2012年9月19日水曜日

葉室麟『散り椿』(2)


 九州西岸を通り抜けた台風のおかげで、なんとなく秋が一段と進んだような気配が漂い始めた。「暑さ寒さも彼岸まで」というから、これもあと少しかもしれない。昨今の新聞やテレビの報道に接しながら、ふと、かつてアメリカの哲学者であったR.フルガムが『人生に必要な知恵はすべて幼稚園で学んだ』で、私たちは幼稚園の砂場遊びで、みんなで仲良くわけあって使うこと、順番は待たなければならいないことなどを学んだ、と語っていたことを思い出したりした。過去の苦難の歴史を、人を恨んだり呪ったりすることに使っては、苦難の経験が泣いてしまう。「人生がもったいない」などとも思ったりする。

 それはともかく、葉室麟『散り椿』(2012年 角川書店)の続きであるが、瓜生新兵衛の帰郷とともに、藩内の抗争が一段と激化していく。ひとつには、藩の実力者となって頭角を現した榊原采女の父親を殺したのが瓜生新兵衛だと噂されていたが、その事件の真相が彼によって明らかにされて行きそうになるからである。榊原采女の父親は、新兵衛たちが通っていた一刀流道場の中でも独特の技を使う者の手によって殺されていた。采女の父親の死には、領内で生産される紙を一手に握りたいと目論んだ紙問屋と、その紙問屋からの賄賂で自分の派閥を作ろうとした家老になったばかりの石田玄蕃が関わっており、事件は単純ではなかったのである。その石田派の資金集めと坂下藤吾の父親の自害とも関連があるのである。

 そういう中で、殖産方として水路造りを進言し、郡奉行も乗り気であった坂下藤吾の案が却下されてしまう。そこには政治的事情が絡んでおり、お国入りをきっかけにして藩の政治を藩主の手に取り戻そうとする若い藩主と藩の実権を握り続けようとする家老の石田玄蕃の対立があったのである。

 藩主になった千賀谷政家は、自分が行う藩政の手始めに、殖産の水路造りをしたいと考え、郡奉行を動かして計画案を進めていたのである。それを推進していたのが榊原采女であった。だが、藩を動かしてきた石田玄蕃はそれを阻止する動きに出てきたのである。殖産方として村の庄屋とともに水路の必要性を感じて動いて坂下藤吾は、何者かに命を狙われたりする。そして、危険を察知して後をついてきていた瓜生新兵衛によって救われたりするのである。瓜生新兵衛もまた、汚名を晴らすために榊原采女の父親殺しの犯人を探り出そうとする動きの中で、何者かに命を狙われていた。そして、殖産方を外され郡方とされ、隠し目付となって藩主側の人間である郡奉行の動きを見張るように石田玄蕃に命じられる。

扇野藩の隠し目付は「蜻蛉組(かげろうぐみ)」と呼ばれていたが、その実体は不明だった。しかし、「蜻蛉組」は、どうやら家老である石田玄蕃の意を受けて動いるらしいと坂下藤吾には思われたのである。

他方、亡くなった瓜生新兵の妻「篠」と榊原采女の間に、昔、実際に縁談があり、采女が「篠」を妻に望んだが、出世を望む気性の激しい采女の母親は家老の石田家の縁戚の者を妻に娶ることを望み、その縁談を壊してしまい、結局、「篠」が瓜生新兵衛の妻となったことが明らかになっていく。その後、榊原采女は妻を娶ることはなく、新兵衛が藩を放逐された時に「篠」が新兵衛と共に国を出たのも、そのことと関係があるらしいということがわかっていく。榊原采女は榊原家の養子であった。

坂下藤吾は「蜻蛉組」から呼び出しを受け、「蜻蛉組」が、家老の石田玄蕃のために動いているのではなく、実は藩主の直接の支持を受けて動いていることを知らされ、藤吾の命を狙ったのも石田玄蕃の手の者であり、藩主から十八年前の榊原采女の父親の不正事件の再調査を命じられていることを告げられる。十八年前、榊原采女の父親の橋渡しで、紙問屋の田中屋は藩の公許問屋として紙の扱いを独占した。しかし、田中屋からの運上金は藩には入らずに、利益は江戸の神保家に流れた。それを画策したのは、藩主の庶兄の行部家成で、行部家成は藩主の兄であるにもかかわらずに母親の身分が低かったために藩主になれず、彼の嫡男が神保家に養子に入り、その幕閣への出世のための賄賂として金の流れの仕組みを作ったのである。それを支えたのが家老の石田玄蕃であった。

現藩主の千賀谷親家は来年に藩主の座を政家に譲にあたって、藩内をきれいにしておくために、その証拠を掴むことを「蜻蛉組」に命じたのである。家老の石田玄蕃は、藩主の庶兄である行部家成には誰も手が出せないと驕って、坂下藤吾を自分のために使おうと彼に隠し目付を命じたのである。

話は変わって、藤吾の母であり、「篠」の妹である里美は姉の遺品の中から三通の書状を見つける。三通とも榊原采女が「篠」に宛てて、「篠」が新兵衛に嫁ぐ前に書かれたもので、「篠」はそれを大事に持っていたのである。榊原采女は、「篠」が新兵衛に嫁ぐことが決まった後も、「願うことなら、もう一度、坂下家の庭に咲く椿の傍らで話がしたい。これから何年でも、花開くころ、あなたをお待ちする」と書送っていた(107ページ)。

新兵衛は、この書状のことを知っていた。そして、「篠」の最後の願いの一つは、「庭の椿を自分の代わりに見て欲しい」ということだった。それは「篠」が采女に対する想いをずっと残していたことを思わせる。だが、新兵衛は、「篠が大切にしていたものは、それがしにとっても大事でござる」と書状を保管し、「篠」の願いを果たすために郷里に帰って来たのである。新兵衛は里美に言う。「人は大切に思うものに出会えれば、それだけで仕合わせだと思うております」と(111ページ)。

果たして、「篠」は采女に想いを残していたのか。「篠」の本当の思いはなんだったのか。やがて、新兵衛はそのことを知っていくが、彼はただ、それがどんなことであれ愛する者の願いを叶えることだけにまっすぐ進んでいくのである。昔の坂下家は、今、榊原采女の屋敷になっている。

藩の実情は混沌としてきはじめ、すべての謎はまだ藪の中である。こうした展開は一気に作品を読み進ませる。しかし、その後の展開については次回に記すことにする。

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