2012年9月24日月曜日

葉室麟『散り椿』(4)


 秋分の日を過ぎて、これから秋が本番を迎えていく。昨日の雨から一転して秋空が広がった朝となった。秋は、春の柔らかさとはまた違った優しさがある。特に初秋から中秋にかけての優しさは、「もののあはれ」を感じさせる。秋桜が陽射しを受けてかすかに揺れる様は何とも言えない。すすきを見に箱根にでも行ってみようかと思ったりする。

 さて、葉室麟『散り椿』(2012年 角川書店)の続きであるが、瓜生新兵衛を用心棒として雇った紙問屋の田中屋は、紙の独占を藩から許された時に、藩から出された起請文をもっていた。そこには紙の売買から得られた金について記されているはずで、それは榊原采女の父親の不正を証明するものでもあった。

 そして、その事件を再探索している隠し目付の「蜻蛉組」の小頭は、その起請文を奪うために坂下藤吾を伴って田中屋に夜襲をかける。坂下藤吾を伴ったのは、叔父の瓜生新兵衛が用心棒をしており、彼が甥に手をかけるはずがないと踏んだからである。だが、「蜻蛉組」のほかにも起請文を奪おうとする賊があり、瓜生新兵衛は両方と対峙して、賊を斬る。そして「蜻蛉組」の小頭の正体もわかる。それは一刀流道場の師範代であったのである。田中屋は傷を負ったが一命を取り留め、起請文も無事で、起請文は瓜生新兵衛が預かることになる。「蜻蛉組とは別に田中屋を襲った賊は石田玄蕃の手の者だった。

 起請文には金の流用の仕組みの詳細は書かれていなかったが、藩主の庶兄の行部家成の署名があり、家老の石田玄蕃が行部家成の思惑で動いていたことがわかっていく。榊原采女の父親は、その指図の下で動いていたのである。すべては藩主の庶兄の行部家成が仕組んだことであったのである。

 榊原采女はそのことを知っていた。そして、行部家成に誰も手が出せないために、「わたしは友を見捨て、ひたすら耐えて参りました」(170ページ)と出世を望む気の強い母親に語る。そして、かつて采女が「篠」に恋をし、彼女を妻として迎えようとしたのに、母親の強い反対で叶わなかったことが語られ、和歌を通じて「篠」と親しくなっていったことが思い返される。

 采女と新兵衛は「篠」の家の隣同士で、漢籍の造詣が深い「篠」の父親の下に話を聞きに行っているうちに、采女は「篠」と和歌のやり取りをするようになっていった。采女は新兵衛の物にこだわらないおおらかさを羨ましく思っていたが、新兵衛と「篠」はのんびりと時候の挨拶などを交わすだけで、「篠」の父親も秀才の誉れが高い采女を気に入っていた。そして、和歌のやり取りの中で、采女は「篠」も自分に対して想いがあると思い、縁談を申し出たのである。しかし、采女の母親(養母)がそれをぶち壊したのである。采女の母親は家老の石田家の縁戚との婚姻を望み、坂下家に乗り込んで、「篠」を悪し様に罵って親戚中に触れ回ったのである。

 「篠」の父親はそのことに腹を立て、すぐに破談をして、「篠」は瓜生新兵衛のもとに嫁ぐことになる。新兵衛は采女と「篠」の縁談が破談になったことを知っていた。采女が新兵衛と会った時、新兵衛は、庭に咲いていた椿を見て、「篠殿はあの花が好きでな。季節になると、よく庭に出て眺めておられる」と采女に語り、椿を眺めている篠を見遣りながら、「わしは、あのようにしている篠殿を見るのが、なにより嬉しい」と語る(176ページ)。新兵衛もまた、「篠」に惚れていたのである。

実は、ここに「篠」の心を知る手掛かりがあるのだが、それはまだ伏せられたままである。「篠」への想いが断ち切れない采女は、「篠」と新兵衛の婚儀を祝する書を出すとき、思わず、「叶えられるならば、坂下家の椿の傍らで篠ともう一度話がしたい」と書送ってしまう(177ページ)。そして、しばらくして、「篠」から「くもり日の影としなれる我なれば 日にこそ見えね身をばはならず」の『古今和歌集』の一句をしたためた返書をもらったのである。

 それは、「曇った日の影のようにあなたの目には見えなくなったが、いつもあなたの傍にいます」という意味で、采女はそれを「篠」が自分への想いを記していると思い込んでいたのである。だが、この歌には「篠」の別の思いが込められていた。それが後に明らかになるが、以後、采女は独り身を通し、「篠」と新兵衛は藩を追われることになった。「篠」は新兵衛が藩を追われる時に、自ら進んで彼とともに国許を出て行ったのである。采女は、その意味を考え始めていく。

 他方、城中ではいよいよ石田玄蕃と榊原采女の対立が鮮明となり、石田玄蕃は藩主に対立する姿勢さえ見せたりするようになる。采女にとっての望みは、藩主の継子である政家が国入りして、新藩主となり英断を振るうことであるが、石田玄蕃はそれを阻止しようという動きに出るのである。その間に、榊原采女は「蜻蛉組」の名で篠原三右衛門に呼び出され、そこに瓜生新兵衛も駆けつけて、三人の緊迫した姿が描かれる。それも妙味がある。

