は再び鵜ノ藩へ行く。だが、恭平に覚書を渡した「琴」が行へ不明になっていた。「琴」は土屋新左衛門の妻「さなえ」から呼び出しを受けて出かけたというが、「さなえ」はそのような呼び出しはしていないと言う。恭平は土屋家に行き、「さなえ」と会い、新左衛門と会うが知らぬと言う。永井勝次郎を中心にした目付が絡んでいるのではないかということで、心あたりを尋ねると、土屋新左衛門は城下外れの虚無僧寺を探索方が使っていると教え、そこに行くことにする。そして、藩内で一貫流の業を使うのが永井勝次郎と轟源心であることもわかる。

 井筒恭平が土屋新左衛門と虚無僧寺に行ってみると、「琴」は永井勝次郎に監禁され、あやうく犯されようとしていた。土屋新左衛門は表でまっているというので、虚無僧寺に踏み込むと、轟源心がそこにおり、恭平は源心と撃ち合わなければならなかった。ようやく、源心の右太ももを切り、駆けつけてみると、永井勝次郎は何者かに殺され、「琴」は失神していた。恭平は「琴」を助け出し、高田屋の寮に戻る。永井勝次郎を誰が殺したのかはわからない。そして、梶与五郎が生前に「琴」に覚書を渡すときに「大切なものは、大切な人に守ってもらおう。この書状も、そしてもうひとつも」と言ったことを思い出す。

 翌日、永井勝次郎の死を病死として処理したといって土屋新左衛門が高田屋の寮を訪ねてくる。土屋新左衛門は、勝次郎を殺したのは源心ではないかと言って、井筒恭平に轟源心の家を教える。恭平が源心の家に行ってみると、一貫流の業を使う虚無僧が源心を殺して待ち構えていた。井筒恭平を源心殺しの犯人に仕立てようとしたのである。

 他方、郡代屋敷では妻の「さなえ」が夫の土屋新左衛門の帰りを待ち、「琴」が自分の名前を使って呼び出されたことに不審を抱き、そこのことを問い糾そうとしたのである。その会話という形で、土屋新左衛門のこれまでの歩みが語られる。その前に、「さなえ」が梶与五郎(清助)に抱いていた想いが彼女の思い出の形で記されていく。

 永井家と土屋家は親しく行き来をしていたから「さなえ」と清助は知らない間柄ではなかった。その「さなえ」が十歳のころに偶然に城下で清助と出会った時のことである。容貌に自信が持てなかった「さなえ」は川面に映る自分の姿を見て、「太りすぎて、みっともない」と思わずつぶやいてしまい、それを通りすがりに聞き留めた清助が、「わたしもね、自分のことが大嫌いだ、と思うことがよくあります」(255ページ)と語り始め、「わたしは、幼いころから母と別れ別れに暮らしてきました。それが、先日ようやく会うことができたのです。その時、思いました。一緒に暮らせなくても、わたしのことを大切に思ってくれるひとがいる。だから、自分を嫌ってはいけないのだ。それは自分を大切に思うひとの心を大事にしないことになるから、と」と言うのである。この「自分を嫌うことは自分を大切に思ってくれるひとの心を大事にしないこと」が「さなえ」を励まし、彼女は清助との祝言を待ちわびていたのである。だが、清助は放蕩をして座敷牢に入れられ、逐電して行くへがわからなくなり、清助の友だという平沢重四郎を入り婿として迎えたのである。重四郎は土屋家の婿となり、土屋新左衛門と改名した。

