2013年4月10日水曜日

宇江佐真理『今日を刻む時計 髪結い伊三次捕物余話』(2)


 「花冷え」というのがふさわしいような肌寒い日になっている。このところいくつかの事柄を含めた整理を始めているが、これがなかなか進まないし時間がかかる。まあ、ぼちぼちするしかないなあ。

 さて、宇江佐真理『今日を刻む時計 髪結い伊三次捕物余話』(2010年 文藝春秋社)の第二話「秋雨の余韻」は、二十七歳にもなってまだ嫁のきてがない龍之進の焦る心や彼の同僚の橋口譲之進の母親が亡くなる場面から始まる。彼らも、もうそろそろ親を亡くす歳になってきたのである。

 その龍之進が、急に降ってきた雨で雨宿りをした「千成屋」という酒屋の軒先で、不思議な娘と出会う。その娘「おゆう」は理由があって千成屋が預かっていた娘で、千成屋は龍之進の父親のことを知っていた。そして、龍之進は橋口譲之進の母親の仮通夜の帰り道に、同輩で例繰方同心をしている西尾左内からその事情を聞くことになる。

 「おゆう」は、日本橋の廻船問屋の大店である大和屋の娘で、縁談も決まって結納を交わすばかりになっていたが、突然、相手から家風に合わないと断られたという。大和屋の娘の「おゆう」は、あまりに物知らずで、数の勘定もできず、お内儀の器ではないと判断されたらしい。それで、大和屋では世間体をはばかって知り合いの千成屋に娘をあずげたいうのである。

 伊三次の妻のお文は、仕事の関係で大和屋も千成屋も知っており、その関係で「おゆう」に礼儀作法を教えてくれと頼まれていた。道でばったり彼女にあった龍之進は、そのお文から、自分よりも龍之進の母親の「いなみ」の方が「おゆう」の教育には適しているので、頼んでくれないかと相談される。通夜の夜に帰宅した龍之進は母親の「いなみ」にその話をする。

 そのとき、「いなみ」は、「似たような話があるのですよ」と言って、「縁談を断られた娘がいて、父親がそれを不服として相手方へ談判に行き、ついに刃傷沙汰を起こしてしまった」と話し始める(111ページ)。その挙句に、仰せつかっていた剣術指南役も下ろされ、父親は抗議の意味で自害し、その娘も父親の後を追って自害した、と語る。その自害した父親と娘は「いなみ」の父親と姉だった。こうして、「いなみ」の家は一家離散となり、「いなり」は吉原に身を沈めたのである。「いなみ」は言う。「わたくしはあなたのお父上に助けられました。そうでなければ、今頃は命を縮める生業のために、とっくにこの世にいなかったことでしょう」と言う(112ページ)。

 その話を聞いて、龍之進は、ぽろりと涙をこぼす。彼は、人の痛みがわかる人間になったのである。「いなみ」は、そう話し終えてから、「おゆう」にいろいろなことを教えると言う。こうして「おゆう」は不破家に礼儀作法を始めいろいろなことを学ぶために出入りするようになる。

 その夜、日本橋の裏店で火事が起こり、幼い子どもたちが焼け死ぬという悲惨な出来事が起こる。両親が、幼い子どもたちを家に残したまま気晴らしに二人で酒を飲みに出た間に出火しての出来事だった。

 こういう事件を物語の間に挟むのは、作者が現代の社会の中で起こっている子どもを犠牲にした事件を痛ましく思っているからだろうと思う。子どもは保護を必要とする存在であるだけにいつでも親の犠牲になりやすい。子どもと老人を大切にしない社会はろくでもない社会だという思いがわたしにもある。

 ともあれ、礼儀知らずと言われた「おゆう」は、「いなみ」のもとで様々なことを学び始めるが、「いなみ」は娘の茜の教育も兼ねて、「お吉」も誘っていろいろなことを無理なく自然に学べるように配慮していく。「いなみ」は「おゆう」が気に入って、龍之進の妻にならないかと願ったりするし、「いなみ」も龍之進に想いを抱き始める。だが、「おゆう」は、知識はなくても思いのほか賢く、自分が同心の妻には向かないこともしている。そのあたりは、また後に展開されていくが、第二話「秋雨の余韻」は、「いなみ」が「おゆう」の教育を引き受けるところで終わる。

