昨夜、きれいな三日月の側で金星がひときわ美しく輝く夜空をぼんやり眺めていた。月、金星、木星が直列になる時期で、宇宙の妙はいつも感動を起こしてくれる。そして、こうした宇宙の妙は地球に生きる人間の精神にも潜在的に大きな影響を与えているから、天文学は単に宇宙物理学だけでなく人間学でもあるなあ、と思ったりする。宇宙はいつも感動的である。
それはともかく、隆慶一郎『隆慶一郎全集13 死ぬことと見つけたり 上』(2010年 新潮社)と『隆慶一郎全集14 死ぬことと見つけたり 下』(2010年 新潮社)を大変面白く、続けて読んだ。
これは、作者が戦場で独自の感性と思想をもって読んだという「葉隠れ」の研ぎ澄まされた思想を斬新な観点から作者らしいエンターテイメントの物語にした作品で、世にいわれるような薄っぺらな武士道の理解とは全く異なり、己の義を「葉隠れ」(葉に隠すの意)にして貫いて生きる姿を主人公に徹底させて、江戸前期の佐賀鍋島藩を舞台に描き出したものである。
佐賀鍋島藩士であった山本常朝が著した『葉隠れ』そのものは、彼が身につけたいと思っていた武士としてのあり方の心得について6~7年かけて語ったものを、彼を師として尊敬していた同じ鍋島藩士の田代陣基が1716年ごろに完成させたものだが、その巻頭に「全11巻は火中にすべし」と記され、覚えたら火にくべて燃やすように指示されていた。実際、江戸時代では、これは禁書の扱いで、そのため原本はなく、写本が残されただけであるが、佐賀鍋島藩では以後、これを学ぶことがすべてとなっていったほどであった。
「武士道と云ふは死ぬことと見つけたり」は、この『葉隠れ』の中のあまりにも有名な一節であるが、これは、一般に理解されているように死を美化したり、儒学的な武士道を唱えたりすることとは全く異なり、むしろ、生きることを徹底的に追求したものにほかならない。生きることがこれほど精鋭化された思想も他にないと言えるかも知れない。山本常朝が残した「浮世から何里あろうか山桜」や田代陣基の「白雲やただ今花に尋ね合ひ」は、「葉隠れ」の思想をもっとも端的に表しているような気がする。「葉隠れ」という書名が示すとおり、これは心中秘かな意志なのである。
「武士道とは死にぐるい(無我夢中)なり」は、この『葉隠れ』の冒頭の言葉であるが、生死を越えて義を徹する姿がそこにはあり、しかも、それを決して他者の目に触れさせないようにする覚悟のことをいうのである。「覚悟を持って生きる」これが葉隠れの精神だとわたしは思っている。
それはともかく、山本常朝の『葉隠れ』は、佐賀鍋島藩の藩祖ともいうべき鍋島直茂(1538-1618年)を理想としているようなところがあるが、鍋島直茂は、戦国時代に大友宗琳と九州の覇権をめぐって争った肥前の龍造寺隆信(1529-1584年)の家臣であった。この龍造寺隆信という人物は、権力欲と支配欲の強い人物で、疑心暗鬼にかられることも多く、冷酷無比な人間であったが、忍耐をもって彼に仕え、龍造寺隆信が隠居して嫡男であった龍造寺政家とその子の高房が家督を継ぐときに後見を託されたのである。龍造寺政家は病弱で、大名としての才に欠けるところがあったのか豊臣秀吉からすぐに隠居させられ、家督を子の高房に譲ったが、高房はまだ幼少であったのである。そして、豊臣秀吉が鍋島直茂を高く評価して龍造寺家とは別に所領を与え、龍造寺政家に代わって肥前の国政を担うように命じたことから、肥前の実権を掌握していったのである。この鍋島直茂の長男である鍋島勝茂(1580-1657年)がその後を継ぎ、彼が佐賀鍋島藩の初代藩主となる。
本書は、山本常朝の『葉隠れ』が綴られる80-100年ほど前のこの鍋島勝茂の時代に、「葉隠れ」の思想を体現して生きた斎藤杢之助と中野求馬という二人の武士を主人公にして、その壮烈な生き方を描き出したもので、斎藤杢之助が浪人を選び、中野求馬が藩政の要となっていくのだが、二人は親友で、共々に「葉隠れの実現者」なのである。自由人として生きていく姿と、組織の中で生きていく姿が描き出されるという主人公設定の構成は、作者の才の見事さをよく示すものとなている。