 榊原采女の父親が殺された夜、一体何があったのか。采女はそのことを思い起こす。その時、采女の父親は田中屋とのつながりを追求され、連日のように取り調べが続いていた。そして、突然、国を出て江戸にいる藩主に直に無実を訴えようとしていた。采女の父親は、家老が自分を口封じのために殺すかもしれないと恐れていた。采女は、密かに江戸に行くなどの脱藩行為をする父親を止めようと城に向かい、途中で父親と会う。采女の父親は、迎えに来た采女を見て、采女が自分を殺すために家老から差し向けられた刺客と思い込んで、采女に向かって刀を抜いたのである。采女は思わずその刀を振り払うが、その後の記憶がない。気づいた時には、父親は倒れ、その傍らに篠原三右衛門が立っていた。それが、采女がもっているあの夜の記憶だった。采女の父親を殺したのが誰かは、まだ不明であるが、采女はひとり寂寞感にとらわれていく。

 采女は、新兵衛や三右衛門と緊迫した状況で向き合い、新兵衛のことを考えていく。
「戻ってきた新兵衛には、貧しい生活を送ろうとも心の内に豊かさを抱き続けた者の確かさが感じられる。
それに比べて自分はどう生きてきたか。
切れ者とひとに畏れられるようになりはしたが、親しく言葉をかけてくる者はいない。ただ、遠くから畏敬の視線を送ってくるだけだ。・・・・。
皆それぞれに生きてきた澱を身にまとい、複雑なものを抱えた中年の男になってしまった。・・・・。
篠とはついに再び会うことができなかった。・・・・。
それももうかなわない。自分に残されているのは、藩内での政争に勝ち抜くことだけだ」(201202ページ)
彼は寂寞感の中でそう思うのである。

人よりも抜きん出た優れた者は、孤独である。それは宿命のようについて回る。榊原采女は、その孤独を噛み締めなければならないのである。だが、本当に優れた者は愛を知る者である。そして、愛を知りながらも孤独に耐える者なのである。そのことが、やがてじんわりと展開されていく。葉室麟の作品は、そういう人間の姿を描き出していく。

事態は、藩主が世子の政家を伴って国入りする椿の咲く頃に向かってますます切迫していく。坂下藤吾は、石田玄蕃が仕掛けた罠にはまり、捕らわれてしまう。藩主が国入りする前に何としても証拠となる起請文を奪いたい行部家成と石田玄蕃が仕掛けたのである。起請文は瓜生新兵衛がもっている。瓜生新兵衛は坂下藤吾を人質に取られたので、起請文をもって呼び出しに応じる。途中で「蜻蛉組」の小頭がそれを阻止しようとするが、瓜生新兵衛はそれをはねのけて呼び出された田中屋へと向かう。

そして、いよいよこれまで裏にいた行部家成が出てきて、藤吾の命と引き換えに起請文を渡せと迫るのである。だが、藤吾は既に「蜻蛉組」によって助け出されていた。新兵衛は起請文を榊原采女に渡したと語る。「蜻蛉組」に助けられた藤吾は、小頭から藩内で起こっている抗争の真相を聞く。

藩主の親家は蒲柳の質(病弱)で、政家に早く家督を譲りたいと思っているが、その政家が急死すれば、まだ男子が生まれていないから、後継となるのは行部家成の孫となる。それによって、行部家成の血筋が藩主の座につくことになる。田中屋を公許紙問屋とすることで懐に入れた金を江戸に送り、養子にやった自分の息子を幕閣で出世させ、その息子の子を扇野藩の継子とする遠大な企みがあったのである。その妄執のために、新兵衛が藩を追われ、榊原采女の父親が利用され、自分の父親が自害に追い込まれ、水路造りを勧めていた庄屋が殺されたことを知るのである。

「蜻蛉組」は藩の平穏を守るために動くという。しかし、坂下藤吾は、領民まで殺されたことを闇に葬るわけにはいかないと言う。「蜻蛉組」の小頭は、事柄を明らかにすれば、藤吾は、いずれ新兵衛と同じように、国を追われるか、腹を切らなければならなくなると脅す。だが、藤吾は後に引かない。彼はこれまで藩内で生き延びることだけを考えてきたが、いつの間にかそう思わなくなっている自分に気がつくのである。瓜生新兵衛のすくっと立っている姿が藤吾を変えていったのである。

行部家成が起請文を奪うことに失敗したので、石田玄蕃は、いよいよ残された手段として世子の政家の暗殺を企てるようになる。彼が恐れる強敵は榊原采女であるが、どうやら采女は父親殺しであるようで、その点を弱点として抱えているようである。また、瓜生新兵衛の妻となった「篠」に懸想をしているとの噂もある。そのことで新兵衛を焚きつけて采女を殺させる計略を立てるのである。

石田玄蕃もまた悲しい人間ではあるが、つまらない人間はつまらない邪推しかしない。問題なのは、そのつまらない人間が権力を持っていることで、石田玄蕃はそういう人間のひとりとして本性を表していくのである。そのあたりもまた、本書の妙味で、その後、物語は急展開していくが、それについては、また次回に記したい。

0 件のコメント:

コメントを投稿