 第三話「過去という名のみぞれ雪」は、「おゆう」が意外と和歌に堪能であることがわかるし、いろいろなことで自身をなくし始めていた茜の剣術稽古の姿を「お嬢さん、乙にすてきだ」と感嘆し、それぞれがそれぞれに「いなみ」の下で自分を認められていくという姿から始まっていく。いなみ、おゆう、茜、お吉が醸し出す空気は温かい。

 そんなおり、伊三次は自分が髪結いに使う鋏(はさみ)が刃こぼれして歪んでいることに気がついて、その修理のために刃物商である「阿波屋」を訪れる。阿波屋には看板娘の「お鉄」という娘があり、彼女が目をかけ、阿波屋が刃物師の弟子にしたいと思っている青物売りの若者が出入りしていた。しかし、その若者は入れ墨者で、たとえ入れ墨者でも阿波屋の家族がやり直す機会を与えることを伊三次は嬉しく思うと同時に、その若者に何かしら訝しいものを感じた。

 他方、臨時町廻りをしている不破友之進は、子どもを道連れに母子心中しようとした事件に関わっていく。母親はまだ24歳と若く、子どもの首を斬って自分も死のうとしたところを隣家のおかみさんに気づかれ、未遂に終わったのである。父親は、かつては幕府の役人だったが、上司の公金横領に連座させられて失職し、内職をしながらなんとか暮らしていたが、失踪していた。そして、最近では食べるものにも事欠いたようで、切羽詰って事に及んだというのである。息子が、もうお腹が空いたとは申しませぬゆえ、どうぞお許し下さいと泣き叫んでいる声を隣家のおかみさんが聞いたという。子どもの健気さに胸が詰まる思いがする。

 友之進は、このままだとまた母親が息子を道連れに心中を図るかもしれないと案じ、大家と町名主と相談して子どもの預かり先を捜す。母親は息子をどうするも私の勝手と言い張るが、友之進は母親と息子を一晩離し、善後策を検討する。だが、母親は子どもを置いてそのまま疾走してしまうのである。幸い、子どもは商人の家の養子先が見つかるが、世情はそんな親が増えているのである。これもまた、現代の社会の世情を反映したものである。

 そん中で、「いなみ」が教育している「おゆう」は、文字も上手に書けるようになっていくが、「いなみ」は「おゆう」が龍之進の嫁になってくれないかと心中ひそかに思っていくようになるし、娘の茜も「おゆう」の気持ちに気がついて、龍之進の嫁に勧めたりする。だが、「おゆう」は、龍之進のことを慕っているが、どんなに恋してもそれが成就しないことを明確に自覚していたのである。

 伊三次は、刃物商の阿波屋が弟子にしたいと思っている青物売りの若者に両国橋で出会う。彼は、昔は手がつけられないくらいの悪餓鬼で、木場の材木をかっぱらったって捕まえられたいうふうに自分の悪事を手柄話のようにして語る。罪を悔やんでいる様子はなく、都合の悪いことには口を閉ざすようなずる賢さを伊三次は彼に感じていく。そして、それから十日後、木場の材木盗難事件が起こる。かなり大規模な盗難事件で、伊三次はその事件のことを聞いたときに、その若者のことを思い出す。案の定、その若者も強盗団のひとりだった。阿波屋は、目をかけた若者がそんな人間だったことにがっかりしたし、伊三次は、その若者をうまく導いてやれなかったことを後悔したりする。

 みぞれのように、雨か雪かはっきりしないような中途半端はよくない。不破友之進は、そんな思いを抱きながら、みぞれが降る中を歩いていくのである。だが、そんな中途半端な状態に置かれているのが龍之進の嫁取り問題である。その顛末が以下の話で展開されていく。人はみな、中途半端にしか生きられないのも厳しい現実である。

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