ようやく晴れ間が見えてきて、朝から家中の窓を開けて掃除などをしていたら、妙に疲れを覚えてしまった。コーヒーを入れ、気分を変えて、山積みしているしなければならないことを考え、変わらない日常に勢を出すことにした。
これを書き始めて、少し長くなる気配を感じながらも、葉室麟『柚子の花咲く』の続きを記しておこう。人は亡くなって初めてその人の素晴らしさや大きさがわかるのかもしれないが、凡庸で風采が上がらないと思われていた人物が、実は、その内実で計り知ることができないものをもっていたことを切々と綴るこの作品は、やはり、深い感動を与えてくれる作品である。読みながら、わかる人にしかわからないし、また、それでいいと思い続けた。
さて、本筋であるが、殺された師の梶与五郎の汚名を晴らしたいと望んでいた井筒恭平は、師の喪に服するという理由で籠もっていた子どもたちを説得するために出かけた「青葉堂村塾」で、子どものころに一緒に学んでいた「およう」と出会い、彼と「およう」との関わりが述べられていく。
「およう」は、青葉村の大百姓の娘で、「青葉堂村塾」で学んでいた庄屋の息子の儀平と結婚していた。井筒恭平が江戸へ出府する三年前に、その結婚話が起こった時に、恭平は心中穏やかならぬものを感じていたが、武家の嫡男であった彼が「およう」を嫁にもらうことは難しかった。また、子どものころから「およう」と儀平は仲が良かった。儀平は庄屋として近郷でも評判のよい男になっていた。「およう」と儀平の夫婦は、村の庄屋としての務めを立派に果たしていた。「およう」は井筒恭平を自分の家に案内し、恭平は儀平とも再会する。
儀平にとっても、師であった梶与五郎の悪い噂と死は信じがたいものであった。そして、梶与五郎が若いころに放蕩をしていたのは本当だが、儀平が村の百姓で酒や女に溺れている者の相談に行ったときに、「見捨てない」ことを諭されたという。与五郎は、「見捨てさえしなければ、必ず立ち直る。恥ずかしながらわしも若いころは道楽者で親に勘当された身だ」と語ったと言うのである(30ページ)。
儀平のために己の恥を洩らすことをためらわなかった梶与五郎は、儒学者であった岩淵湛山の弟子で干拓地を開いた瀬尾佐内の弟子にあたり、瀬尾佐内が干拓事業をするのを手伝うために日坂藩にやってきて、湛山と鵜ノ藩の家老永井兵部との間で交わされた学領についての覚書を瀬尾佐内があずかり、それをまた梶与五郎があずかっていたと、儀平は井筒恭平に語る。そして、覚書の内容次第では、干拓地の新田の行くへが変わるので、奪われたと思われる覚書を見つけ出して欲しいと恭平に依頼するのである。梶与五郎は百姓のために懸命に働いたのであり、その志を無にしたくないと言う。
こうして梶与五郎の二人の弟子、穴見孫六は梶与五郎の死の真相を、井筒恭平は覚書の行くへを探すことが始まっていく。井筒恭平は、自分は先生にとって「桃栗三年、柿八年、柚子は九年で花が咲く」といわれた「柚子」だと思ったりしていく。
そうしているうちに、井筒恭平は日坂藩家老の島野将太夫に呼ばれ、梶与五郎は武家の妻女と不義を働き女敵討ちにあったので、真相を探るのを止めるように言われる。島野将太夫は鵜ノ藩家老の永井兵部と親交があり、梶与五郎は、実は、本名を永井清助といって、永井兵部の三男であることを告げるのである。そして、永井兵部は勘当した息子のことは恥であり、自分は岩淵湛山とそのような覚書を取り交わしたこともなく、それは梶与五郎がねつ造したことだと伝えたと語るのである。
また、梶与五郎が不義を働いた女性は、鵜ノ藩郡代の土屋新左衛門の妻女で、もとは梶与五郎の幼いころからの許嫁だったが、梶与五郎が勘当になったために土屋新左衛門に嫁いだ女性だとも語る。梶与五郎がその妻女を呼びだし、追ってきた土屋新左衛門に女敵討ちとして殺されたのだと言うのである。土屋新左衛門は、鵜ノ藩では出世頭で、永井兵部の後継者とも言われている人物だという。