 土屋新左衛門は、自分は清助と藩校でも机を並べた中であるが、次第に境遇の差ができてきたと語り始める。清助の父永井兵部が出世して家老となったのに対して、自分の父は勤めで失態を犯し減封され、さらに愚図な父親のせいでひどい境遇にも陥るかもしれないという思いを抱いていたと言うのである。だから、清助に媚びを売るようにして、清助を自分の出世の頼みとしてきた。だが、清助は荒れ出し、自分の父親の失態が起こる前には土屋家との婿養子との話もあったことを知り、逆に清助を憎み始めて賭場に誘ったと語る。そして、奉行所の役人に賭場を密告し、清助は勘当されて座敷牢に入れられ、清助の縁組みも破談となり、自分が土屋家の婿養子となった。清助と言い交わした女中の処遇に兵部が困ったとき、預かることを申し出て、囲い者とした。「琴」は、容姿ではなく心が清らかな美しい女性だった。「琴」を知るにつれ、力ずくで自分の物にしたが、「琴」が清助を思うようには思われていないことを知り、もがいて出世の道を歩んできた、と言うのである。土屋新左衛門は、その境遇から出世に取りつかれた哀れさを帯びて生きているのである。

 その夜、虚無僧に斬られて傷を負った井筒恭平が土屋家を尋ね、新左衛門の失言から、実は、轟源心を斬ったのが土屋新左衛門であり、梶与五郎(清助)も穴見孫六も、そして永井勝次郎も、彼が斬り殺したことを白状する。土屋新左衛門は、すべては「琴」への邪な思いから、また自分の出世のために次々と斬り殺していったのである。そして、井筒恭平を斬り殺そうとする。だが、井筒恭平に胸を刺され、その脇差しを自分で自分の腹に差し込んで、「わしは、自害するのだ」と言ってこときれる。

 「さなえ」は、すべてを納得して事後処理をすると言い出し、井筒恭平は、梶与五郎が「大切なもの」と言った言葉から、覚書とともにあった干拓地の絵図が青葉堂村塾にあることを察していくのである。梶与五郎(清助)にとって、「琴」の他にもう一つの大切なものというのは、青葉堂村塾の子どもたちだからである。子どもたちは、その絵図を守るために青葉堂村塾に籠もっていたのである。

 井筒恭平は青葉堂村塾に行き、そこにいた「およう」と子どもたちに会い、絵図を受け取り、「およう」を嫁にしたいと告げる。井筒恭平にとって「大切なもの」は、「およう」にほかならないからである。そこに藩から知らせを受けた永井兵部がやってくる。永井兵部は何もかも承知の上で、土屋新左衛門の悪事を見逃し、政事のために肉親の情は捨てたと語る。そして、絵図を手に入れるために、井筒恭平や「およう」、子どもたちまで殺そうとする。そこに、庄屋の義平が数人の百姓たちを連れて来る。他藩の領内で庄屋や百姓たちを皆殺しにしたとなれば、日坂藩も黙ってはおれなくなる。

 恭平は兵部に、「柚子は九年で花が咲くと先生はよく申されました」、「わたしたちは先生が丹精込めて育ててくださった柚子の花でこざいます。それでもお斬りになりますか」(306ページ)と言う。永井兵部は、その言葉を閉じて聞くと、「清助めは、やはり親不孝者だ。死んでから後もわしに恥をかかおる」という言葉を残して青葉堂村塾を去っていく。

 その絵図によって干拓地をめぐる争いは決着がつけられた。永井兵部は引退して、清助と勝次郎の菩提を弔うために頭を丸めた。「さなえ」は親戚から新しい婿を取ることになった。「琴」は「吉乃」の養女となり、高田屋の寮を任され、井筒恭平は「およう」と祝言を上げた。そして、井筒恭平は、郡方の勤めの傍ら、青葉堂村塾の教授を務めることになった。そして、青葉堂村塾で子どもたちに「桃栗三年柿八年」と教え、「柚子は九年で花が咲く」と教えるのである。

 この物語は、「大切なものが何か」を知る物語であり、それによって再生(回復)の道を歩んでいく物語である。物語としての構成や技法も非常に優れていて、深くしみじみと感動を呼び起こしてくれる物語である。「愛をもって愚直であること」、それが人の美しい生き様であることを改めて呼び起こさせられる。置かれた境遇から脱出するために出世を求める者、何事かを為そうとすることだけに生きる者、そして、自らの愛する者への想いを貫いていく者、ひとはそれぞれの決断によって生きるが、自分にとって「大切なもの」を本当に大切にして生きる姿にこそ、ひとの幸いはある。感涙をもって読み終わった。

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