『葉隠れ』の「聞書第十一」に「朝毎に懈怠なく死して置くべし」という言葉があるが、本書の主人公である斎藤杢之助が、毎朝の自己鍛錬として自分の姿を想起し、既に死せる者として事柄に当たっていく姿が描かれるところから本書が始まる。それは、壮烈な姿であり、斎藤家が祖父伝来このような生き方をしてきたことが語られていく。彼の父親は鉄炮の腕も達者で、鍋島直茂と小城鍋島家の鍋島元茂に仕えたが、お城勤めができるわけがなく、ずっと浪人暮らしなのである。斎藤杢之助はその父から鉄炮の腕を受け継ぎ、襲いかかる大猪を一撃で仕留めるほどの腕前なのである。
彼は、たとえば闘いにおいても、腕を斬られれば足で、足を斬られれば身体で、身体が動かなくなれば歯で相手の喉を噛み切るというような壮絶な戦い方をし、常に前に進んでいく方法を採る。こういうことを日常で行っているのだから、その壮烈な姿は普通の人間にとっては恐怖であり、「義」を一徹に貫き、相手が藩主であれ、幕府の老中であれ、相手によって自分を変えることもない。
物語は、「葉隠れ」の体現者であるような斎藤杢之助と中野求馬が、それぞれに浪人として、あるいは藩政に関わる人間として、鍋島直茂の後を受けた鍋島勝茂と佐賀藩鍋島家が陥っていた困難を打開していく姿が描かれていくのであり、特に龍造寺家のと確執の中にある鍋島家を取り潰そうとする老中松平信綱の画策を「葉隠れ」の精神で見事に打ち砕いていく姿が描かれていくのである。
その展開では、もちろん、エンターテイメントの要素が十分取り入れられている。『葉隠れ』で記されている「忍ぶ恋」も斎藤杢之助の生き方の一つとして取り入れられている。
本書は、作者の死去によって未完となったが、鍋島家を取り潰そうとする松平信綱の意図をくじくために弱点を探ろうとした結果、「振り袖火事」といわれた明暦の大火(世界三大火災の一つともいわれる大火事で、江戸城も焼けた)が、江戸市中の改造計画に着手した松平信綱による計画的火災が思わず大きくなってしまったこととして描かれるあたりも興味深い。
なお、未完となった部分のプロットが残っており、それによれば、鍋島勝茂の死と追腹を斬る(殉死する)覚悟を決めていた斎藤杢之助と中野求馬に勝茂による追腹禁止命令が出され、斎藤杢之助は勝茂の命にも背かずに、しかも殉死の決意を果たす方法を模索し、やがて、西方浄土への補蛇落渡海(西に向かって海に出て行くこと)でどこまでも海を泳いでいく姿が目撃されて生を終えるのである。
また、松平信綱の権謀術作から振り袖火事の陰謀を盾にとって藩を救った杢之助の死後、勝茂の孫に当たる鍋島光茂は、勝茂の後継となっていたが藩主としての器量を欠き、人格的な欠点もあって、佐賀藩と支藩の関係や旧龍造寺家との関係を悪化させ、一触即発のお家騒動に発展する危険を有していた。中野求馬は、杢之助亡き後、この危機を救うために自ら死を覚悟して大胆不敵な行動に出るのである。
その行動がどんなものかは言及されていないが、それによって中野求馬は、見事に切腹するのである。
こうしたプロットが残されていたことを巻末の編集部による「結末の行方」によって知ることができる。
いずれにしても、これは、まっすぐに壮絶に生き抜いていく人間の物語であり、全集で上下二巻にわたる長編で、もちろん、詳細な歴史資料もきちんと踏まえられてのエンターテイメントだから、ものすごく面白い作品であった。
個人的に、青年のころに『葉隠れ』を読んでいたが、それを実際の人間の姿として描いた作品は、やはり迫力がある。わたし自身は、壮烈ではなく静かに消えていく方を選びたいと思っているが、ずっと自分の死を覚悟して生きてきたことを思い起こしたりした。佐賀は、なんでもわたしの先祖の地でもあるらしい。そして、江戸初期と江戸末期、特に幕末の佐賀は、なかなか大したものだったのである。幕末のころの佐賀についてもわたしは興味がある。
0 件のコメント:
コメントを投稿