だが、井筒恭平は、それが事実だとしても覚書がないとは言い切れないと言い、梶与五郎の死の真相については探らないが、覚書の行くへを探すことは、青葉村の庄屋の依頼でもあるから、それについては探察を続けると語って島野将太夫のもとを辞去する。井筒恭平は、家老の圧力にも屈しないで、儀平の依頼を果たしていく。
友人の穴見孫六も探索は止めないと言う。そして、梶与五郎が貧しい者や弱い者、世の中に引け目があるような者の味方で、干拓事業に熱心だったのは、立派な父親の期待にこたえられない自分が世の中に役に立って、父親に認められたいということもあったのではないか、と恭平に語る。そして、梶与五郎が不義を働いたと言われる土屋新左衛門の妻女に会うと言う。周囲の話から、土屋新左衛門の妻女は、気の強い女性で、とても不義を働くような女性ではないとも言う。覚書の行くへも、梶与五郎の最後に一緒にいたと言われる土屋新左衛門の妻女が鍵を握っている。彼女が事件の要であることは間違いない。
梶与五郎の生涯には、まだ人に知られないことが多くある。十年ほど前、与五郎とひとりの女性が川辺で話をしていたことがあることを恭平は思い起こす。女性はうつむいて泣き、与五郎は困ったようにおろおろしていた。それを見ていた儀平は「先生は何事かのために、女を諦められたのだ」と言ったが、与五郎は捨てられた子犬のような姿だった。恭平は、梶与五郎が連れていた女性は、あの時の女性かもしれないと思ったりした。
他方、勘定方をしている穴見孫六は、藩札(藩で通用するお金)の交換比率のことで隣藩の鵜ノ藩との話し合いをする必要があり、鵜ノ藩を訪れ、土屋新左衛門の妻女を訪問する。そして鵜ノ藩鮎川で宿を取っていた時、ひとりの女性に呼び出され、その二日後に宿の外れで遺骸となって発見された。孫六は一太刀で斬り殺され、街道沿いの松の根っこに放置されていたのである。手口は梶与五郎を斬り殺した時の手口と同じだった。
井筒恭平は孫六の死の真相を探ることを家老の島野将太夫に願い出て、梶与五郎の親でもある永井兵部にも会いたいと言う。島野将太夫はそれを許可し、永井兵部宛の紹介状も書くことにする。事柄の真相をいち早く手にするためであった。
恭平は鵜ノ藩に行く前に儀平と「およう」を訪ね、孫六は梶与五郎の女性のことを調べに行って殺されたのだから、かつて梶与五郎が川辺で話していた女性のことを儀平と「およう」に聞くためであった。
儀平は、女性がしきりに国許に戻るように懇願していたのに対して、与五郎が、ここで一からやり直したいと語っていたことを恭平に教える。
そして、儀平自身が、かつて自分は「お咲」という娘が好きで、親同士が許嫁と決めた「およう」があったが、「お咲」を嫁にしたいと思っていた。しかし、親は許さずに、「お咲」を忘れられないなら妾にしろと言われて諦めたと話し始める。
やがて「お咲」は、大酒飲みの乱暴者であった権太という男のもとに嫁いだが、苦労をし続け、病を得て死んだと言う。権太の素行が修まらずに儀平は庄屋として悩んだが、梶与五郎から「見捨てるな」と言われ、そうしてきた。だが、権太の素行は直らず、「お咲」は苦労して死んだのだと言う。儀平の妻となっている「およう」もそのことは知っているという。
この展開で、実は、本書の主題の一つが「再生」ということに繋がっていく。中心である梶与五郎の再生はいうまでもなく、儀平の再生、「およう」の再生、そして梶与五郎の父である永井兵部の再生、また井筒恭平の再生が語られていくのである。その意味で、まさに本書は「回復の物語」なのである。その回復の鍵が、殺された梶与五郎の人とあり方にほかならないのである。
物語の展開については、また次に記すことにするが、これだけの複雑な構成をよくぞ考えることができるものだと作者の構成力に感服する。葉室麟の作品には構成の妙が確実に存在する。
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